****


愛してくれてありがとう


****

「舞衣…」
酷く悲しそうな声が、部屋に虚しく響く。
あたしは、まだ繋がれたままの足の枷も砕く。
そして、軋む身体を直立させた。
「舞衣…!」
ネジが、こちらに駆け寄り、あたしの身体を支える。ついさっき触れ合っていたはずなのに、酷く懐かしく感じた。
「ネジ、ごめんなさい」
潤んでいく眼をごしごしと擦って、ネジの胸板にしがみ付く。
「まったく…確かにオレは自分で考えろと突き放しはしたが、それ以上のことは言っていないぞ?」
「うん、…ごめんなさい」
「…もう、勝手に一人で行動するな。約束しただろう、忘れたのか?」
呆れたように笑って、彼もあたしの背に手を回す。
それから、少しだけ身体を離す。まっすぐと、あたしがネジの目を見れるように。

「――オレがお前の運命を変える、と」
「…うん。でも、ネジ。さっきからずっと思っていたの。
あたしにも、変える力があるんじゃないかって」
「そうだな。それなら」
「…うん」

「二人で、変えてみよう」

ほぼ同時に、二つの声が重なる。
小さな嘲笑が聞こえたのは、そのときだった。
声がした方向には、叶えたい願いの一欠けら。
楽しそうに笑っているはずのそれが、とても悲しそうで、苦しそうに見えた。
「…馬鹿だな、舞衣。お前は呪印がある限り、オレからは逃げられないんだよ。
それで、運命を変える?ふざけるのもやめような、舞衣」
きりきりと、首が絞まっていく。
蛇に絡みつかれたように。鎖で縛られていくように。
遠くで、「舞衣!」と叫ぶ声が聞こえる。
もう、返事は出来なかった。

「お前はオレと一緒に死ぬんだ…。
こんな、オレとお前が結ばれない世界から離れるんだ。
そうしたら、きっと二人とも幸せになれる。
オレは今度こそ、舞衣を守れるんだよ」

レン兄さんの笑い声が、耳に響く。
…もう、だめ。
ずるっと、体が重力に従って、下に落ちる。
ネジの怒鳴り声が、遠くで聞こえた。
(…だ、め。ネジ、逃げて…)
レン兄さんは、ネジがどう動くか、どう考えているのかを、視ることが出来るのだから。

****

急がなければいけなかった。
レンの印が結ばれたままの右手、あの形さえ崩せば、舞衣はひとまず助かる。
それなのにどう足掻いても、レンに攻撃は当たらない。
次に此処へいこう、あそこに柔拳を打とう。…そんな考えも、何もかもが読まれている。
(…だが)
胸に当てられた左手と、組まれた印。
このどちらかを離さなければ、オレに攻撃は出来ない。
外すなら、印だろうか?それとも、息絶えた舞衣を追うのか?

「そうだな、それならもしかしたら一緒に行けないかもしれないな」

オレの心を読んだレンが笑う。
彼は、オレの柔拳を身軽に交わしながら、「気を失ったか」と呟いて、印を解く。それから、背のほうに仕込んでいた刀を取り出した。

「なんでオレが舞衣と一緒に死なないといけないか、解るか?
本当は、オレが舞衣のそばにいるはずだった。
舞衣が笑いかけてくれるのは、求めるのはオレの筈だった。
それなのに、それなのに一族の慣習が!しきたりが!オレから全部奪ったんだよ!!
この手は舞衣を守る代償行為すら許さない。舞衣と契ることすら許されない。
死ぬことでしか許されないのさ!
跡継ぎのいなくなった美瑛一族は確実に滅ぶだろう。こんな狂った一族は、この世界には要らない。
幸せなことだと、どうしてお前は思わないんだ!」

「お前のせいだ!
お前が、お前が余計なことを舞衣に吹き込んだんだ、
人形は持ち主だけを愛せばいい、他の者に対する感情は要らない。
それなのに、お前のせいだ!
お前が、オレと舞衣を壊したんだ!!」

「!!」

激しい突風が、その部屋に流れ込んだ。

****

うるさい、うるさい、うるさい!!

何が、お前に何がわかるというんだ。

「本当は舞衣の幸せが何か気づいているくせに」

「本当の答えは見えているくせに」

「お前のそれはオレとは違う。ただの執着だ」

「守りたいのなら、どうして傷つけるんだ。もっと違う方法があっただろうに」

「何故お前は、舞衣の目を見ていないんだ」

ちがう、ちがう、ちがう!!
お前に語られたくは無い。
何故、何故そんな眼でオレを見る?
かわいそうだとでも言うように!

「このまま大人しく舞衣を渡せば、諦めれば、今までの自分が否定される。
それが怖いのか」

五月蝿い。

「舞衣は、その恐怖を乗り越えたというのに。舞衣はお前の目をそらさずに見ていたというのに」

五月蝿い。

「弱いな。何処までも」

五月蝿い!!


…静かに、オレは手にチャクラを集める。
忠実なあいつが教えてくれたこの禁忌。
寿命が削られるということを、心配をする必要は無かった。

(行くんだ。こいつを倒して、今度こそ二人が幸せになれる世界へ)

いつかわからない、昔見た夢が浮かぶ。
鎖に繋がれたオレの人形。
全てを諦めてくれた人形。
努力したつもりだったが、やっぱり夢は現にはならないものだなと、オレは苦笑する。

手を、前に出した。


****

「くっ…」

一瞬、だった。迂闊、だった。
使えるとはなんとなく予想はしていたが、まさか伝心法を解除して使ってくるとは…。
服は一瞬でボロボロになり、身体のあちこちから血が垂れている。
命の代償として得た力だ、これくらい強くて当然だろう。
(舞衣のを見てきたが…喰らうと、きついものだな)
なぜか落ち着いている心の中で、そう呟く。

…大丈夫だ。立ち上がれる。軋む、悲鳴を上げる身体を、オレはゆっくりと起こした。
「…白眼」
チャクラを眼に、そして手に集めなおす。
なんだ、傷ついたのは表面だけじゃないか。身体が何かで串刺しにならない限り、オレは死なない。それは、かつての任務ですでに明らかとなっている。

「ハァ!!」
手を、レンに勢いよくもって行く。しかしそれは、当然のようにかわされ――――。
「がはっ」
腹部に、見えない何かが突き刺さった。

****

―――もうろうとする。
これは夢?現実?…わからない。
でも、きっとこれは夢なんだろう。
だって、外の声が何も聞こえない。

見慣れた、感じなれた暗闇が、目の前に広がっている。
そこに、また誰かがいた。

「…ねぇ、どうしたら助けられるかな」

はじめて、あたしからその「誰か」に声をかけてみた。
誰かはこたえない。
ただ、ゆっくりと、こちらに近づいてきた。

「・・・あなたは」
「…うん」
「あなたは、とりあえず起きるべきよ」
「もう、あたしが何か助言とか、嫌味を言う必要はないわ」

「…だって、あなたの中では、答えはもう決まっているじゃない」

夢の中の誰かが静かに笑う。
なんとなく、いつもよりも優しく見えた。

「―――…自分で選択肢を作るのが、運命を変える力よね」
「そうね。そのとおりだわ」
「・・・ありがとう。起きるわ、あたし」

遠くから、声が聞こえる。
真っ赤な血の香も、現実の世界も。

あたしの形をした夢のかけらは、少しだけ寂しげに笑った。


****

大切な人がいた。
傷つけあうことしか出来なかったけれど。
怖くて、怖くて、しばらくはずっと目をそらし続けていたけれど。
本当はずっと昔みたいに守りたかった。目を見て向き合いたかった。
ネジが鳥籠に閉じ込められているあたしに気づいてくれて、救おうとしてくれたように。
あたしも、本当はずっとその存在にひるまずに手を差し伸べたかった。

心の底から「――――」と叫びたいと思えた人がいた。
彼があたしの手を取って、支えてくれると言うのなら、
彼があたしを救うと言うのなら、
あたしは彼の恐怖も痛みも、何もかもを取り除いてあげたかった。
でもあなたは、あたし以上にずっとあたしを守ってくれた。
今日だって、此処に来てくれた。

どちらかをとるなんてできない。
どちらも大切だった。どちらかを捨てるなんてできなかった。
そんなあいまいな回答で、本当の答えが、結末が見つかるのなら。

――――そう、あたしの答えはもう、決まっていた。


「もう、終わりだな」


遠くでレン兄さんの声がする。
やっぱりどこか悲しげな、何かから逃れようとしている表情をする兄さん。
壁に寄りかかって、荒い呼吸をするネジ。血まみれのネジ。

そんなネジに向かって、悲しげなあの人が、手に持っていた刀を向ける。
「じゃあな、日向 ネジ」
そして、それを振り上げる。

考える暇は無かった。

本能で動いた瞬間、
すべてが、赤く染まった。







…間に合った。
朦朧とする意識の中で、あたしはそれを実感した。

眼を見開いているレン兄さんの手に握られたままの刀。
あたしの手から放たれた刃。
その二つが、深々とお互いの身体に突き刺さっていた。

「…レン兄さん」
ぴくりと、ほうけていた彼が、あたしを見た。やっとそらさずに見てくれた。

「あたしね、兄さんのこと、大好きよ。
独りぼっちになったあたしのことを、兄さんは…お兄ちゃんは、助けてくれたよね。
わたしね、すごくうれしかった。
お兄ちゃんと新しい家族になれて、嬉しかったの」

意識が、朦朧とする。
頭のてっぺんから、サーっと血の気が引いていくような気がした。

「お兄ちゃん・・・ずっと、苦しかったよね。
ごめんね。お兄ちゃんを苦しめたいとか、そういうつもりはなかったの。
お兄ちゃんが嫌いとか、そういうわけでもないの。
私は、本当の家族として、お兄ちゃんを愛してたんだよ」

ずるうっと、レン兄さんの身体が崩れ落ちた。
同時に、あたしの身体も崩れ落ちる。
べちゃっと…水溜りに、二人の身体が沈んだような気がした。

「舞衣…」
小さく、レン兄さんの声が聞こえる。
懐かしい、本当に暖かい声。
眼を見てみると、その瞳は酷く潤んでいた。
…言葉は、ない。
もう、それっきりだった。

「・・・」

それを確認した瞬間、上半身を支えることもままならなくなる。
体が、後ろのほうに傾く。
受け止めたのは、やっぱりネジだった。

「・・・ああ」

思わず、感嘆の息が漏れる。
よかった、刀…ネジには刺さっていない。
ああ、あたし。

「守れたんだ…ネジも、兄さんも、ぜんぶ・・・」

ネジが、あたしの手を必死に握り締める。
小さく、あたしが大好きな声で、「舞衣」と呼んでくれていた。

・・・本当はね、言いたいことがいっぱいあったんだ。
貴方への想いの始まりは、この前はなしたとおり一目惚れで、
こんな言葉で括りつけるのは嫌だろうし、あたしも少し陳腐な物言いだと思うけど、貴方は私の「運命」で、
貴方が手を引いてくれたからあたしはここまで来ることができて、
それはもしかしたら「逃げ道」だって、貴方はまたあたしを突き放すかもしれないけれど、でも違ったわ、貴方はあたしの「希望」、初めて感じた想いと何も変わっていなかったってこと。
たくさん言いたいことはあったんだけど…眠くて、言葉が出てこないの。
ちゃんと、次起きたときには言うから…今は、ちょっと勘弁して欲しいかな…。

「あ・・・でも・・・」

忘れてたら駄目な一言、あるんだった。
これを言ったら…もう、寝よう。


「…愛してるわ、ネジ・・・」


柔らかな夜が、静かに訪れていった。

****

日記はそこで終わりだった。

彼女が生きてきた証を、オレは静かに閉じる。

足りないところは、オレが勝手に付け加えながら埋めていったその物語。

「舞衣」

さらりと、髪を撫でる。

今にも飛び起きそうなほど、安らかな顔だった。

「早く起きないと、最後のページが埋まらないぞ」

未完成の物語を、オレは彼女の胸元に置いた。

****

君の不滅、僕の不滅
さあ起きて、一人でなんて終われない。


(1/1)
[back next]

- ナノ -