憎悪と愛は表裏一体だということに気が付くまでに、オレはどれだけの時間を要しただろうか。昼下がりの青空の下、瞑想中にも関わらず不意に浮かんだその考えに眼を開ける。それは遠くから聞こえる愛しい人の声を上忍の聴覚が拾ってしまったことがきっかけだったのかもしれない。あるいは、その愛しい人の声が呼んだ名前は、オレの名前ではなかったからだろうか。いずれにしろ心は不思議なほどに穏やかだ。胸が痛まないと言えば嘘では無い。ただ、そんな自分の落ち着き払った様子がとても正常なものであると過去と比較して思ったのだ。
 遠くであの金色の髪をした男が明るく笑いながら首を傾げている。愛しい人はなんとか男に自分の話したいことを伝えようと顔を耳まで赤くして、10の指を胸元で遊ばせながら小さな唇を動かしている。その様子を見て、「ああ、これは駄目だ」とオレは遠くにいる二人から目を逸らした。見ていない、興味がないといった態度を装うようにオレは瞑想を擦る時と同じように再び両手を組み、目を閉じる。あくまでもずっと、そうしてストイックに修行を続けているというように、たとえ二人に気づかれてもそう見えるような形になる。見ていることを気づかれたくなかった。…未練がましくあの人を眺めている自分に嫌悪していた。
 まぶたの裏に浮かんでくるのはあの人の表情ばかりだ。困り顔、俯いていてよく見えない顔。焦点の合わない眼と小さく開いた唇、これを見たのはペインが襲来してきたときだったか。もう少しさかのぼると目を逸らしながら照れた顔も浮かんでくる。しかし、さらに意識を昔に寄せると、浮かんでくる表情は三つに絞られてしまう。オレに立ち向かってきた強い瞳、泣き顔、はじめてお会いした時の柔らかな笑顔。あの人と出会ってから、いったいどれだけの月日が流れたのだろうか。あの人を守るために生きて、いったいどれくらいが過ぎたのか。数えるのも億劫なほどの時間、オレはあの人を絶えず思い続けている。慈しみ、懸想し、…哀れみ、恨んできた。オレの感情は決してあの人にいい影響を与えるものではなかった。
 
 父親を殺されたと思いこむようになったあの日から、どれだけの苦痛をあの人に与え続けてきただろうか。手合わせと称して手ひどい手傷を与え、試合では殺しかけ、日常でも顔を合わせるたびに嫌味を繰り返した。優しくした記憶より、傷つけた記憶ばかりが鮮明に蘇る。そのせいか笑った顔はあまり思いだすことが出来ない。事あるごとに傷つけた記憶がよみがえり、罪悪感が心を蝕む。
 例えば桜の花びらを見て思いだしてしまうことといえば、日向での花見会でのあの人の振り袖姿もあるがそれと同時に強烈に思いだしてしまうものがびりびりに破れた白い紙だ。白い紙には「明日地球が終わるなら誰と一緒にいたいか」といった類の問と、それに対する答えが書かれていた。それを書いたのはもちろんあの人だった。あの人が、にこにこと微笑みながらその紙を眺めながら歩いていた。すれ違ったのはアカデミーと日向家の間の道だっただろうか。前を見ていなかったあの人は、敢えて進路の前に立っていたオレと見事にぶつかり、そして瞬間血相を変えた。震えている指先がその白い紙を弱弱しく摘まんでいて、オレはそれを簡単にその手からもぎ取って中身を盗み見た。

 『うずまきナルトくん』

 この人が、望む未来にも願う結末にもオレは存在しない。
 そんなことは当然だった。誰が激しく憎悪している人間が近くにいることを望むだろうか。ましてや地球が終わるという最後の日に、自分を貶めるような人間といたいと願うような人間はいないだろう。そんなことはわかっていた。分かっているはずだったというん衣、オレはその『叶うといいな!』という教師によるコメントが添えられた彼女の願いが込められた紙を、すべて眼を通してから衝動的に引き裂いた。
 やめてやめて、とオレに懇願する泣き顔はそれまでで一番崩れていて、声もやたらと大きかった。それが余計に気に障ったのは、その時点で、いや、憎んでいてもなおそれまで通り心のどこかでこの人のことを求めていたからだったからだろう。今は自分がどうして「うるさい」と一喝して激情のままに紙を花弁のようになるまで咲き続けたのか、その理由がはっきりと分かるというのに、あの時の自分は理解することが出来なかった。認めるわけにはいかなかったからかもしれない。認めてしまえば、オレはその時点で彼女を憎むことが出来なくなってしまう。そうなってしまえばオレは、父を失った苦しみややり場のない怒りをぶつけるすべを失ってしまう。

 あの時のオレは、あの人にすべての怒りや激情をぶつけることで自分を保っていた。
 そうでもしなければ生きられそうになかったのだ。他の感情に惑わされるような心の余裕なんてなかった。
 あの人を、オレは幸せには出来ない。
 オレがあの人を傷つけたことを思いだすように、オレといるときっとあの人はオレに傷つけられた記憶を思いだすのだろう。そうしてあの人は記憶に再び傷つけられるのだ。あの人のことは今も変わりなくずっと慕い続けている。だが、それまでだ。その感情を持ってして、あの人とどうこうなろうとは考えない。考えてはいけない。
 せめて、あの人が幸せになれるように、やっと築きなおすことが出来た「優しい従兄」というポジションを保ち続けられたらそれでいい。この関係さえ崩れなければ、それでいい。
 眼を開くとちょうど、遠くからオレを見ていたらしいあの人と目が合う。あの人が小さく手を振ったので、オレはそっと答えるように左手を上げた。


 
 オレでは彼女を幸せにはできない。そんなことはよく理解しているつもりだった。だが、そうやって優しい従兄をいつまでも気取り続けているだけでは駄目なのではないか。彼女の行く道をただじっと見守り続けているだけでは、いつか彼女を亡くしてしまうことになるのではないか?
 ペインが里に襲来したことにより、何もかもが砂塵と化した大地の上で、彼女は血を流しながら虫の息で横たわっている。そんな姿を見て漠然とそう思った。彼女はナルトを助けるために無謀なことにペインのもとに突っ込み、そうして無残にもぼろぼろにされたのだ。その姿を見て急激に俺は彼女のナルトに対する想いの強さに恐れを感じるようになった。彼女が意識を取り戻して、戦いが終わってから調子を回復してきて、また修行を始めるようになってからも、ずっと、その怯えは消えない。
 彼女の強さが怖い。
 あいつを好きなために命を張ってまで守ろうとする彼女のその想いの深さが怖くて仕方ない。
 そう思っているうちに次第と欲が湧き出した。彼女を死なせてはならない、守らなければならないという想いがじわりじわりと理性を支配していく。和解して以来ずっととじこめていた感情が、あの光景を見た瞬間から滝のように溢れていった。自制することもなく、むしろオレはそんな自分の欲に従い続ける。

 要するに直接的にアプローチをすることが圧倒的に増えたということだ。
 何かあるたびに声をかけ、必要もないのに買い出しだなんだと出かける約束を取り付け、しまいにはらしくもないことに花を届けることだってあった。誕生日は口頭で祝うだけでなく彼女に似合うような品を見繕って贈った。すべてが自分らしくない遠回しな行動だったように思う。此の期に及んでまだ拒絶されるのが怖い、という感情から成った行動だった。
 しかしそれでも彼女の心は未だにナルトに傾き続けている。もうすぐナルトを守ることで勝利につながる戦争が始まろうとしていた。彼女は当然ナルトの力になると言って、戦いに参戦するのだろう。それをわかっていながらオレは彼女と話すために一度会えないかと打診した。当然心優しい彼女は急なオレの頼みでも断ろうとはしない。それどころか無防備なことに彼女は男のオレを「大事な話みたいだから」と自室に招いた。その無防備極まりない態度にまた一抹の不安を覚える。しかし実際人には聞かれたくない話であることは確かだったため、オレはその提案を無碍にするようなことは出来なかった。見舞うために何度か彼女の部屋には出入りをしていたが、元気な姿の彼女とこの部屋で向かい合うということはたぶん、初めてだったかもしれない。お茶を運ぶのに使ったお盆を抱えながら、小袖を着て微笑むヒナタ様は、これからオレが何を話そうとしているかなんてきっと一つも分からないのだろう。

 オレはこれから鬼になるのだ。
 彼女の夢を、あこがれを破壊する、鬼に。

 「…単刀直入に言う」
 「…はい、なんでしょう?」
 「あなたは、この戦争には出るな」
 「…!」

 みるみるうちに彼女の表情が青ざめていく。それは数年前の中忍試験の際と同じような顔つきだった。「どうして、」と震える唇で彼女がオレに問いかける。他人を引き合いに出して理詰めで説得するつもりだった。「アナタは出たとしても日向の嫡子だからどうせナルトを守れるような役には回れない」だとか、そんな辛辣な言葉で押しとどめようとしていた。そうやって考えていたはずなのに、出てきた言葉は違うものだった。そうやって理詰めで「忍びをやめろ」と暗に説得して失敗し、頭に血が上った結果ヒナタ様を傷つけた過去がぐるぐると頭の中で繰り返し再生され続けている。だから、これでは駄目だと思ったのだろうか。

 「オレは、あなたに死んで欲しくない」

 感情論で訴えかけたところで彼女の思いは何一つ動くことなんてないだろうに。分かっていたはずなのに口が勝手に回る。彼女は身体を震わせるのを止めて、ただぽかんと口を開けてオレをじっと凝視していた。

 「あなたが好きだ。あなたが他の男を愛していることなんて分かっている。その男のためなら命だって落とせる、死ぬことだって怖くないって思う程にあなたがその男を愛していることは分かっている。それでもオレはあなたに死なれたくない。あなたを失いたくない」
 「……」
 「好きなんだ、あなたのことが。ずっと、幼いころから憎んでいた時もずっと。オレが言っていることはただの我侭で、あなたの夢を妨げるような言動でしかないとは分かっている。だが、それでもオレは、」
 
 生きてほしい。そんな言葉を吐くと同時にふわりと目の前で二つの袖が揺れた。藍色の髪がぱさりと目の前に迫る。首から下にかけての圧迫感は、けして不快なものではなかった。…これはなんの夢だろうか。ヒナタ様が、オレの首に腕を回している。距離が近すぎて彼女の顔は見ることが出来なかった。オレの肩口に顔をうずめた彼女が「ありがとう」とくぐもった声を出す。急な展開に身体も言葉も追いつかなかった。はじめてここまでそばに寄った彼女の白いうなじからは、かすかに何かの花の香りがした。

 「あのね、私も兄さんのことが好き、だよ」

 気が付いたのは本当に少し前で、まだ恋とかなのかはわからないんだけど…とヒナタ様が笑いながらぽそぽそと言葉を続ける。出来過ぎた話のつながりを信じられず、「は?」という間の抜けた声が出た。
 
 「はっ?え?…あなたはナルトが好きなんじゃなかったのか?」
 「うん、好き。でもね、ネジ兄さんの好きと、ナルト君の好きは少し違うの」
 「ああそれはオレのことはいい従兄として…」
 「そうだった、はずなんだけど…けど…」

 「あのね、本当に恥ずかしいことなんだけど」とヒナタ様が言いにくそうに言葉を濁す。しばらくそうやってもじもじとしてから、彼女はぽつりと「兄さん、私にいろんなものをくれるようになったでしょう?」とオレに確認を取った。それは事実だったので頷く。するとヒナタ様は「それは嬉しかったんだけど、」と返した。まさか、趣味が悪かっ

 「…すごく素敵で、綺麗で、大事にしているんだけど、兄さんが前にテンテンさんと、その…一緒に選んでるの見て、そのときね、私…贈り物をしてくれるのは私はただの従妹で気を使ってもらってるだけなのかなって思って…兄さんはテンテンさんと出かける口実の一つに私を使っているのかなって思って…。あ、あのね!そういうのは別にある意味で役に立ってるならいいって思ってたの、でも、もやもやして、気づいたの。私、テンテンさんにやきもち焼いてるんだって」
 「ヒナタ様、それ」
 「なんでやきもち焼いてるのか考えたの。そしたら気が付いたんだ。私、サクラちゃんにはやきもちなんて焼かないのに…じゃあつまり私って、兄さんのことが好きなんじゃないかなって」

 まだはっきりできないんだけど、とヒナタ様が付け足す。身体が思うように動かないのは相変わらずで、言葉もうまく出すことが出来なかった。どう声を出してきたのかを忘れてしまった、というのが正しい表現かもしれない。ヒナタ様は呆然とし続けているオレにしきりに「だからね」と言葉を向け続けている。オレはただただそれを聞くことしかできなかった。この言葉を、聞くまでは。

 「だから私、ネジ兄さんに生きてほしいって望まれているのなら、兄さんのために絶対に死なないって約束する。だから、兄さんも私のために生きて。二人でちゃんと、帰ってきましょう?…私も、あなたのことが、好きです」

 ヒナタ様、とようやく口から飛び出た。何度も何度も彼女の名前を繰り返しながら、おうやくオレは彼女を抱き返す。兄さん、と同じように彼女も俺の名前を呼んでくれる。――嗚呼、夢みたいだ。こんな展開を誰が予想しただろうか。そうやって抱き合ってしばらくして、くすくすと何もおかしいことなんてないのに笑いあう。不意に彼女が左手の小指をオレに差し出した。約束。それはこれからの未来を守るための小さな誓い立て。同じように小指を差し出す。これだけでこの先の未来に対する不安なんて本当は消えないはずだというのに、何故だろうか。彼女と交わした些細なようで崇高なこの約束が、確かな未来に繋げてくれる懸け橋となるような気がした。
 もう一度柄にもないはずだった「好き」という言葉を繰り返す。きっとこの先一生、オレはこの人にしかこんな言葉は口にしないのだろう。彼女は顔を赤らめながら「私も」と頷いてもう一度オレの首に腕を絡めた。



 (最後の願いは二人が天寿を全うするまで守られた)
 「戦争の時にあったあのことを思いだすとね、今でもぞっとするの」
 「ぞっとしたのはオレの方だ。あなたが死ぬかもしれないと思うだけでどれだけ恐ろしかったか」
 「私だって怖かったんだよ。だって兄さん、私のこと守ろうとしたでしょ?回天で兄さんはあの攻撃の衝撃を殺していたけれど、もしそれが間に合わなかったらって、想像するだけで怖くなるの。あのとき気づいたの。ああ、誰か大切な人に置いて行かれるかもしれないって考えることって、こんなに息が詰まることなんだって」
 「…オレは、ちゃんと生きているよ」
 「うん。分かってる。…ねぇ兄さん」
 「ん?」
 「生きていてくれて、ありがとう」





 

 で、出たー!ナルトくんは憧れ設定だーー!!
 これが一番すんなりとほのぼのした流れにいつだって連れていってくれるので日影はこの設定が好き。ネジさん誕生日おめでとう愛してる。

 

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