Other Dream






人は脆い。
身体もそうだけれど、心も。
傷つきたくない、苦しみたくないと、人は何重もの鎧を着て、息を殺して生きていく。

「あの人が好き」「君が好きだよ、愛してる」──なんてありきたりなことを言う恋人同士だって、本当に一番愛しているのは自分に違いない。
最近の…私が居た現代のカップルを見ているとそれがよく分かる。
『リア充』という肩書きを求めて、良い男、良い女を求めて付き合っては別れの繰り返し。よくまぁ好きだの愛してるだのと、クサいセリフを平然と言えるものだと、最初は寒い目で見ていたけれど──気づいた。
そもそも若者にとって恋人が居るということは、ステータス。すなわち自分を彩る飾りなのだ。奴らはただ、自分を彩る飾りを愛でているだけなのだ。
そう結論付いた時、不思議と納得した覚えがある。

…少し話が逸れたが、とにかく人が一番大切にするのは自分だ。
それは人間誰もが皆、実は胸の奥底で密かに気づいているであろう事。
何故胸の奥底かと言うと、それは「気づくだけで自分が傷つくから」。
自分という本性の化けの皮が剥がれることを恐れているから。

だから人は自分を守るための鎧で、自己愛で自分を騙し続ける。
私もそれは間違いじゃないと思うし賢いやり方だとは思う。
いちいち傷ついて、心を浪費させるのはごめんだ。


そこまでわかっていたのに、どうして。
どうして私は貴方を愛してしまったのだろう。

得体の知れない世界に突然来てしまった。たどり着いてしまった。心細くて、独りぼっちになってしまった。
そんな私を、一番に見つけてくれたから。一番に信用してくれたから。助けてくれたから。支えてくれたから。励ましてくれたから。そばにいてくれたから。
「大丈夫です、私が貴女を一人にはしません」と――女官にいじめられる私を庇いながら、あの人が誓ってくれたから。
貴方の綺麗で、優しい笑みに、ほだされてしまったから。心を許してしまったから。信じられると思ってしまったから。

愛していますと叫びたくなってしまった。
そばにいたいと願ってしまった。
あまりにも陳腐で、あまりにもありきたりな言葉だけど、願いだけど、それでもいいと思ってしまった。

それの何が悪かったのだろう。
その思いを抱くことの、何が罰だと神様は言いたいのだろう。

私が、もっと彼自身を知っていたらよかった?
私が、もっと彼のことを守れる人だったら良かった?
理解できたなら、近づけたなら、私から彼に歩み寄れたなら、そうしたら、何かが変わってた?それとも運命だというの?どうあがいても変えられない、事実だと。


夜の空に月が浮かんでいる。
まるで聲を亡くした人魚姫のようだと、私はおこがましくも自分をそうたとえながら、それを見上げる。

王子様を誰よりも愛した人魚姫、でも本当に伝えたいことは胸の内に秘めたまま、言葉にすることが出来ず、泡になって死んでいく。幼い頃に聞いたストーリー。
ああでもちがう、あの子は伝えられなかった。でも、私はいくらでも、その気になれば伝えることが出来たはずだった…。

「茜、何を見ているのです?」

後ろから、私が愛してしまった声が響く。
本当はそんな声を、もうこの耳に入れたくはなかった。いつものように振り向いて、貴方の顔を見たくなかった。
けれど、もう時は遅い。私に出来ることは、誰かのものになるこの人を、笑顔で祝福することしか、ない。

「月を、見ていました。この世界の、月を」
「なるほど。…そういえば、茜がはじめてここに来た夜と、同じ形をしていますね」

少しいびつな満月。きっと明日には、もっと綺麗な円を描くであろう月を、陸遜様が隣で眺める。
…そういえば月と言えば、確か誰かが言っていた有名な言葉があった気がする。なんだっけ。

「明日、ですね。おめでとうございます。陸遜様」
「はい。…茜に言われると少し、心苦しくなりますが、有難うございます」

悲しそうな陸遜様の笑みに、心が痛む。
どうしてこの人は最後まで期待させるような言葉を言うのだろう。私に言われたら心苦しい、なんて、誤解してしまいそうな言葉。
ああ、でも私はいっそそのまま誤解をして、変に期待して、馬鹿みたいに舞い上がりながら彼に思いを伝えたらよかったのだろうか――なんて、今更手遅れ、をいくつも思い描く。

もう遅い。もう遅い。
この人は、明日には違う人のだんな様。


「――月が綺麗ですね、」


不意に、その言葉が口をついて出た。
そうだ、思い出した。この言葉の意味。この国に生きる彼が、この時代に生きる彼が、知らないこの言葉に隠れた意味。彼には絶対に分からない、秘密の告白。
「そうですね」と陸遜様がポツリと呟く。当たり障りのない返事。つじつまのあう相槌。


「この夜が永遠なら、どれほど幸せなのでしょうね」


ああ、なんてまた期待させるような言葉を吐くのだろう。
雲が動いていく。月が動いていく。
私と彼は、その流れていく景色の中で手を繋いで泣いていた。



(せめてこの胸を貫く剣になってください)




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