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とはいえ、なかなか思いつかなかった。

だから、挑発することにした。

あの人が書き換えた物語。

敢えて、それを演じてあげようと。

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早朝に用意されたシナリオ。そこには照明と、音響、少量の台詞のみが書かれていた。
肝心の舞衣の台詞はすべて省かれているそれを、舞衣はサクラに手渡す。

「時間だが・・・本当に大丈夫なのか?」
白いワンピースを着た舞衣を見て、綱手は引きつった顔をする。
舞衣は、冷静だった。
「大丈夫です」
…いつもより、不安げな表情で彼女は頷いた。

****

赤色の照明、一人の少女。
その少女は、鎖に手首を繋がれていた。

少女の前には桃色の髪をした女。
後ろには団子頭の女。
右には藍色の髪をした女。
左には黄色の髪をした女。


「――昔々あるところに、とても美しい白い鳥がいました」
「――しかし、その鳥はある日」
「――その美しい羽を…折られてしまったのです」
「――そのとき、鳥は悟りました」

「運命は変えられないのだと」


四人の声が綺麗に重なる。
中心の少女がうな垂れる。
それから四人は流れるように袖へ引いた。


照明は、青へ。
少女が、ゆっくりと口を開く。
凛とした、悲しそうな、しかしそれでも淡々とした声だった。

「私は羽根のない体を休めていた」
「私は光の無い心を休めていた」
「眠り続けていた」
「鎖に繋がれたまま、籠に閉じ込められたまま」
「ただ、ひたすら眠り続けていた」

「オラ、早くしろよ!」
「この愚図め!」

顔に赤いペイントをした男と、短いポニーテールの男が、少女を蹴る。
少女は、うめきもせず、ただひたすらに台詞を言い続けていた。

「どんなに辛くても、悲しくても、私は耐えることが出来た」
「私は諦めたのだ」
「この世界の希望と言う存在を認識しにくい光を」
「私はやめたのだ」
「この世界の不条理な運命に抵抗すると言うことを」
「私は棄てたのだ」
「ものを考え、感じることの出来る機能を」

「そうすれば、もう何も悲しむことは無い」
「もう何も苦しむことも無い」
「私は、眠ると言う自由を得たのだ」
「それが、幸せだと思った」


ぼんやりと、白い一筋の光だけが、少女を照らし始める。
灰色の世界、少女は、立ち上がる。

「この鳥籠の広さは、およそ1095000歩分、時間にして6年分」
「鳥が、籠に囲まれるまでの時間」
「切り取られた、区切られた時間」
「私の時間は止まってしまったのだ」
「この6年間、時計の針は動くことも無かった」
「ましてや、籠の面積が拡大することも起きなかった」

「この世界は此処で終わり」
「羽根を折られた時点で、もう、終わり」
「それでも、私の周りの時間は、確かに動いている」

彼女の周りを通り過ぎていく人々。
笑いながら、じゃれあいながら、ただ、ただ。
自分も通り過ぎていく。
誰かと戯れることも無く、ただ、彼女を通り過ぎる。


赤に変わった照明が眩しい。
通り過ぎてから、ある種の寂しさを感じた。


…舞台袖に行って、一冊だけある台本のラストを、見る。
「・・・」
この物語の本当の主人公を、オレはよく知っていた。
それは鳥でも少女でもない。
オレにとっては、舞衣。
美瑛舞衣という実在している人物なのだ。

「・・・」
拳を握り締め、ステージが見える角度に移動する。
音が響かないように、足音を立てないように、ゆっくりと歩く。
彼女の演技は続いていた。


「私はあるとき、仮面を拾った」
「それは、羽根のない愚者を隠す仮面」
「私は早速それを手に取り、自分の顔を隠して見せた」
「仮面の奥で無表情のままでいても、不思議なことに、周りはそれに気がつかないのだ」
「周りには、私がニコニコと笑っているように見えていたのだ」
「それはそれで滑稽だ」

「・・・そう、私は笑顔の奥で嘲った」

流石の彼女でも、最初の方までしか話の道筋を立てていなかったのだろう。
時折言葉を詰まらせながらも、彼女は物語を続ける。

それから、ぱきんっと、鎖が断ち切れた。
密かに現象法を使ったのだろう。
少しだけ、彼女が苦しそうに顔をゆがめた。
しかし、それも一瞬のこと。


光は、青に変わる。
彼女はすぐに、先ほどと同じ無表情で、語りだす。
円を描くように、ゆっくりと廻り踊りながら。

「――私は捜していた」

音楽が、流れ出す。
風の音のような、流れる音だ。

「この偽りを覚えた道化師の、本当の心を見つけ出してくれる人を」
「そう、私は諦めきれていなかったのだ」
「期待していた」
「…予感していた」
「誰かが、私の籠の中に、迷い込んでくれると」
「私は信じていた」
「誰かが、私の世界に、踏み込んでくると」



「―――しかし」

世界が、暗転する。
音が消える。
突然のことに、生徒たちのどよめきが聞こえる。
しかし、それは暗闇に響く声によって収まった。


「私の声は、埋もれてしまった」
「失ったのは翼だけではなかった」
「だから、私は決断したのだ」


「鳥は、籠をよじ登る」
――もう、手遅れよ。
赤い涙を流す彼女の姿が映る。


「鳥は、動く足を懸命に使って、よじ登る」
――ごめんなさい。
銀の髪と茶色の髪が、同じ赤色に染まっている。


「滑り落ちても、諦めずに」
――こんな結末、誰も望んでいなかったのに。
突き刺さる痛みの向こうで、少女が一人泣いている。


「何度も、何度も」
「終焉に向かって」

――嫌だ。

「・・・ネジ」
ポンッと、誰かが小さく俺の肩をたたく。
よく見知った班員…リーだ。
「…行ってあげてください。きっとこれは、あまり良い結末じゃないでしょうから…」
彼女のことを良く知るものの一人が、悲しげにポツリと呟く。
俺は、もう一人の班員に、視線をずらす。
彼女は、オレを見て微笑んでいた。

・・・決心が、着いた。
たかが劇、されど劇。
他の者には、この劇の真の意図が分からないだろう。
彼女の、ただの創作だと思っているのだろう。

しかし、これは違うのだ。
違うからこそ、行かなければいけない。

「・・・自惚れとでも何とでも言え」
そう独り言を呟いてから、オレは舞台袖まで行く。

再び白い光が差し込んだステージに、舞衣が浮いていた。
おそらくは、現象法を使っているのだろう。
そんな彼女が、小さく笑いながら、オレのほうを見ずに、存在にすら気づかずに、今まさに、落下しようとしていた。

「――なんでこんなに簡単なことに、私は気づけなかったんだろう」
「これが、私が羽ばたいていく唯一の方法なのだ」
「そして、これ以上、無駄な感情を抱かないようにと・・・」
「私は、願う」

たんっと、彼女は空中を跳ねた。
そして、そのまま。

「そして、散るのだ」


その言葉と共に、いや、それよりも早く、オレは走り出した。
失わないように。落としてしまわぬように。
実は他の奴らは、あの二人に根回しでもされていたんじゃないだろうか?
もう一つの白い光が、オレの後を追いながら照らしていた。
本来なら、台本には無い行動だと言うのに。


「舞衣!」


地面に叩きつけられる寸前の彼女の下に、滑り込む。
それから、ずしんっとくる衝撃。
我ながら、格好の悪い受け止め方だと思った。

「・・・っ」
「…ネジ?」

あまりの衝撃で、何も考えられなくなったオレを、舞衣が不思議そうに凝視している。
そのとき、どこからか、他の声が聞こえた。

「鳥は気づいていなかったのです」

じゃれあいながら、笑いながら、人が歩いてくる。
どれもこれも、台本に書かれていない行動だ。

「鳥は、その目を閉ざしていたのです」
オレの上に乗っかったままの舞衣に、ヒナタ様が手を伸ばした。
「目を開けたら、見える真実。彼女はそれすらも拒んでいた」
軽くなった身体を、オレも起こして立ち上がる。

「でも、一度勇気を出して、目を開いてみたら」
「そこには、少女を愛してくれる人がいたではありませんか!」


それから、全員がにんまりと笑いながら、オレのほうを凝視した。
それから、観客に聞こえない程度の声で、オレに囁きだす。

「…お前、ここまでやってやったんだから、当然決めるところ決めるよな?」
「あとで焼肉奢ってね」
「ここまで来て演技とかはもういいから、ね?」
「いい加減仲直りして、早くくっつきなさいよ」
「ネジ、ファイトです!」

「・・・どいつもこいつも」
…一体、何処から仕組んでいたのだろう?
代役云々の話しあたりだろうか?
それとも仲たがいのときだろうか?
・・・いや、もう考えるのはよそう。
台本を覆された彼女が、とてもとても困惑しているのだから。

「舞衣」
ゆっくりと、かみ締めるようにその名前を呼ぶ。
すると、彼女は口を閉ざし、黙り込んでしまった。
よく見ると、その肩が小刻みに震えている。

「舞衣」
もう一度、名前を呼んでみる。
それと同時に、彼女は、地面を蹴った。
行き先は、オレの腕の中。
あまりにも唐突なことだったが、反射的にオレもその背に手を回す。

それから、彼女は・・・抑えられなかったのだろう。
声を上げて、泣いた。
幕が閉まるまで、釣られてほかの観客たちやテンテン、リーやヒナタ様たちまでもが泣き出すまで。

ずっと。

****

こんな事態、予測できるわけが無かった。
森に来てから、漸く泣き止むことができた。
もう泣いてるときのことなんて、覚えてないと言うくらいだ。
「・・・収まったか?」
苦笑するネジに、小さく頷く。…本当に、まさかまさかという展開に、心が追いつかなかった。

叩きつけられる瞬間に、あたしは受身を取って、そのまま術で姿を消す予定のはずだった。それなのに、ネジが受け止めてきて…しかもぞろぞろとみんなが出てきて…。
後から泣きながら聞いた話、アカデミー生にバッドエンドの話しはやめたほうがいいからと、裏で話し合って変えたんだそうだ。
確かに、あたしにその情報を伝えることは困難だろう。みんなの判断は的確だった。
・・・あたしまで泣くというのは予期していなかったのだが。


「伝心法で…ったまに連絡くらい取ればよかった・・・っ」
「そうすればよかっただろう」
「だって、だって台詞考えるので精一杯で、そんな余裕無かったんだもん・・・!」
嗚呼、油断すると、また涙が出てきてしまう。だから、必死にあたしは涙を引っ込めようとする。
でも、そんなあたしの気持ちはお見通しらしい。ネジは、憎たらしいほどの優しい手つきで、あたしの頭を撫でながら、一言。

「泣きたいなら、泣いておけ」
「・・・っ」

…嗚呼、もう、この人の優しさは、たまに憎たらしくて、愛しい。
この瞬間、あたしの気持ちは完全に、ある一つの答えに傾いた。

その優しさを、どうか、どうか。

「・・・ねぇ」
「なんだ?」

あたしにずっと、向けてくれませんか?

「もしも、あたしがネジのこと、好きだなんて言ったらどうする?」

その優しさで、あたしを支えてくれますか?

「…勢いで抱きしめて、骨を折ってしまいそうだな」
「・・・そう」

ずっと・・・時が許す限り、そばにいてもいいですか?

「ねぇ、ネジ」


「大好き」

****

今度は彼が目を見開いて放心する番だった。

何度声を掛けても、ネジはあっちの世界から帰ってこなくて・・・しばらくぼんやり眺めてたら、いきなり強く抱きしめられて。

骨は折られなかったけど、唐突な口付けで、歯茎から血が出て、ちょっと…痛かった。

****

繋がる想い
優しさに甘えているだけかもしれない。
触れた温もりが心地よすぎるだけかもしれない。
それでも、あたしは信じるの。
ああ、これは間違いなく恋なのだと。


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