Other Dream






 夏。この時期は台風で作物がやられてしまう嫌な時期だ。果樹を育てられるし薄着で仕事をできることはいい。けれど、台風というものはやっぱり好かない。雨風はすぐにこちらの体力を奪いにくるし、動物たちも不安にさせてしまう。買い物にもいけないのだ。ただの雨ならどんなに楽だっただろうか。茜は窓の外を見ながら天気を確認して溜め息を吐いた。
 命を扱う仕事に天候やその時の体調は関係がない。動物たちは茜より先に目覚め、世話をされることを待っているのだ。なりたくてはじめた仕事に手は抜けない。茜はよし、と意気込んで突風の中を飛び出す。真っ直ぐ走ろうにも左から吹き荒れる風が、茜の足元を崩した。小屋の中にいる羊や牛の名前と表情を思い出しながらそれでもなんとか小屋まで辿り着く。一応夏であることが幸いしたのか、小屋の中は暖かかった。動物たちが外に出てしまっていないことに安堵し、一匹一匹の不安を取り除くように茜はいつもより丁寧に自分より大きな体格の彼らの背を撫でた。
 中央での世話を終えると今度は西側に設置した小屋の動物たちの世話にも向かう。同じくらいの時間をかけて同じ世話を終えた頃には既に昼を回ろうとしていた。今日はもうやることが既にないので寝てしまおうか。そう思い立ち、茜は家に戻ることにした。ポストの中に手紙が入っていることに気がついたのは、なんとなく習慣でポストを開いたからである。
 宛先は父、ダリウスだった。家に入ってから手紙の封を慎重に切って便箋を開く。中身は「そういえば」から始まる近況報告だった。時おりやってくるそのはじまりの手紙に茜はくすくすと笑ってから、本棚にそれをしまいこむ。「あれ?」と不意に思ったのは、一息ついてすぐのことだ。

 この手紙が配達されたのはいつだろうか。

 そんな疑問が浮かんだが、それについて悩む必要はなかった。答えは既に出ている。毎日ポストの中身は確認している。昨日もそうしたし一昨日もそうした。そして今日もそのいつもの癖でポストを開いて確認した。 昨日はこの手紙を見ていない。つまりこの手紙は今日配達されたということになる。それで、この手紙を配達したのは?

 「ウェイン…」

 ぽつりと唇から漏れたのは、去年の冬から付き合いだした恋人の名前だった。あの郵便屋で配達を担当しているのはウェインだとイーサンは前に教えてくれた。それから、以前ウェインが郵便屋の仕事を選んだ理由や、その仕事に対するポリシーについて色々と語ってくれたことを思い出す。茜と同じようにウェインも郵便屋の仕事が好きで働いているのだ。きっと台風のために投げ出すことが出来なかったのだろう。ウェインのその真摯さに胸をうずかせながら、茜はウェインに会いたいと率直に感じた。

 けれども実際に台風の中、外に出掛けてしまってウェインに無駄な心配をかけてはしまわないだろうか。茜がそれに気づいたのはウェインの好きなカフェモカを用意し、牧場を飛び出した直後のことだった。友人時代、去年の夏の台風の中、素材とお金欲しさに鉱石を取りに行っていたところをたまたまウェインに目撃され、心配されて家まで送り届けられたことを思い出す。どうしよう、と茜は嵐の中立ち止まった。三つ編みにした長い髪が強風の中で鞭のようにしなる。行くか行かないか、迷いながらもそれでも足は交差点の方に進んでしまう。心配されてしまうのはわかっていたが、それでもせめてこんな日まで配達をしてくれた恋人に気持ちを伝えたい気持ちの方が勝ってしまっていた。
 交差点を通り過ぎてウェスタウンの門をくぐる。いつもいる野犬はどこかに避難しているのかよく見えない。藤色ルピナスはなんだかいつもより花びらの数が少ないように見える。雨で視界がぼんやりとしていて、段差の多いこの街を歩くのはいつもより困難を極めそうだ。ぐっと眼を細めて、前方を注視する。岩のような何かが橋のそばにあることに気づいたのはちょうどそこが目の前だったからか、それとも岩ではないと本能が悟ったからなのか……足元にあの茶色のテンガロンハットが落ちていたことに気づいたからなのか。影の正体が分かった途端、茜は強風も雨も構わずに芽衣いっぱいに足を動かし、橋の方へ向かって駆け出した。はっきりと影が明らかになったところで思わず叫んでしまう。

 「ウェイン!!」

 地面にうつぶせになって倒れている彼の髪の毛は舞い上がった赤土で少し汚れてしまっていた。彼のお気に入りの青色のジャケットは雨でぐっしょりと濡れてしまっている。ハンマーは持てどさすがに成人男子を一人で担ぎ上げられるような力は茜にはない。どうしよう、とりあえず頼れる人、叔父なら…と茜は橋を渡り、フランクのところへ駆け出す。迷惑かもしれない。でも、一刻を争う事態だ。茜は走りながら「叔父さん!!!」と彼の家に向かってSOSの声を上げた。


 * * * *


 「風邪と疲労だ。薬を飲み、滋養のあるものを食べてよく眠れば治るだろう」

 ウェインの自宅である郵便屋の奥にフランクがウェインを運んでいる間に、茜が連れてきたこの街唯一の医者かつ彼の友人のフォードは「まったく」としかめた顔で彼を診察する。大の男二人で何とか着替えさせられ、ベッドに横たわった状態になったウェインはうなされたまま目を覚ます気配がなかった。ため息を吐いて「茜」とフォードが茜の方を見る。ウェインのそばに座り込んでいた茜は「は、はい」と顔を上げた。

 「薬はウェインが目を覚ましたら飲ませるように。あと起きたら本人に『ちゃんと朝食を摂りもう少し早く寝るように』と伝えること」
 「はい。……え?」

 耳を疑う言葉に聞き返したが、フォードはさっさと立ち去ってしまった。呆然とする茜の肩をフランクがたたきながら「まあ本人に聞くのが一番だろう」とフォローを入れる。それから帰るという旨を聞いて、茜は頷き、立ち上がって深々とフランクに頭を下げた。それをフランクは快活な笑みを浮かべながら「そう申し訳なさそうな顔をするな。これくらい当然のことだろう」と励ましてくれる。この気さくで頼りがいのある叔父にいつまでたっても嫁が出来ないということが本当に不思議でならない。茜の目線から見て明らかにフランクに好意を寄せている女性は街の中にいるのだが、それに伯父が気づいていないということもあるかもしれない。いろいろ言いたいことはあったが、とりあえずそれはまた落ち着いた時にでも、ということで茜は再度頭を下げた。
 そばにいた人たちが去り、部屋には荒い呼吸で眠るウェインと茜だけが残った。椅子に腰を掛け、テンガロンハットを被っていないウェインの額に触れる。額にはフォードとフランクが着替えさせた後に乗せた絞ったタオルがあったが、それはもうじっとりとした温かさを帯びていた。茜はそれを一度取り、キッチンにある水道で冷やして再度額に乗せなおす。気休めの好意だとは分かっていたが、少しでもウェインに何かしたかった。髪を撫でながら茜は薄く口を開いた状態で息をするウェインを見つめる。さっきフォードの言っていた言葉がちらついていた。

 茜はウェインと会うのは主に牧場での仕事を終えた昼頃だった。動物の世話をして、植物に水やりと肥料をして出荷の作業を終えてウェスタウンに向かった頃にはちょうどウェインが昼食をとっていることが多い。作ってくれたお礼や差し入れを兼ねてそのたびにコーヒーやカフェモカを渡すのが茜の習慣だった。土日は昼に買い物をしている最中にたまたまウェインとばったり会って話をするということが多かっただろうか。思えば夜や朝にウェインに会うということはなかなかなかったような気がする。
 考えてみればウェインの朝は牧場主の自分よりも早いのではないだろうか。自分が目を覚ましてすぐに牧場まで出た頃にはもう家のポストに郵便物が入っている、ということはウェインはかなり早い時間から起きて仕事をしてるというわけで。……ということは就寝時間は自分よりも少し早いはずだ。でもフォードは「もう少し早く寝るように」と言っていた。実は眠れていないことの方が多かったんだろうか。……。
 様々な推測は茜の頭の中をごちゃごちゃにしていく。少しも彼を支えられていなかったかもしれない、という事実が茜の心を重くした。しかし、そのことで泣いている場合ではないというのが現状である。溢れそうになった涙を堪え、椅子から立ち上がる。ウェインの額のタオルをもう一度手に取り、静かにキッチンのほうに向かった。


 * * * *

 生活音がふっと唐突に耳に届くようになって、ウェインは目を覚ました。あれ、おかしいなとウェインは寝ながら窓の外のほうに顔をやろうと身体を少し動かして気づく。ひどく身体が汗ばんでいる。ずるりと額から水っぽい何かが落ちたが、それよりもまず時間の経過が気になった。窓の外は薄暗い。夜?いやいやそんな、…確か、オレは配達に外に出たはずだ。そう、外に……でも、そのあたりの記憶が、ない。
 混乱するウェインだったが身体はそれ以上思うように動かせなかった。汗で体中の水分が奪われてしまっていて、体力も消耗してしまっている。何が起きたのかわからず、ウェインはとにもかくにも状況の把握に努めようとして、気づいた。…そういえばオレ以外の足音が聞こえる。台風の日はイーサンは郵便屋に来ないはず。だとしたら、誰?

 「ウェイン?目が覚めたの??」

 回答はすぐに与えられた。キッチンの方からひょっこりと顔を出したのは、今日本来ならここにはいるはずのない恋人。茜、と絞り出した声はかすれていた。茜は「ちょっと待ってて」ともう一度キッチンに引っ込む。水道をひねる音が聞こえたと思った次の時には、ウェインの目の前に茜と水の入ったコップがあった。
 「起き上がれる?ちょっと待って、ごめんね」と茜がのろのろと起き上がるウェインの背中を支える。そっとコップを手渡された瞬間、ウェインはそれを一気に飲み干した。が、突然の水分を身体は拒絶し、少しだけむせてしまう。すかさず茜はウェインの背中をそっと撫でた。情けない、と思いつつウェインは問いかける。

 「…茜、今日は台風じゃないか。なんで…」
 「……」

 困ったように茜が眉尻を下げ、ウェインからコップを受け取った。もう一度水を注ぎにキッチンに戻り、またウェインにコップを差し出す。今度はゆっくりとそれに口をつけるウェインに、茜は「ウェインがこんな日でも私の家に配達に来てくれたから…嬉しかったり心配したり色々思うことがあって、それで、会いたいって思ったの。そしたらウェインが橋の近くで倒れてて…」とゆっくりと事の顛末を話してくれる。それから、「ご飯食べれる?」と問いかけてきた。正直、食べられるような気分ではないが、キッチンの方からほんわりと食べ物の匂いが漂ってくることを思うと食べるべきだと思った。
 しばらくして温めなおされた茶粥が運ばれてきた。つゆくさの里のほうでは好まれる食べ物らしい。「体調悪い時はこういうのがいいんだよ」と茜が勧めてくれた通り、普段食べているオムレツやロールキャベツより、今はこういう薄味で軽いものの方がよく胃に入った。ゆっくりゆっくりと作ってもらったものを口に運んでいる間、茜はオレの隣にじっと座って待ってくれていた(「あーん」してあげようかと提案はされた。喜んでやってもらっていた所だったけれど、もうちょっと元気な時にやっていただきたいと思ったので断った)。レディーを待たせるのも少し気が引けたけれど、急いで食べようとするとそれにすぐに気付いた茜が、「ゆっくり食べないと消化に悪いってフォードさんに怒られちゃうよ」とのんびりした声で言うものだから、それに甘んじることにした。おかゆの味が優しいのは単純にそういう料理っていうだけじゃなくて、茜のそういうやさしさが詰まっているからなんじゃないかと錯覚してしまう。
 ある程度食べ終えたところで茜がフォードの薬と水を差しだしてきた。「私もよく開発助手のお手伝いしてるけど、元気になる薬はすごく元気になるよ」と勧められたので、苦みに耐えて一気に飲み干すと途端に体力が少しずつみなぎってくるような、そんな感覚になった。大分良くなったかもしれない。「ね、すごいよね」と笑いながらオレの額の汗を拭う茜の手付きは、遠い昔に風邪を引いた時に看病してくれた母親を彷彿させるものだった。

 「ねぇ、ウェイン」
 「…うん、ごめん」

 何を言われるのかわかっていたので先に謝ると、「ううん、違うの」と首を振られた。怒っているわけではなさそうで、どちらかというとその「違うの」の声色は悲しみを帯びているような気がした。ああ、これは謝ってなんとかなるどころの騒ぎではなかったかもしれないと身構える。けれど、予想していた言葉と実際の言葉は大きく違っていた。「あのね、謝りたいのは私のほうなんだ」なんて、何のことかむしろそっちのほうがよく分からなくて。

 「毎日毎日、どんな天気でも関係なくウェインは私の家に手紙を届けに来てくれるでしょう?でも私、この前やっとあなたと恋人になって、そうしてはじめて迎えた台風の日になるまでウェインのそういう大変さに全然気づけてなかった」
 「茜…」
 「私、朝にそれに気づいた時に今まで気づけなかったこととか、いろんなことにショック受けちゃって…でも何よりね、ウェインに今までの感謝とかちゃんと伝えたいって思って、それから、配達から戻ってきたウェインはきっと疲れてるだろうから、私に出来ることがあればしたいなって・・・思って外に出たら、今日はウェインが倒れてたんだよね…」
 
 「今日はもうちょっと早くポストを見ておけばよかったな」と茜が頭の後ろに手を当てて苦笑いをするのを見て、思ったことは色々とあったけれど率直にその感情をまとめるとしたら「やっぱりオレは彼女を愛している」というその一言に尽きた。言葉じゃ伝えきれないような気がして、でも一応オレは風邪を引いているわけだから「茜、抱きしめていいかな」と念のため事前に許可を取ることにした。「えっどうしたの!?」と唐突なオレの言葉に戸惑いながらも茜がうなずいてくれたから、衝動に感けてそのまま茜を抱きしめる。最初は戸惑うような声が上がっていたけれど、やがてそっとオレよりも細い腕が背中に触れるのを感じた。ウェスタウン式のあいさつでやっているそれとは違う意味のハグは、挨拶よりも心を潤してくれる。
 「ねぇウェイン」と小鳥のような小さな声が胸元から響く。何かなと尋ねると、「私ってきっとまだあなたの知らないことがあるんだよね」という返事が届いた。はは、と自然な笑いがこみ上げる。「それはいいことだよ」と返した。それにオレも茜の知らないことなんてたくさんある。精々分かることと言えば、他人のことを心配しているこの子だって台風の日にも関わらず牧場の仕事に手を抜かずにいることとか、こんな日なのに心配して会いに来てくれるほどオレを好きでいてくれるということ、オレはこの子に全幅の信頼をおけるということくらいだ。知らないことは確かにあるだろうけれど、それはそれでいい。だって。
 
 「オレたちの関係はまだこれからなんだからさ」
 
 さすがに唇にキスは出来ないから代わりに頬に口づけを贈ると、茜は「そうかもしれないね」と頬を赤く染めて笑った。暖かな時間の中、体調が回復したら雑貨屋と花屋に駆け込む算段をひそかに立て始める。悶々と山頂に連れだしたらなんて言おうかというところまで考えはじめた頃に、茜が「あ、じゃあ、そのまず知りたいことがあったんだけど」と唐突に口を開く。何、と尋ねた後の茜の声色はやっぱり心配モードで、オレはこの後の質問になんて答えるべきかを迷った。


 「フォードさんが朝食を摂ってよく休むようにって言ってたんだけど…朝ごはんは配達が早いとかいろいろあるかもしれないからともかく、ウェインっていつも何時に寝てるの?お仕事そんなに終わらないの…?」




 (この後「キミが居たら早く寝るかもね」などという冗談が出るまで怒られた)



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なっが!!
なっが!!
グダグダ書いてたらこんな文字数になってしまった。ウェインさんは本当に0時に寝て6時から配達とか私生活を省みてほしい。寝言が聞けなくてちょっとしょんぼりしてる。 


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