Short Dream



 輿入れして五年。周りと比べれば冷えた夫婦仲だと思う。
 放ったらかしにし続けたせいで腰まで伸びてしまった髪を摘んで離した。次に出てくるのはため息だった。
 
 今日、あの人が帰ってくる。

 あの人というのは自分の夫である日向ネジさんのことだ。
 私も同期たちのように自分の夫のことをアナタとか呼び捨てとかいっそアンタとか言えるほど気安い仲だったらどれだけよかったことか。二回連続で吐き出しかけたため息をこらえて洗濯物を畳む作業を再開させる。賑やかしになってくれる息子は今日に限って義実家の姪のところに泊まりに誘われてしまって朝から居ない。この静まり返った家であの人と何を話して間を持たせればいいのか。そればかりが気がかりだった。

 五年前、当時の里は空前絶後の結婚ラッシュだった。時期火影は確定と言われていたあのうずまきナルトが日向家のお嬢様と結婚したところを皮切りにそれは始まった。あの同期の「面倒くせぇ」が口癖だった男が砂のお姫様と里を超えた結婚をしたり、一時その名前を出すだけで苦しげな顔をしていた友人がとうとう大恋愛の末二人旅に出たと思ったら子供を作って帰ってきたり。美人だった姉御肌の彼女がひょっこり現れた色白のあの男といつの間にか出来上がっていたりエトセトラエトセトラ。平和になったからそういうことが浮き彫りになったというのもあったと思う。とにかく里は四季がなくなったんじゃないかと錯覚するほどにピンクだった。
 そんなピンク色のムードとほど遠いところにいたのが私というものである。いや、想い人が居なかったのかといえば嘘になる。嘘になるけどみんなほど頑張ってそこに気が行かなかったというのが大きい。最終的に私が収まったのが暗号班で、里でチマチマ解析作業に勤しむ役職に落ち着いたから接点という接点もなかった。せいぜい火影塔内ですれ違うくらいだ。どうにかなりたいと思わなかったわけでもない。わけでもないけど、純粋に住む場所が違うと思っていた。恋とも呼べないようなあまりにちいさな恋だった。

 私は血継限界もない一般家庭の生まれだった。縁談が舞い込んできたのは多分特別上忍だったからというのが大きかったと思う。相手が何を思って私をと言い出したのかは未だ聞けていない。私に出来ることは頷くことだけだった。淡々と結納を済ませ、三三九度を交わし、褥を共にした。そうして今も淡々と暮らしている。

 「…髪、流石に切ろう」

 あの人は一年の長期任務から今日の夕刻に帰ってくる。あの人が居た時は編んだり簪を挿したりしていたけれど、息子と出かける時以外はすっかり一つに束ねる以外のことをしなくなってしまった。
 畳み終えた衣類を箪笥にしまい終えて立ち上がる。遠くで鈴虫の鳴く音が聞こえる。それ以外には何も聞こえない。多分、今夜帰ってきた時もそんな感じなんだろう。重い胸を押さえて息を吐く。
 胸のあたりが、緊張で痛くてしょうがない。



 首筋が冷たい。肩口まで髪を切ったと知れば明日帰ってきた息子はびっくりするかもしれない。一人でそんなことを想像しながらあの子の好きなお菓子だけを先に買っておく。あんまり甘やかすのはよくないとは分かっているけど、子供はどうしても可愛いからついつい買ってしまいたくなる。
 サラダにする野菜も適当に八百屋で選び終えたところで、干物が吊られている魚屋に足が向きかける。かけた、だけで止まったのは時間的にももうすぐ夕方になると分かっていたからだった。

 「間に合わないよねぇ…」
 「奥さんタイムセールはまだやってるよ?」

 店の奥にいる魚屋の男が私の独り言に首を傾げる。そういうことじゃなかったんだけどな。話しかけられると素通りできないのが私の悪い所だった。苦笑いをしながら店の前まで足を運ぶ。

 「鰊ってあります?」
 「あるよ。まあ時期じゃないから秋刀魚とかのほうが美味いと思うけど」
 「ですよねぇ…どうしようかな」
 「身欠き鰊は」

 背後から響いたテノールに肩が跳ねた。左手に持っていた買い物袋の重さが横から奪われていく。さも当然のように現れた男に声も出せないまま振り返ると、長い黒髪を揺らして男が私を横目で見ていた。少しだけ汚れた格好の男を店主は当たり前のように「旦那さん任務帰りかい」と一瞥する。そこから身欠き鰊ならあるよだとかそんなやりとりをした気がするけど、その辺の下りはもうすっかり私の中で曖昧になってしまった。やっと人の言葉を話せるようになったのは魚屋を出て十歩くらい歩いたところだったと思う。

 「あ、あの、任務は」
 「午前には片付いた」
 「そ、そうなんですか。お疲れ様です…」
 
 どうしよう。心の準備が全然できていなかったせいで何を喋ればいいのかまるでわからない。変に上擦ってしまった声のせいで語尾が窄まっていく。しかも奪われてしまった買い物袋のせいで両手のやり場さえない。手持ち無沙汰になりながら横を歩く男を見上げる。任務帰りなのになんで商店街なんかにとか報告書の提出まで終わったんだろうかとか何か話題を振りたくて様子を見ようとしただけだった。
 瞬時に逸らしてしまったのは白い瞳と視線がかちあったせいだ。知らぬ間に見られていたらしい。目線ごと頭を下げれば短くなった髪の毛が自分の首筋を這う感触がした。話題を思い出して大げさに私は声をあげる。

 「そ、そういえば髪切ったんですよ。すっごく伸びてたし邪魔だったので」
 「…そうみたいだな」
 「いのとかヒナタさんみたいに綺麗にも出来ませんでしたしね…短い方が楽かと思って…あはは…」
 
 …終了。何のリアクションを求めてその会話振ったんだ私。どんな会話カードの出し方をしているんだ。どうせ「似合ってます?」の一言も聞けないくせに容姿の話なんて振ったってしょうがなかっただろうに。
 会話の行き場を失ったところで私は脳内の会話デッキを見直す。もっといろいろあるはずだ。任務内容まで聞けないとしてもケガしなかったかとか、しばらく休みなんですかとかもっと色々…!

 「…もう伸ばさないのか」
 
 投げてそのまま暴投したはずの会話のボールが急に手元に戻ってくる。そっと手元に投げられたはずなのに、受け取れなくて落としかけた図が脳裏に浮かんだ。顔をあげた先でまたあの白い目と視線がかちあう。今日ちゃんと見合わせた表情は、相変わらず何を考えているのかよくわからない。

 「えっと…まあ、そうですね…伸ばすかもだし、伸ばさないかも、ですし…」
 「……」
 「ど、どっちがいいと思います…?」

 聞いてどうする、明らかに「興味ない」で終わる質問をしなくてもいいだろうに。心の中の自分が冷たくそう呟く。期待をしていないわけじゃない。期待をしないようにしたかった。
 じっとこちらを見ていた男がやっと私から視線を逸らす。考えてくれているのか何か言いあぐねているのか、わからないけど返事が返ってきたのは、まさかの家が見えてきたところまで歩いてからだった。

 「…強いて言うなら、」

 縁談が来て諾々と肯いた後、結婚の前に一度だけ顔を合わせた。何故私なのか、私で良いのか。恐ろしくて聞けそうもなかった。別に私じゃなくても良かったとだけは言われたくなかったから。

 『お前はオレでいいのか』

 彼がどんな気持ちで私にそう聞いて来たのかは分からない。私が聞けなかったことを聞いてくれた彼の手は、私が知っている日向ネジ像と違って微かに震えているようにも見えた。ああこの人も怖いのだ。そう思って、あの日私は私が言われたかった言葉を返した。
 そんなことを不意に思い出す。一年も離れて接し方を見失ってしまったけれど、ちゃんと心は此処にあったらしい。私は彼の袖を握った。

 「今さらですけれど…お帰りなさい。ネジさん」

 ああ、と頷く彼の横顔は夕陽に染まっていた。あの日と同じ穏やかな笑みは、何を考えてくれているか分かりやすい分心臓に悪い。
 けれどもそういう些細な仕草と発言に、私は何度も恋に落ちるのだ。




 男が彼女を好きになったのはほんの些細な理由である。

 それまでの男の人生設計の中に恋愛をするという予定は含まれていなかった。男にあったのは敬愛する父や友人のような忍、もしくは大切な仲間が信じてくれる通りの忍になるという強い向上心である。色恋になんぞ興味がなかったし、女の好みについてもあまり考えたことさえなかった。
 彼女を好きになったのは随分昔のことになる。しかし興味がないと豪語していた天才は、周りが予想する通り色恋の才については凡人以下だった。同期は勿論、彼女の同期達は常ならない挙動をする彼を揶揄うように突いたが、男の限界は偶然を装って待機室で時間を共にするまでだった。それくらいで僥倖だと思っていた。

 そうもいかなくなったのは女に見合いの話が来ていると知った時だった。女と同じ暗号班の輩が彼女を気に入っているというのは一個下の後輩から耳にしていたが、「盗られる」となると話は別だった。奥手だの凡人以下だの【自主規制】だの色々と言われてきたが男も所詮は「男」だった。生まれて初めての嫉妬に狂うより先に男は行動に出た。
 まずは先方の家よりも好条件を彼女の実家に打診した。そもそも「日向」という名前の強さもあっただろう、輩との縁談が彼女の耳に入ることはなかった。何食わぬ顔をして彼は好きな女の夫という座を手に入れたのである。

 「いやアンタなんで告白っていうストレートな方式を取ってないのよ」
 「ネジ!今からでも遅くはありません!!好きな人には好きと言いましょう!!死ぬまでアナタを守りますと先に伝えるが筋です!!」
 「…アンタ頭良いと思ってたけどやっぱそっちの方向は駄目なんだな」
 「なんというか…策略的というか…ロマンがないっていうか…せめて花の一つや二つ送って告白くらい添えればいいのに…」
 「それでも【自主規制】ついてるんですか?」

 手に入れた、のだがそれに関する同期と後輩たち(※主に既婚者たちから)のリアクションはまあ酷いものだった。あの従妹の下のほうはともかく上のほうまで何とも言えない表情でこっちを見ていたものだから救いようがない。女が縁談に同意をしたのだから良いと判断していた脆い自信は呆気なく崩れ去った。しかし、今更好きとも言えない。言ったことがないし、言うタイミングも分からない。

 「…お前はオレでいいのか」

 やっとのこと聞けたのがそれだけだった。普段任務で顔を合わせるだけでは一生目にすることが出来なかっただろう艶やかな着物姿の女がぱちぱちと睫毛を瞬かせる。やがて少し返答に躊躇いながらゆっくりと返事をした。

 「…少なくとも、私はネジさんが、いい…です、ね」

 頬紅よりも赤く表情を染めて見たこともない顔で女がそう答えた。そうだ、自分もお前が良いと思ったのだ。むしろ自分であってほしいと。
 言葉の代わりに繋いだ手を強く握った。それが男に出来る唯一の愛情表現だった。



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日向ネジって両片思い拗らせそうだなって思って書いた。


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