****

鬱蒼とした空間だった。
荒れ果てた彼女の部屋。
さらにその奥にある仏壇に向かい合うように座っているのは、目があるはずの場所は包帯で巻かれ、鎖で繋がれてもなお、笑い続ける彼女だった。

「……ネジの声がする………ネジ…?」
「……舞衣…なぜこんな……」
「もう何も言わないで」
「っ」

笑顔がすうっと消えていく。
彼女が、本気であるという証拠だ。

「……ネジ」
「…待ってく」
「もう、手遅れよ」

流れた彼女の涙は、赤かった。

****

朝から不快な夢を見た。
何だったのだろう、ネジは少し首をかしげた。

昨日、アカデミーをトップで卒業し、今日はいよいよ未熟だが忍として、生きるための班編成が為される。
今年は卒業生の人数が三の倍数ではないから、どこかがフォーマンセルになるらしいがどうなるのだろう?…いや、そんなことはどうでもいい。足手まといさえいなければいいのだ。

ネジは、新品の額宛を巻こうと、鏡に立つ。
卍をかたちどられた緑色に光る不気味な印。…朝目が冷めれば、嫌でも見ることとなるそれが、ネジの視界に入った。

――宗家の、兄さんに…。
「・・・」

一瞬、過去の光景が、ネジの脳裏に警告のように浮かび上がった。
ノイズのかかった言葉。幾度も見かけた、いや、目で追いかけ続けた少女。
今日の夢にも、現れた少女。
なぜ、今?…考えることを止め、ネジは靴を履く。
最後に、誰もいない日向家を出た。

引きずり続けている憎しみを抱いて。

****

昨日まで同じ教室にいた者たちはもちろん、よそのクラスの者もいた。
周りが緊張やこれからの期待で、ザワザワとしている中、ネジは適当な席を探す。
「ん…?」
思わず、声が漏れた。
風に揺れる長い茶色の髪。琥珀色をした綺麗な瞳には、蒼い空が微かに映っている。

―――ああ、朝の少女はやはりアイツだったのか。
ネジは漸く合点がいった。
あえて、彼女の後ろの席に座る。そして彼女と同じく、その蒼い空を眺めだした。

どのくらい見ていただろう?高らかな声が耳に届き、ネジは漸く我に帰った。
前を見ると、アカデミーの教員であるイルカが、ここにいる人の名前を口にしている。
どうやら、もう班編成の発表がされていたらしい。前にいる少女を見ると、彼女も我に返ったのか、前を向いている。彼も、耳を澄ませた。

「第3班!日向 ネジ、テンテン、ロック・リー、美瑛 舞衣!この班は特別4人だな」

美瑛 舞衣…その名前にドクンとネジの鼓動が早くなった。
その名前こそが、少女の名前。
美瑛一族の親戚にあたる名門、美瑛一族の分家で、彼女は美瑛始まって以来の天才と言われ、周りは彼女を語るとき、「分家であることが惜しい」と口々に言っていた。
くの一クラスをトップで卒業したという話も聞いている。

いや、それだけじゃない。
彼女は、ネジにとって、希望。傷つけられてもなお、翼をはためかせていく彼女は、彼の、光。
誰にも気づかれない程度の微笑を、ネジは浮かべた。

****

指示通りの教室に入る。まだ人はいない。
開きっぱなしの窓から吹き抜ける風が、ネジの髪を僅かに揺らした。

一応持ってきていた弁当を、ネジは開ける。
適当に、早朝から開いている店で買ってきた弁当。
使用人を宗家の伯父が気を利かせて寄越してくるが、頼っていたのはつい数年前までの話。憎き宗家にこれ以上頼りたくはなかった。が…かといって自炊が出来るわけでもなかった。
彼は料理が得意ではない。出来合いのものを買うか、食べないか、外食か。
常に彼の中ではその三択しか存在していなかった。

ぱきんと、割り箸を割って、ネジは弁当を食べ始める。
今日の弁当はほんのりと赤く色づいた鮭弁当だ。
まずは隅に添えられた漬物を少し、彼は食べる。
…扉が開いたのは、漬物を噛んでいたときだった。

「あれ?まだあんたしかいないの?」

お団子状に髪を結った女が現れる。
…おそらく、こいつがテンテンだろう。
彼女は、ネジにつかつかと近寄り、恐る恐るという風に、声を掛けた。

「ねぇ」
「…」
「…日向ネジよね?」
「…ああ」
「ふーん。クラスの子はかっこいいって言ってたけど。こうして見ると普通ね」
そう言ってから彼女は、ネジよりも少しはなれた場所で、弁当を広げた。
「さて、いただきます」
それから、また無言。
もくもくと、二人は違うペースで弁当を食べ続ける。
次に扉が開いたのは、ネジが食べ終わった頃だった。

「あ。お二人とも、来てたんですね」

眉の太い男が現れる。
この男には見覚えがあった。
「…まさか、お前まで合格するとはな。リー」
「ええ、今回は体術試験でしたからね!」
にかっと彼…リーは笑う。
アカデミー時代はよく、この男と話をしたものだった。…一方的に、勝負を挑まれただけだったのだが。

「…お前のような落ちこぼれでも合格するとは…世も末だな」
ため息をつきながら、ネジはそう言った。
冗談ではなく、本気で、だ。
なぜなら、彼は…。

「きゃぁ!」
「!?」

突然、ドアのほうから小さな悲鳴が響いた。
リーが、「あ、閉めるのを忘れていました」と、小さく呟く。
ネジは、ゆっくりとその声がした方向を、見る。
「・・・!」
――ありがとう、あの…また会えるかな?
光が、其処に倒れていた。

****

彼女はどうやら転んだらしい。
鼻を押さえながら、涙目になっていた。
「あ、あう〜…いたい…」
「ちょっと舞衣、大丈夫?」

テンテンが、彼女に駆け寄っていく。
どうやら知り合いだったらしい。呼び捨てということはそれなりの仲なんだろうか。

「テンテン…ああ、うん。大丈夫…鼻打った…」
「ああもう、すぐ冷やしなさい!はれたら可愛い顔が台無しよ?」
「いや、腫れても腫れなくても変わらない残念な顔だから大丈夫だよ」

「かわいらしい女性ですね」
いつの間にか隣に来ていたリーが言う。
まさか、初めて顔を見たとは言うまい。
「お前…班分けのときに名前を聞かなかったのか?くノ一トップもわからないのか」
「そんなことはないですよ!ただ、近くで見るのは初めてでしたから」
リーが、少しだけ楽しげに笑う。これからこの班員で過ごしていくことが楽しみなのだろう。

「青春してるか──!!お前ら──!!!」

…教室中に響き渡りそうな声で、空気が一瞬で凍てついたのは、それからまたすぐのことだった。

****
場所を移動し、ようやく先ほど空気を凍てつかせた元凶が「と、とりあえず」と、口を開いた。
「ま、まぁとにかく…全員集まっていることだから、自己紹介をしよう!
まずそこの…黒髪長髪のキミから!」
「日向 ネジ…他に答える義務はない」
「あれぇ?じゃあ女の子にも見える外見だから、性別は確定されないままだよ?いいの?」

舞衣の茶化したような言葉に、ピクリとネジの身体が跳ねた。
確かにそうだ。名前だけははっきりしたが、性別は確定されていない。
もしこのまま勝手に女扱いされたら…観念して、ネジは「性別は男」と呟き、舞衣を睨みつけた。

「はっはっはっなかなか面白いメンバーだなぁ。…じゃあ次、そこの着物のキミ!」
「はーいっ!美瑛 舞衣です!
好きなものはまぁいろいろですけど…嫌いなものは南瓜や異常に甘いもの…クリームとかです。
趣味は読書、使う術はややこしいですが自然を操ったり…かな?」

舞衣の【南瓜】という言葉に、一瞬ネジは反応した。
南瓜は彼の苦手な食べ物だ。
…さっきは、口にはしなかったが…まさか、好みが揃っているとは思わなかった。
しかし、それには誰も気づかないまま、話は進んでいく。

「僕はロック・リーです!好きなものは激辛カレー、嫌いなものはありません!!趣味は努力です!!体術を使います!!
そうだ、ネジ君。さっきの自己紹介に血液型を足さないと、輸血のときが大変ですよ」
「輸血などしない」
「…あたしはテンテン、好きなものはゴマ団子で嫌いなものは梅干ね…趣味は占いで飛び道具を使うわ!
あ、ネジだっけ?嫌いな食べ物は言うべきよ。任務とか困るでしょ?」
「余計なお世話だ!」

そして最後に男が勢いよく立ち上がった。

「私は木ノ葉の碧い猛獣!マイト・ガイだ…!!!」

キラーンと歯を光らせるガイ。
熱い。熱過ぎる。自分の嫌いなタイプだということはよくわかった。
男は言葉を続ける。

「今日からお前たちも下忍になった!お前たちの目指すものを聞いてみたいぞ!うむ」
「答えたくない…」
ネジはぽつりと呟いた。第一、聞いてどうするというのか。

(この先にあるものは、変えようのない運命によって、すべて決められているというのに)

「せんせ―――!!」
突然、ガイ…一応「先生」はつけるべきかもしれないが、心中くらいでなら呼び捨てでも構わないだろう。
ガイと同じくらいの声量で、リーが声を上げた。

「たとえ忍術や幻術が使えなくても───立派な忍者になれることを証明したいです!それがボクの全てです!!」

…愚かな男だ。
そんな短い評価が、自分の脳裏に浮かんだ。
なにをしても、その夢はきっと叶わないだろう。持ち合わせているその能力が、伸びるところは決まっている。たとえ届いたとしても、程度が知れたものだろう。
ああ、ほんとうに、おろかだ。

「キミィ!!何がおかしいっ!!」

そのとき、バッと、彼は自分を指差してきた。
どうやら、自分の嘲笑は外側に出ていたらしい。
ここで黙るのも可笑しい話だ。それに、現実は早いうちに理解しておいたほうがいい。
だから、オレは【教えてあげた】。

「お前…忍術も幻術も使えないって時点で忍者じゃないだろ。何だ?ボケか?」

その言葉にリーは目を見開いた。
みるみるうちに悲しそうな顔に変わっていく。

「熱血さえあればそうとも限らないぞ!!」

しかし、オレの声でも、リーの声でもない野太い声が、彼の表情を変えた。
声のした方向を向く。
確認するまでもない。ガイだ。

「フフ…良きライバルと青春し競いあい高めあえばきっと立派な忍者になれるさ!!努力は必要だけどな!」

…くだらない。その歳でまだ幻想を抱き続けるとは、馬鹿馬鹿しい。
もうこの男たちと話をするのは時間の無駄だと悟り、オレは景色を見る。
空は、相変わらず綺麗だった。

****

それから明日ちょっとした演習を、9時に第二演習場ではじめることを告げられ、6人は解散した。
オレは、帰り道を1人で歩いていくはずだったのだが、美瑛と日向を挟む森までは、舞衣と道が一緒で、結局、自然と二人は並んで歩くこととなった。

しかし、お互い何も話はしない。
無言で、とぼとぼと、森の中を歩いていく。
親戚であり、特別な存在。その舞衣と、今まさに、並んで歩いている。
馴れ合うことはあまり好きではないはずなのに、落ち着く。

…そういえば、初めて会ったとき、彼女は此処で涙を流していた。
あれから心配だったのだ。また泣いていないか、と。
案の定、最初の一ヶ月は1人で本ばかり読んでいたらしいが、その後は本当に元気そうだった。
そうだ、その話をしようか。なんとなくそう思った。
このまま何も話をしないで気まずいままでいるのも、正直、辛い。
だから、オレは口を開いた。

「舞衣」

びくんと、彼女の肩が揺れる。
動揺されるほど、話しかけられたことに驚いたのだろうか。
初対面のテンテンに貶されるよりも、正直、自尊心に近い何かが傷つく。
彼女が声を上げたのは、声を掛けてから数十秒ほど後のことだった。

「な、何…?」

こわごわと、という表現が、今の彼女にはぴったりだろう。
茶色の目が、オレを恐る恐る捕らえる。
小動物のような目だった。

「…何だその反応」
「ごめんなさい。びっくりしただけ」
「そうか、それは済まないな。それより…元気そうで良かった」

舞衣が、ぴたりと立ち止まった。
下を向いて俯いたまま、動かない。
明らかに様子が可笑しかった。

「・・・舞衣?」

慎重に、声をかけてみる。
すると、彼女は顔を上げた。あの、快活な笑顔だ。

「ごめん、なんでもないよ」

笑う笑う…そんな彼女を見て、ネジは首を傾げた。
(泣いている舞衣…そういえばこいつは…あのとき、何故泣いていたのだろう?)
思い出そうとしても答えが出てこない。
ネジは必死に記憶を辿るが、舞衣の声で思考は切断される。本日数度目の切断だ。

「そういえば、こんなふうにネジと話すの、久しぶりだね。覚えてた?あたしのこと」
「あ、ああ。アカデミーの入学式の次の日に、道端で泣いている奴を、忘れるわけがない。あのときは早くも着いていけないとかで、泣いているのかと思った」
「ああー確かにね」

話しながら、二人は歩き続ける。
美瑛の集落に続く道が現れたのは、それからすぐのことだった。

「じゃあね!明日頑張ろっか!」
「…あぁ」

答えが出てこないまま、結局ネジは考えることを止め、帰路に向かって歩いていく。
それが間違いだったということに、ネジはまだ気づかない。

誰も、気づかない。

****

闇を持つ者同士なら、必ずその闇を感じとることができる。

あたしはあなたの闇を知り、あなたはあたしの闇を知る日が必ず来るだろう。

とりあえず今は道化師のように笑い泣いておく、それだけだ。

ごめんなさい、あたしは悪い子です。

****

はじまりの朝
今めくり出す物語の1ページ。
これはまだはじまりの序章に過ぎない。


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