Other Dream


逆さまの本と動揺と



「放課後、暇か」
珍しく毛利君が教室で話しかけてきた瞬間だった。

「あ、う…うん。暇だから今日も本を読もうかと」
「そうか」
毛利君が、心得たというように頷く。
でもおかしいな。以前彼が教室ではあまり話をしたくないって言っていたから、教室での会話を避けてきたというのに。
何か重要な用事でもあったのかな?
でもそれなら放課後の図書室で良いはずなのに…と、私は少しだけ首をかしげながら、毛利君の次の言葉を待った。

「…」
「…」
「…」
「…?」

・・・あ、あれ、毛利君?
変なことに、彼の次の言葉がない。
ずっと私の目を見つめたまま固まっているおかげで、なぜか私も目をそらすことが出来なくて。
どうしようもないから、とりあえず「毛利君?」と声をかけてみる。
すると、彼はとても気まずそうに、私から視線を逸らした。

「――…放課後、我の家に来い」

玄関で待っていろ、そう耳元で小さく呟いてから、彼は自分の席に戻っていく。
そこでようやく、私は「え?」とつぶやくことが出来た。

****

なんでこんなことに。
私はホイホイついてきてしまった彼の領域で、小さく息を吐いた。

見た目からして少し和の香りがする彼らしい部屋。
ちゃぶ台におかれた緑茶から漂うかすかな煙。
私はそのお茶を一口だけ飲み込んでから、頭はおろか眼でも認知できない本の文字に目を向ける――フリをして後ろに座る毛利君を見ようとして、あきらめた。

見えるわけがない。
私の背中と、彼の背中がくっついている状態なのだから。

かすかに動く互いの体。
呼吸の感覚も感じられるほど、近い。

――毛利君がわからない。

私は指で文字の上からそう書いた。
だって、ふつうの恋人ならこういうことをしてもおかしくはないと思う。
でも毛利君と私は違う。

…?
少し毛利君の体重が、私に傾いた気がする。
気のせいかな?
うん、話を続けよう。

私はボランティアで彼のえさになっていて、彼は私の血が欲しいだけで、恋人とかそういう甘ったるいものではなくて。
吉川家が代々そういう家系だったのかを、以前私は母親に聞いたことがある。
母はその時「さぁ、私は嫁いできた人間だから、お父さんが単身赴任から帰ってきたときに聞いてちょうだいな」とはぐらかされてしまったけど…。

…本当に気のせいなのかな、やっぱり毛利君が重い。
でも読書の邪魔をするわけにもいかないから、私は背にぐっと力を込めた。

…確かに言えることは、私は別に特別な血液型というわけでもないし、何か特別な食事をしたわけでもない。
蚊は血液型などからおいしい血液を見つけ出すという話は、何度か聞いたことがあるけれど、毛利君もそうなのかな?
うんわからない…って、やっぱり毛利君が重い!
「も、毛利君、ごめん、ちょっと重…え?」

これはこれは、驚いた。
小さな寝息を立てて目蓋を閉じる毛利君。
彼も、もしかして読書に集中できなかったんだろうか?
その手にはなぜかさかさまの本。

…こんな毛利君、初めて見た。
自然と浮かぶ笑み、私はそれを抑えもせず、ただただ小さく笑う。
母性愛と加護欲に似た何かが、私の中から溢れだす。

もう少し寝かせてあげたい、もう少しこの寝顔を見ていたい。
そう思った私は、羞恥も、立場も、何もかもを忘れて彼の頭を膝に乗せた。
柔らかな髪の毛がスカートから覗く膝に触れてくすぐったい。
でも、そんな感覚も今は何故か「愛おしく」て。

「おやすみなさい」

柔らかな空気に溶けていく。
彼も私も、そして二人の「現実」も。

逆さまの本と動揺と、
あれから私より先に目を覚ました彼は言う。
「終電はもうとっくに行ってしまったぞ」



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