Other Dream






中庭を掃除しているとき、珍しい影を見た。
最近ではすっかり床に伏せるようになったそのお方が、着物の上に厚手の羽織一枚で縁側に座っていらっしゃっる。覇気を無くしてしまった様な、自分のやるべきことは全て終えたと仰るような、達観しきった瞳はいったい何を映しておられるのか。
そろりとその視線の先を追ってみると、そこにはぽつりと桜の花。満開どころか五分咲きにも至らないが、気がつかなかった。いつからこうして花を開き始めていたのだろう。

「元就様」

箒をそばにあった大岩に立てかけ、歩み寄ると、そのお方はお顔を上げる。それから小さく私の名前を呟かれる。私は元就様のおそばに向かい、少し肩から落ちてしまっている羽織を直した。
そなたも座れ、と促される。本来ならば下賤の身であるこの私が、大殿様のお隣に失礼するなど、無礼なことなのだが、これは命令だと仰せられて以来、ずっとこうしてお隣に並ばせて頂いている。

「元春がそろそろ先に送った文を返す頃合だと思ってな。こうして待っていたのだ」
「あら…確かに、そうでございましたね。元春殿は元就様が文をお送りしたその日の内にお返事をお書きになるお方ですから」
「なんとも汚い字だがな」

元就様がお笑いになる。風が靡く。安芸の弥生の風とはいえ、ご老体の身である元就様にはお辛いことだろう。
「元就様、お体に障ります。中へ参りましょう」
「構わぬ。それより…久しぶりに餅が食いたい」
「餅、でございますか…」
床に就き続けたご老体の身である元就様に、餅は聊か危険。万に一つでも喉に餅を詰まらせてしまったらと思うと恐ろしい。しかし、餅は元就様の愉しみ。
戦続きで、ずっと采配を振るい続けられた元就様。暇なく重責をたった御一人で追い続けていた元就様。餅をこのような柔らかな場所で、安らぎのお気持ちで食すことが出来る筈の頃には、もう元就様のお体は…

「承知いたしました。直ぐに、持って参ります」

そう思うと、お体に障るという苦言を呈す気にはなれなかった。
言葉通り直ぐに、厨にいた男に餅を用意させる。花見をするならばこれも、と差し出されたのは杯と酒。越後でとれた米から作られた酒で、この餅もそれと同じ米を使用しておりますとのこと。
盆に乗せ、それらを落とさぬよう慎重に、それでも少し足早に元就様のお側へと戻る。
元就様は先ほどと同じように、あの桜をお眺めになっていた。

「…友を得て、」
「はい?」

餅と酒をお召しになっておられる最中、桜の花を瞳の中に移された元就様が口を開かれる。
反射的に返事をしてしまったが、あわてて噤む。元就様が、そのお言葉の続きを仰ろうとしておられたから、

「“友を得て猶ぞうれしき桜花 昨日にかはるけふの色香は”」

すっと詠みあげられた句。友、とは志道様のことか、それとも宍戸様のことか、児玉様かと、私が該当する方を探している中、元就様は私に微笑を下さり、
「そなたのことぞ、茜」
骨ばったその御手が、私の頬を撫でる。暖かな手、暖かな笑み。

かつての話、その御方は若い頃に溺愛なさっていた奥方様を亡くされてしまって以来、人を遠ざけるようになられたことがあった。
財である兵を駒として扱う非道さ、かつてのその御方とは思えないほどの、冷酷さ。無情さ。
はじめてその御方の本意に触れたとき、私はどれほど奥方様が羨ましいと嫉み、そしてこの御方を愛しいと思ったことだろう。そのとき手のひらに触れたその御方の涙は、何処までも暖かく、悲しみに満ち溢れていた。

この長い時は、果たして貴方様の御心を癒すための救いとなったのでしょうか。
私には存じませぬけれども、

「…お慕い申し上げております。元就様。これまでも、これからも――…」

貴方様を照らす光の一つになれますよう、茜は心から願い続けるのです。



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生誕小説は書かなかったのに命日は書く。すみません、生誕は間に合わなかった。
タイトルの元ネタは「をしむ夜の月は入ても鷲の山 雲よりたかき名やはかくるる」、道澄法親王の元就追悼の句です。
確か側室に詠んだ友を得て〜以外の句があったはずなのですが、なんということでしょう、メモした紙をなくしましてリアル土下座しました。

史実毛利様を意識したので、冷酷臭が薄いです。命日とか生誕のときはちゃんとBASARAとかじゃなくて史実を尊重したかったりします。しかし意識しようと努力しても上手くいかないという。歴史創作であげたらよかったと少し後悔しております。

短い文ですがお付き合いいただき有難うございました。


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