もしもこの世界が全て私の夢だったら、どれだけ幸せだろう。
食べ物を口に含んだときの味覚も、正座をしてしびれた足のびりびりする感触も、花のにおいも、聞こえる喧騒も、目に入る世界も、何もかも鮮明で、物語みたいな夢の世界。
そう、きっと夢なんだ。
これが現実のはずが無い。
だって、こんなことはありえないわ。まさか、だって。絶対にそんなことはないもの。
「石田三成殿、関が原にて敗退した後、捕縛――」
『茜、待っていろ。俺は勝つ。皆の才と武、そして義があるのだ。負けるはずが無い』
「小早川秀秋の裏切りが全てを決め――」
『そうですね。三成様が負けるはずがありませんね。だって、三成様はお強いですもの』
「軍師の島殿は討ち死に、大谷殿は自害――」
『そうだ。それに、茜がここにいる。だから必ず帰ってくる』
嘘だわ、夢。全部夢なの。
これはきっとわるい夢なんだわ。そうでなくちゃ、こんなこと、あり得ない。おかしいもの。
あんなに強い三成様が、家康なんかに負けるはずが無い。
あんなに賢い三成様が、家康なんかに劣るはずが無い。
そう信じているのに、帰ってくるって分かってるのに。
なんで、私、今泣いているの?――わからない。
「――大変です、奥方様!小早川の軍勢が、佐和山に…!」
家臣があわただしく私に報告する。
はらはらと涙を流すことしか出来ない愚かな女に。
帰りをただひたすら信じて待つことしか出来なかったか弱い女に。
私だって、本当は何か出来たのかもしれない。
裏切りが起きないように、家臣たち、仲間たちの心を繋ぎとめるくらいなら、私にだって出来たのかもしれない。
ううん、あの人のそばで戦うことだってできたのかもしれない。
せめて、あの人の後ろを、守ることくらい。私がもう少し強くて、勇気があったなら、出来たのかもしれない。
「家康…小早川…」
許せない。許さない。
貴方たちさえ居なければ、三成様の望んだ世が、太閤様の望んだ「みんなが笑って暮らせる世」が、ずっと続いていたのに。
ううん、でも一番許せないのは、やっぱり城に引きこもっていた私自身だわ。どうして。
でも後悔していてももう遅い。ああ、もっと早く動いていたら。――じゃあ今は?今、私が出来ることは何?
「…この城を、燃やしなさい。私ごと、城を、燃やして。三成様の居場所が踏み荒らされる前に」
はっ…と私に頭を下げてから、三成様の家臣が立ち去る。
ふと、思い立ったように戸棚を開けた。
中には三成様から戴いたかんざし。それから三成様から戴いた文。私の、大切な三成様。
ぎゅっと胸に抱いていると、三成様が抱きしめ返してくれているような、そんな気がした。
熱い。城が、燃える。
三成様と私の思い出の場所が、過ごしてきた日々が、綺麗なまま消えていく。
ふと思い出した。
ずっと前に、悪夢を見てうなされていた私を、三成様が起こしてくれたことがあった。
「うなされていたようだが、大丈夫か」と。
ぽろぽろと涙を流す私を、ぎこちない手で抱きしめて、慰めてくださった三成様。
ああ、この夢はいつ終わるんだろう。
ねぇ三成様。私、今とてもわるい夢を見ているんです。きっと今の私の顔は、見るに耐えないくらいひどいと思うのです。
だから三成様、早く私を
起こしてその後、同じ地に歴史を塗り替えるように新たな城が建てられた。
帰り道を失い、居場所を失った魂は、今も夢の終わりを望み続けているそうな。
―――
短いお話。
実際は家臣に刺殺されてから城が燃やされているのですが、城ごと命が燃え尽きるのもまた一興ということで。
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