Other Dream






「ごめんなさい、私彼氏がいるの」

いつもの帰り道で、いつも私を冷たい目で喉が渇いただの肩を揉めだのとこき使ってくるその男は、呆然とその場に立ち尽くしていた。

実際は私に彼氏なんていない。「人間」の彼氏は持っていない。
私の持っている彼氏とは、家にある大きなクマのぬいぐるみのことだ。目の前にいる意地の悪い腹黒男には内緒の名前を持つぬいぐるみだ。


私は悔しかったのだ。
いつもいつも私以外の人には愛嬌ある笑みを振りまいてアイドル扱いされているその男に、裏でこき使われることが悔しくてたまらなかった。
幼なじみの素顔を知っているのは私だけ!という優越感もあった。ええ、ありましたとも小学校までは。
中学になると凌統と甘寧という新しい友人が増え、二人とあの男は気があったのか、あの男は二人にも素を見せるようになった。

…別に「特別」になりたかったわけじゃない。ああ、嘘。自分の心にまで嘘は吐きたくない。
そう、私は「特別」に憧れていたんだ。
だけどそれを奪われて、ただの一員になったことが悔しかった。

あとはやっぱりただ単に、人を召使いみたいにこき使うのが嫌だった。
普段人の前にいるアイドル様は偽物だし、偽物なんて嫌だけど、でもちょっとは私にも優しくして欲しかった。幼稚園までは優しかったんだから。

だから悔しくて、嘘を吐いた。──「彼氏がいる」と。

いきなり「付き合え」と命令口調で言われたことが、ひどく悔しかったから。
またからかわれているんだって思ったから。

そして嘘を吐かれた当の本人をちらりと見る。…意外にも、まだ呆然とした顔をしていた。


「…誰です」
「…え?」
「茜に男が居るなど、聞いていませんよ」
「うん、言ってない」
「……」


あれ、何だろうこの雰囲気。死ぬほど嫌だ。
ちょっと意趣返しの心算というか、付き合いの申し込みまで先にされて悔しいというか、ていうか交際の申し込みがそんな上から目線ってどうなのって言う苛立ちがあるというか。
え、なんでそんな深刻そうな顔なの。その顔まるでアイドルりっくんモードみたいじゃん。悪いことしてる気分になるからもっといつもみたいにつめたい顔をしてよ。

「…どんな男ですか」
「え?」
「その男と私、何が違うんです。私の何処がその男に劣っていると」
「え・・・っと、もふもふと優しさ?」
「…は?」

****

「なんだ、そういうことだったんですか」

結局ばれてしまった。
そりゃあもふもふなんて言ってしまったら怪しまれるのも当然だ。

家まで連れてきて、私の部屋のベッドのそばに置かれた大きな赤いリボンのついたくまのぬいぐるみを見せる。
名前は、伯言。目の前に居る男と同じ名前だ。

「懐かしいですね。私が茜に幼稚園の頃にあげた物だ」
「うん。クリスマスプレゼントに、お互い何か渡したよね。私はほら、キャンドル型の電機スタンドあげたの」
「あれならまだ使っていますよ。本物の炎に見えて、好きです」
「好かれるような物を選んだ覚えがあるよ」

目の前の幼馴染は炎にこだわりがあったから。だから、それに見えるような物をあげた。
そして当時、まだ幼かった私は夜一人で眠ることが怖くて、母親から離れることが出来なくて。
そんな私を見かねて伯言が贈ってくれたものがこのぬいぐるみだった。
「私が茜の家に毎日泊まるわけにはいきませんから」と、幼稚園児にしてはずいぶん大人びた口調で、お兄さんぶって私にくれた伯言の身代わり。

…本物の伯言は、もうずいぶんと遠くに行ってしまったから。
少し前まで並んでいたはずの成績は離れ、身長も離れ、運動能力も、力も離れ…そう、何もかもが離れた。
今では彼は学校一の人気者。私は、学校の片隅にいる一生徒。
きらきらと笑う彼を見るたびに、自分から近づく自信も、伯言と昔のように呼ぶこともためらうようになってしまった。周りの目が恐ろしくて、自分から関わることが怖くなった。

…このぬいぐるみは、私の叶わなかった願いの結晶。
ずっと一緒にいたい、ずっと、ずっと幼馴染でいたい。願わくば好きあう関係でいたい。
今はもう、そんなことは叶わないから。もう、そうなるには遅すぎると思っていたから。


しどろもどろと、そんなようなことを吐露してみる。
こうして思考にして、順序だてて話をしようとしているはずなのに、言葉は何故か口にした途端あやふやになって、上手く伝えられたか分からないけど。
全てを語り終えた後、ため息が響いた。「そんなことを気にしていたんですか」と。

「そんなことって、私は真剣で」
「周りの目がなんです。距離がなんです。言っておきますが、私は一度も貴女に対し距離をとったことはありませんよ。全部貴女の弱さじゃないですか」
「・・・うん、知ってる」

辛辣な言葉に涙が出そうになった。
そう、全部私が怖かっただけ。伯言と関わることで、自分が傷つくことが怖かった。周りの目が怖かった。
私は勝手に自滅したに過ぎないのだ。

「…ところで、茜。耳に痛い話はここまでにして、整理すると…貴女も私のことが好きなんですよね?」

確信をつく言葉に頬がかっと熱くなる。
否定しても仕方がないし否定の使用もないから、素直に頷くと、伯言はまた言葉を続ける。

「しかし、今貴女にはそこに彼氏が居る…と。そこの、ぬいぐるみが」
「…うん。まぁ、そうだね」

この子は彼氏だ。
今までずっとこの子を抱きしめて眠りについたり、寂しいときはこの子に慰めてもらった。私を支えてくれたこの子を彼氏と言わずしてなんとしよう。

伯言は、しばらくこのぬいぐるみ伯言をにらむように見つめた。
それからふっと顔を上げて、「茜は強い男は好きですか?」とたずねる。
そりゃあ男の人は弱いよりも強いほうが頼りがいがあるし、かっこいいと思う。だから「うん」と頷くと、突然伯言は私の横に置かれたぬいぐるみを「えいっ」と横に倒した。
それからにこりとわらって、

「これで、茜の彼氏は倒れました」

さぁ、強い男ですよ。昔の彼氏よりも頼りになりますよ、と伯言が腕を広げる。
ずるい人。ぬいぐるみが伯言にかなうわけがないって分かってるくせに。私には選択肢なんてはじめから一つしかないってことも。

私よりもがっしりとした身体に、胸の中に飛び込む。
少し香る伯言のにおいが、なつかしくて涙が出そうになった。


第X話 彼氏討伐戦
「ところで伯言より強い人が現れたら?」「現れたとしても、茜が最後に選ぶのは私でしょう?」



****

かっとなってやった。今は反省している。



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