Other Dream






「あなたは孫家の姫君だから、娶ったまで。それ以外の感情など有りません。すべては陸家のため。それだけですよ」

姫君の瞳が、これでもかというほどに大きく見開かれる。体が、わななく。まるで、自分が被害者だということを主張するように。
私の上辺だけの笑みに騙されたあなたが悪いのだ。それすらも見抜けない甘さ、それが悪いのだ。
人を殺し、上に立つための策を練り続ける軍師の性格が、あなたの想像する清らかな物のわけが無いだろうに。それすらも知らなかった、あなたが愚かなのだ。

しばらくしてから、姫君が唇を動かす。
果たして何を言うのだろうか。何を私に投げかけるのだろうか。「ひどい」か、「どうして」か、「うそつき」か。

「…よかった」
「…は?」
「陸遜様を、また知ることができました」

にこり。姫君は綺麗な笑みを浮かべた。
初めてお会いしたときと、何一つ変わらない。軍師【わたし】が持たない清らかな笑み。

「…なに、を」
「だって、これから私たち、夫婦になるんですよ?お互いを知らないままではいけないでしょう。良かった。陸遜様を、一つ知ることができて」

これからもまだまだ、色々な陸遜様を知らないと。私の事も、これから知っていただかないと。
楽しそうに、うきうきとした様子で笑う姫君に動揺した私は、何も疚しいことが無いというのにその場を逃げ出すように立ち去ってしまった。

****

次に姫と顔を見合わせたとき、私は寝台の上にいた。

「お気づきになられましたか?」と私の顔を見つめながら、寂しげに微笑む姿を見て、「ああ、倒れたのだな」という事実を確認した。
近頃はそういえば、ろくに睡眠も取っていなかったような気がする。それどころか、この家に帰ってきた記憶も、殆ど無い。
それなのにこのお方は、私を心配そうに見つめている。仮面夫婦と称することすらも烏滸がましいほど、何も出来ていない、していない私を。

「凌統殿と甘寧殿…という方が、倒れた陸遜様を運んできて下さったのです。ひどい高熱で…今まで2日ほどは、目を…」
「……」
「…あの、水、飲めますか?」

彼女に言われるままに頷くと、彼女が水差しを傍らから取り、「失礼します」と私の口元にそれを近づける。が、私はそれを払いのけ、「自分で飲める」と一言。彼女は「出過ぎた真似を」と俯いた。

が、それも少しの間のことだった。
次に顔を上げたときの彼女の瞳は、何か決意を秘めたような、そんなもので。ああ私に何か言いたいのだなとすぐに察することができた。

「…あの、最近…陸遜様がひどくお疲れのご様子だと、先ほどのお二人が教えてくださったのです。何か城で問題が起きているとお聞きしました。…差し出がましいことですが、私に話しては下さらないでしょうか?」

問題。そうか、やはりあの二人も知っていたのか。いや、悟っていた、というのが正しいか。私と殿との問題に。
皇太子様であった孫登様の死後、その後釜は殿の三人目の息子である孫和様が引き継いだ。しかしわが殿孫権様は、四子である孫覇様を魯王とし、孫和様と同等の扱いをなさった。そのため臣下の中は孫和派と、孫覇派の二つに二分されてしまったのだ。
このような状況は、いずれ後に何らかの危機をもたらしてしまう。そのため、私は関係者の問題を諌めようと話をしたのだが…場は悪くなるばかり。殿も話を聞き入れてくださらないままだ。

それを彼女に伝えることは出来ない。
彼女は降嫁したとはいえ、主君の姪には変わりが無いのだ。
これは政略結婚だ。互いの利益が一致したための、政略結婚。そこに愛は何処にも存在しない。
彼女にとっての私は、ただの陸遜という同じ家に住む男で、彼女にとっての孫家は家族。その家族についての好ましくない話を、聞かせるほど私も愚かではない。

「…あなたには、関係のないことです。私のことはお気になさらず。どうかご自分の心配をしてください。私のそばにこのまま居ては、あなたもこうして床に伏せる羽目になりますよ」
「そんな…っ……いえ、わかりました。失礼…します」

ぺこり。彼女はつつましく頭を下げて、部屋から立ち去る。
これ以上は何を言っても無駄だと判断したのか、それとも言われたとおりに従う性質なのか。おそらく後者だろう。姫という立場は、自由に見えて不自由なのだ。

ああ、あなたも本当にお可哀想に。自分が慕っている男と結ばれることも、愛されることもない。ああおかわいそうに。それでも気丈に振舞って。本当に、かわいそうだ。――そう、そうして私はあの人を下に見て、逃げていく。

人の命を奪う軍師に、心など存在しないのだと。すぐ隣にある現実から目を背けながら、私はあの人をかわりに哀れむのだ。

****

同じことを二度も三度も繰り返すのは童子のすることだ──…と、かつて慕っていた方に言われたことを思い出した。
「だがお前は違う、お前は賢いから、大丈夫だ」と、初めて戦で失敗をして落ち込む私を、そのお方は励まして下さった。

ああ、呂蒙殿。私は童子です。
こうなることを分かっていながら、私は同じ失敗を重ねてしまいました。
「私ならば大丈夫だ」という根拠もない驕りを抱いていた私が、心の隅に居たようです。

私の手を取って、涙を流す姫君。
目を覚ました私に嘆く、「もうこんなことはおやめください」と。

「ごめんなさい、関係ないと言われてはおりましたが、私…しりたかったんです。陸遜様の苦しみや悲しみを、知りたかった。受け止めてあげたくて。…ごめんなさい、私の叔父が陸遜様にひどいことを、ごめんなさい」
「…あなたのせいではありませんよ」
「いいえ、私の罪で御座います。そもそもまだこんなにもお若い陸遜様が、様々な重責を背負わねばいけなくなったのは父と、私たち孫家が原因なのですから」

だから、少しでも父の分まで償いたかった。陸遜様を傷つけた私が、陸遜様を癒せる筈がないと、知っていながら側に居ようと思った。
それなのに、結局私はここに至るまで何も、あなたに出来なかった。

涙声で彼女がそう語る。
それから、「そうしたら段々」と、籠もった言葉が続きはじめた。

「最初は本当に、義務だったのです。少しでも家だけは居心地の良いようにと、そのためには陸遜様を知るべきだと…そう、義務を果たすために決断いたしました。
ですが次第に、歪んでしまったのです。私は、」
「お願いします。どうか、どうかもうおやめください。ご自分の身体を、もっと大事にしてください。どうか、もうこれ以上、陸遜様が傷つくのは、見たくないのです」

お慕いしているのです…と、震えた声で彼女が呟く。
ああ、そんな小さく縮こまった彼女を、いとしいと感じてしまったのは何故だろう。このお方は、国の為の駒でしかない筈だったのに。

「…茜、泣くのは、もう止めてください」

名前を呼ぶと、彼女がはっとしたように私を見る。
思えば、私は彼女を名で呼んだことが一度もなかった。いったい彼女は何度私を名で読んでくれていたのだろう。

「陸遜様、」
「…茜、あなたに覚悟はありますか」

全てを捨てる。
築き上げた思いも、歴史も、家族との絆も、全てを断って、陸家とともに行く。裏切る覚悟が。

「…私は、陸遜様に従います。あなたがいるのなら、私は何も恐れません」

それが全ての答えと知ったとき、何故か視界が白に霞んだ。



****

ちょっと黒い&暗い。
史実勉強したいですが時間が足りない…早く三国志と演義読んでみたいです。
とりあえずさらっと調べた知識しかないので、本当に勉強した方に申し訳ないです。とても。



back

- ナノ -