死
「元就様、私、元就様のためなら死んでみせます!」
だから、誰かを囮にする策とか、誰かが死ななければ成り立たない策があるときは、どうか私を使ってくださいと、ほざいたその女を我は思いっきり睨んだ。
「…そう申してくる者ほど、いざという時に逃げ出す」
「そんなことはしません!私は元就様が中国を納めるための協力がしたいんです!部下なら当然の気持ちですよ!」
「…先の戦で、長曾我部軍に陣を一つ奪われた瞬間、駒が幾らか逃げ出したが」
「!」
「あれは、裏切りではないのか?」
意地の悪いことを言っているという自覚はあった。
一体、この時の我は何を強がっていたのだろう。
人は、裏切る。
信じるなど、仲間など、親友など、所詮は偽り。
人間など、自分が一番かわいいのだ。
利用し、利用しあうだけが全て。
どちらが盤上の駒で、どちらがそれを動かす主なのか、それを競い合うことが定理。
…ああ、そうだ。
我はこの時、そう考えていたのだ。
いかにも「信じて下さい」というような事をいう女の言葉を、身体全てで否定したかったのだ。
「母は、決してあなたを置いては往きませんよ」――いくら信じてみても、叶わぬことがあった。
人は裏切る、裏切るのだ。
こうして目の前でへらへらと笑うこの女も、自分の命に危機が迫れば我を捨て置き逃げるだろう――。
「では元就様、こう致しましょう」
しかしその女は、我の言葉に挫けることはなく、再び笑った。
「私だけは、信じて下さい。
私は私の誓いを破ることなく、貴方様の為に散りましょう」
先ほど我の言ったことを全く理解していないのか、それはひどく滑稽な言葉だった。
そうだ、それから我が「貴様は愚かな女よ」と言ってやったら、その女は「違いますよ、女じゃなくて、茜です」と笑ったのだ。
何度も聞かされたその名前。
何度か見てきたその顔。
ああ、駒の顔など、全て同じもののように扱っていたというのに、なぜそなただけこんなにも。
「茜」
わざわざ手袋も外して、冷たく青白くなったその頬をぺちぺちと叩く。
かすかに動いているようで、動いていないその身体。
「茜、起きよ。我が呼んでいるのだぞ」
いい加減私のことを名前で呼んで欲しいですと、言っていたのはそなただったはずだ。
いい加減私の顔を見てお話ししてくださいと、言っていたのはそなただったはずだ。
頬を抓ってみる。
固い、我のそれよりも。
そして何より、ひどく冷たい。
今日は、風は吹いていないというのに、可笑しいものよ。
「茜、今日はそなたの身体にだけ霜が張り付いているようだ。
喜ぶがいい、この我が直々に溶かしてやるというのだぞ」
ぐっと体を密着させてみる。
ふわりと鼻を掠めた独特の臭い。
茜、そなたはいつから赤い花飾りを鎧に着けるようになったのだ。
嗚呼、まさか、本当に。
「茜、良い。もう良いのだ」
そなたのことをいくらでも信じよう。
そなたの言葉ならば、疑わずにいよう。
「茜、我の負けぞ。そなたの勝ちだ」
「だから早う、目を覚ませ」
こと切れたそなたを嘆く『元就様のためなら死ねます!』『馬鹿を言え、我のもとを離れるでない』
幸福な二人が、夢の中に消えていった。
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