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何が正しいかなんてわからない。

選ぶべき未来?

誰が決めたのそんなこと。

あたし、は。

****

「ネジ、デートしよう」

言った瞬間、せっかく美味く入れたお茶をネジが鮮やかに噴出した。汚い。

「あーもう、そんなに驚くようなことだったかしら?」
「ごほっ…当たり前だ!いきなり何を言い出すかと思えば…」

布巾を出し、ネジは汚した場所を拭き始める。
一枚じゃ足りないからもう一枚を出して、あたしも拭き始める。
でも「汚いから止めろ」と取り上げられた。なにこれ、すごく手持ち無沙汰。
…まぁいい、お言葉に甘えて、自分の話を続けよう。

「あのね、なんとなくデートしたいなって」

嘘がすらすらと出てくる。
この言葉の裏に、何があるのかネジは気づいているだろうか?
彼は、気づいているだろうか?
昨日から、ずっとあたしが壊したはずの仮面を被っているということに。

(ごめんね、ネジ。これで最後、だから)

…そう言い訳と謝罪をしつつ、あたしは嘘を吐き続ける。

「やっぱり好きな人といろんなところに行きたいのよ。あ、別に焦ってたりとか、そういうわけじゃないのよ?
ただ…少し、わがまま言いたくなっただけ」

こういえば、優しいネジは断れなくなるということを、あたしは知っていた。
だから、あえてその言葉を選ぶ。
確実に、今日という日を楽しめるように。

…案の定、彼は「仕方ないな」と頷いた。

****

昼下がりの青空の下。
冬の気配を感じる澄んだ空気に包まれ、あたしたちは歩く。

…肌寒いからと、ネジに無理やり厚手のパーカーを着させられたのが少し悔しい。
せっかくかわいいワンピースがあったのに、風邪を引いてでも女の子は好きな人の前ではもっともっとかわいい自分でいたいというのに。
ネジの馬鹿。でもそんな優しさが、好きで好きで堪らない。

行き先はなんとなくだけど決めていた。
これはサクラやいのと前にお茶をしていたときに聞いた情報だ。
彼女たちならそういう話にも詳しいし、間違いないだろう。

というわけでまずは、デートスポットとしては王道の映画館へ。

「ホラーと恋愛と学園ものだって。どれにする?」
「…早く始まるのは学園ものだな」
「じゃあそれにしよっか」

一言二言で映画は決定。
ネジが券を二枚分買っているうちに、あたしは持ち込む飲み物を買う。
とりあえず、眠くならないように、アイスコーヒー二つ。

「舞衣、もうはじまるみたいだぞ」
「うん」

券とコーヒーを交換し、あたしたちは映画を心待ちにしている人たちに混ざりこんだ。

****

…誰だ、学園ものだと詐欺った広告を作った輩は。

学園もの、まぁ確かに間違ってはいない。間違っては。
でも誰がガイ先生お得意の青春面をした一般人の顔を見てホラーだと判断出来るだろうか。

映画館から少し離れた喫茶店のテラスの一角。
二人の前に置かれた飲み物とアイス。
あたしの前には、「生きているか、お前」という心配そうな顔をしたネジが居た。

…話は一人の女の子が幼なじみの女の子を崇拝しているという単純な設定からはじまる。
ちなみに巷で流行りの百合とか、同性愛ではない。
ただ純粋に、たった一人の女の子を神のように崇拝し、忠誠を誓っている主人公の話なのだ。

主人公曰わく「人形のように愛らしい」女の子の周りにいる人間を、主人公は女の子から遠ざける…ことはなく、最初はとにかく平凡。
つまらないほどに平凡な学園もの。転機が起こったのはそれを30分程見ていた後だ。

女の子が密かに恋していた男と付き合い始めた。
その瞬間、「神様が人間なんかに汚された」と主人公は激怒。
「私だけがあの方を守れる。あの方の後ろに立てる者は私だけ」とわけのわからない理論を立てた彼女は次々と彼女の周りを惨殺開始。
最終的にその狂気は彼女自身に向いていき…最後は何かを抱きかかえて笑う主人公の姿で締められた。

…あたしも忍だし、人を殺すシーンには慣れている。
実際殺さなきゃいけない任務もあったし、殺すときはなるべく楽に、一瞬で仕留めてあげる。
それが死者への最後の手向けというもの。

でもこの主人公は違う。
「この世で一番苦しく」を目指した殺人、そこに優しさや慈悲はない。
ただ憎いから、憎い分だけ恨みを込めて包丁やらなんやらを突き刺していく。
そんなシーンが、とても怖くてたまらなかった。

「…気分転換に、場所移動するか?」

まだ時間もあるし、とネジが店の壁掛け時計を指差す。
こくりと頷いたあたしの視界の先には『本』の文字があった。

****

デートに本屋を選ぶカップルなんて、多分この世に一組しかいないんじゃないだろうか。

「舞衣、何かあったか?」
「んーまだ…ちょっと迷ってる」

物語は頻繁に読んでるんだけど、雑学とかの本に最近は手を出していなかったのよね。
ちょっと前までは心理とか、花言葉とか、色々手を出していたんだけど…困った、似たり寄ったりの本ばかり読んでるから、何が家にないのかわからない。

「『宗教と心理』『世界の拷問・実験』…お前、さっきあの映画に怯えていた割にはエグいな」
「…でも、さっきの女の子の思考回路を調べるにはこういう本が一番じゃない」
「あの脚本を書いた奴の心理状況もな」
「そうそう。…あ、そういえば、ネジは何か選んだ?」

問いかけながら彼の手元を覗き込む。その先にはあの映画と同じタイトルの小説。
あの女の子の心理が知りたいのなら、原作を読むのが一番手っ取り早い。
同じじゃないかと笑うと、ネジもつられてはにかんだ。

****

「あ」
外に出た瞬間、そう小さく声が漏れた。
すっかり日が落ちて暗くなった空から、ちらほらと降ってくるそれは…。

「ネジ!雪よ、雪!」

海の底のようにくらい、先の見えない空から降ってくるそれが、あたしの身体に付着しては溶ける。
「きれーい!」
「全く…雪なら毎年見れるだろう?」
「毎年同じように降ってくるわけじゃないから特別なの!」
苦笑するネジにあたしはきっぱりとそう返してから、雪を掴もうと飛んだりしてみる。それと、ふわふわ舞う雪を見るために上を向いたり、一回転してみたり。

「くしゅんっ」
そのとき、黙り込んでいたネジが、咳を一つ。
あ、そっか。あたしは動き回ってたけど、ネジはあたしを見るだけだったものね。
どうやら、帰らなきゃいけないらしい。
…つまり、あたしにとってはここからが本番なのだ。
ごくりと、いつの間にか咥内に溜まっていた生唾を飲み込む。
そして…一目を気にせず、あたしは勇気を出して、「そろそろ帰るか?」と聞くネジの胸に飛び込んだ。

「…舞衣?」

驚いた、というような声色をしたネジの声が、すぐそばから聞こえる。
ああ、約束守ってくれているんだ。
彼の首には、よく見るとあのネックレスがついていた。

…言わなきゃ、言わなきゃ。
これは最後の抵抗。最後のわがまま。

ねぇ、ネジ、お願い。

「…ねぇ、おうち、帰ったら…」

その思い出を胸に抱いておきたいの。
あなたを愛してきたって言う事実と、愛されてきたという事実を、あたしの心内(なか)に刻み込みたいの。

「…ああ、わかったよ」

少しくぐもった声で、ネジは返事を返した。
****

家に帰って、適当にご飯を食べて、ネジが先にシャワーを浴びに行って…そして今度はあたしの番。
よくもまぁ、あんな恥ずかしいことを言えたと思う。
でも、実は望んでいたの。

ネジにもっと触れられたかった。
満たされたかった。
女の子だって、そういう欲求があるの。
…この歳でこういう行為をしようだなんて、考える日が来るとは思っていなかったけど。

きっと、こんなふうに従兄に追い詰められなかったら、そんなことは後回しにしていたかもしれない。
早いから、もっと大人になってからと、ネジにストップをかけ続けていたかもしれない。
でも、今はもう状況が違う。
この夜が、あたしとネジの最後の夜なのだ。
だったら、身も心も一つになって、綺麗で幸せな心で、全てを終わらせたかった。


無駄な毛の処理を完璧にし、お風呂場を出る。
これから汗でべたべたになるであろう髪を整え、下着や浴衣に汚れはないかを確認する。
うん、大丈夫。
くるりと、さっき雪が降る夜の中でやったときのように、鏡の前で一回転。
とりあえず問題は無いらしい。

タオルを肩にかけたまま、脱衣所を出る。
これであとは、ネジの部屋に行けばいいだけだ。
みしっと…木で出来た床特有の音が、夜の空気に響く。
それがまた、不思議と羞恥心を増大させた。

「・・・」

そして、ついに件の部屋にたどり着く。
この部屋の向こうに、ネジはもういるのだろう。
緊張で、心臓がバクバクと激しく波打つ。
初体験なんてそんなものだろう。
どっちが誘ったなんて、こういうときは関係ないはずなのだ。多分。

覚悟を決め、からからと、なるべく音を立てないように襖を開ける。
そこには、顔を真っ赤にしながら瞑想するネジの姿。

「っ…」
思わず噴出しそうになるのをグッと堪える。
でもネジにはあたしの気持ちなんて、やっぱりおみとおしらしい。
「あまり笑わないでくれ…」と、下を向いて彼はうつむいた。

…なんだか、今ので気分が落ち着いた気がする。
襖を閉め、あたしはネジに近寄った。
しんとした空気の中、かすかにお互いの少し荒い呼吸が聞こえる。
先に行動したのは、ネジだった。

「舞衣…」
熱っぽい声で、彼はこの名前を囁く。
そして、そっと、熱っぽい手で、あたしの頬に触れた。
緊張で、思わずびくりと身体が強張る。
それを「怖い」ととったのか、ネジは彼らしくない不安げな表情を見せた。

「…怖い、か?」
「…平気」
「…そうか…つ、続けるぞ?」
「・・・うん」

ネジはもう一度、大きな手のひらをあたしの頬に近づける。
今度は身体が震えることは無かった。
ゆるゆるとした動きが少しだけくすぐったい。

そして彼は、次に顔をこちらにゆっくりと近づけてくる。
どういうことを意味しているのかについて、考える必要は無かった。
ゆっくりと、目を閉じてみる。
ゆっくりすぎて、少し目蓋がぴくっと痙攣してしまったけれど気にしない。

そして、案の定唇から広がるぬくもり。
心地よくて、くすぐったくて、そして愛おしい。
あたしがされて一番嬉しい行為。
まるで小鳥が果実を啄ばむように、そのキスは繰り返し行なわれる。
重なっては離れて、そのたびに特有のリップ音がして。
たまに唇が頬に当たったり、わざとなのだろうか?耳に当たったときは聴覚を破壊された気分だった。

そして、今度は長めの口付け。
こういうのって、いろいろ名前があるらしい。
あまり詳しくないから分からないけど…楽器を吹くようにするキスもあるんだとか。
「舞衣、口…少し開けてくれ」
キスの合間に、ネジが小さく耳元でそう囁く。
すごく興奮しているらしい、さっきよりもその息遣いは激しかった。

とりあえず、言われたとおりに口を少しだけ開けてみる。
そしてそのままキス再開。
キスするなら閉じたほうがいいのでは…と思ったのだが、ここは言われたとおりにしたほうがいいのだろう。
口を少し開けたままのキス。
すると…唇が重なり合った瞬間、ぬるりと、何かが進入してくる。
それが舌であると理解するのに、時間はかからなかった。

「―――――っ…」
何これ、何これ、歯と歯茎の間をなぞられるたびに、背中あたりがぞくぞくする。
痺れるとか、震えるとか…そういうのとはちょっと違う。
脳神経に直接届きそうな…なにを言いたいって、気持ちいい。

ちょんっと、何かがあたしの舌に触れる。
誘われるように、その何かに向けて、舌を動かしてみる。
ぶつかりあって、なぞりあって、絡み合う。
そのたびに、さっきと同じぞくぞくが、体中を蹂躙した。

続けてずっとは出来ないから、息をするために唇を離して、またキスをして、絡めあって、それを何度も何度も繰り返す。
繰り返すたびに、身体の感覚神経が敏感になっていくような気がした。

キスってこんなに気持ちいいものだったんだ。
幸せだとか、愛しさだとかと一緒に、こんな感覚も感じられるなんて知らなかった。

…なんて、新たなる発想に浸っているうちに、気づけばネジの唇は首まで降りていて。
「・・・っ」
そのとき、考え事をしている余裕が自分には無いということに初めて気づいた。
首の横、うなじ、耳の後ろをなぞるあたしよりも薄いくせに暖かい唇。

そして、その唇は今度は背中へ。
頚椎から胸骨、剣状突起から腰椎へゆっくりと唇を下ろしていく。
そしてお尻すれすれのところで、それは止まる。
そのまま、ネジはゆるゆると両手で、あたしの腰から脇の下をゆるゆると撫で…そして、そこに触れた。

そこも先ほど同様にまるで玩具のように遊ばれ…そして足先からふくらはぎ、太ももへ彼は唇を這わせていく。
そのたびにあたしの身体も跳ねたり、震えたり。
律することのできない身体。壊れたロボットみたいな気分だ。

そして最後に残されたその場所に、彼は目を向ける。
瞬間、あたしの思考もフリーズした。
ふっと、少しだけネジが笑う。
さらっと、少しだけ汗ばんだ髪を撫でてから…彼は其処も弄び始めた。

****

そこから先の記憶は、ほとんど無いに等しかった。
何も考えられないほど、全てをぐちゃぐちゃにされた気分。
でもそれは不思議と、やっぱり幸せだとか、愛しさだとかに変換されて。
最後の瞬間は、「ああ、この人を愛せてよかった」って心の底から思えた。

・・・だから、もうこれでおしまい。

隣で、ぐったりと眠るネジの顔を、もう一度眺める。
枕元にあるあのネックレス。
一人じゃあ心細いから、せめてネックレスに一緒に来て欲しい。
だから、あたしは自分のネックレスとそれを交換する。

薄闇に包まれた空間。
最後にあたしは、ぼんやりと映るネジに口付けを落とした。

****

浴衣から、忍服に着替え、外に出る。

冷たい風と雪が、夢の終わりを告げている。
日向の集落と森の境界にある門の前で、その人は待っていた。

「行こうか」

柔らかい笑み、差し出された手。

振り払うことなく、あたしはその手を取った。

****

一夜の愛
ありがとうネジ、大好きよ。

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