Other Dream






 眠れない。
 茜は背中に伝わる自分とも布団とも違う熱を感じながら、心の中で静かにそう呟いた。心臓がずっとどくどくと激しく動いていて、身じろくことはおろか深く息を吐くことすら躊躇ってしまう。胸の鼓動のせいで息苦しくて仕方がないというのに、ろくに酸素を吸うことすら出来なかった。

 だいたいこうなった原因は自分にあって、そして後ろで眠っている「彼」のせいでもあった。茜は数時間前のことを思いだす。あれは昼下がりののルルココ村での出来事だった。彼――ウェインはそのとき手紙を配達していて、そして自分はちょうど家の増築を終え、ルデゥスと共に牧場から村に戻ってきたばかりだった。道の真ん中で
ちょうど三人はばったりと遭遇し、少しの立ち話をすることになった。当然、増築の件も話に出てくる。カモミールとカエデを集めるのが大変で、という話をしつつ「遊びに来てね」と茜は伝えた。その時は家の内装を確認していなかったし、なんとなく「カントリーな感じになる」という話しかルデゥスからは聞いていなかった。もしも具体的な家の変化を事前に知っていたならば、きっと茜はウェインの「今日仕事が終わったらいいかな?」という言葉にすぐ頷くようなことはしなかっただろう。
 驚いたのは仕事を終えたウェインと一緒に郵便屋から自分の牧場に戻り、増築された家のドアを開けた瞬間からだった。風呂とトイレが増えた。それはいい、大いに結構。すごくびっくりしたし、もちろんすごく喜んだ。…問題というか、どうリアクションしていいのか分からずに困ってしまったのはベッドがダブルベッドになっていたことだ。 

 …茜はウェインのことが好きだ。はじめて出会ったその時は、(ちょっと軽薄な人だなぁ)と思っていたが関わるにつれて彼の口説き文句はすべて本心から出る言葉だということを知った。それに気が付いたころには既に彼のやさしさや雰囲気にやられて恋の沼に片足を突っ込んでしまっていた。どっぷりと落ちてしまったのはあの星空を一緒に眺めた夜だ。あの日から茜の心の中にはウェインが住み着いたままだ。
 だから、嫌がりはしていない。ただ、恥ずかしい。
 ずっと一緒にいたいと思う。いつかウェスタウン流のプロポーズの方法をとって、彼にその気持ちを伝えることができたら、と願っている。生活の合間を縫って会うだけの日々は、既に物足りないと感じていた。もっと長くいられたら――と何度夢想しながら、共に彼の作った料理を口にしただろう。
 好き。大好き。ウェインの言う言葉を使うとするなら「愛している」。だから、流れのままにウェインが今日ここに泊まることが決まった時も茜は拒まなかったし、それについての嫌悪を抱くようなこともなかった。

 けれども恥ずかしい。いざこうなるとやっぱり恥ずかしい。

 一連の回想と、自分の想いの確認を終えて茜は布団の中で頬を熱くする。一緒に食事をとるところまではよかった。別々にお風呂に入ったり着替えを済ませたりしているあたりから、一気に「いつもとは違う」を意識しだしてうまく動けなくなった。ベッドにはどうやっては言ったのかをよく覚えていないけれど、確か暗闇のなかウェインに手を引かれてだったと思う。それで、「いつもこっち向いて寝るから」なんて訳の分からないことを言ってウェインに背を向けてしまったわけだけど……。

 「……」

 落ち着かなくて、とうとう茜は後ろを振り向くために身じろく。いい加減落ち着いた呼吸をしたかった。きっとウェインは眠っているだろう、なんせ「おやすみ」と言ってからかなりの時間が経っているのだ。確認をするように無理矢理頭だけ動かす。暗闇の中で目があった瞬間、茜は思わず小さな悲鳴をあげてしまった。ぐいっと左肩を掴まれ、仰向けにされたかと思いきや今度は右肩を掴まれて引き寄せられる。ものの三秒で向かい合う体勢は出来上がってしまった。

 「ウェ、ウェインなんで」
 「なんでと聞きたいのはオレもだよ茜。とっくに寝ていたと思っていたのに」
 「……その、ちょっと…」

 言うのを少し躊躇ってからとうとう茜は恥ずかしくて、と本音を溢した。素敵なことだけれどはじめてのことで緊張していたと伝えると、ウェインの低い笑い声が耳に響いた。吐息がくすぐったくて茜は思わずウェインの胸に頬を寄せる。聞こえたのは、とっとっとっとと走るような速さで脈打つ心の音。もしかして、とひとつの答えに気付いたとき、ちょうどウェインが茜の長い髪をゆるゆると撫でながらまた耳に唇を寄せて囁く。――オレも緊張してた。耳にした時、茜は改めてこの青年を愛しく思う気持ちを実感した。生唾を飲み込んでから茜はそっとウェインの背中に腕を回し、ぽつりと好き、と囁く。オレも、とウェインが額に唇を寄せると、ちゅ、という鳥の囀りのようなリップ音が静かに響いた。ふふ、と茜の唇から笑い声が漏れる。さっきよりもずっと恥ずかしい体勢で、恥ずかしいことを言って、恥ずかしいことをしているのに、何故かよく眠れるような気がした。恥ずかしい、けど、それよりも満たされている気持ちのほうが大きくて、茜の意識はふわふわと宙に漂い始める。
 それはウェインも同じだったようで、小さな欠伸をかすかに耳が拾う。すぐに霧散しそうな意識を最後に一握りだけかき集めて茜は改めて「おやすみ」と呟く。

 その日の夢は温かい色をしていた。




 (「愛」と呼ぶのだろう)


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