(THE LAST・64巻ネタ)



 憎悪と愛は表裏一体だということに気が付くまでに、オレはどれだけの時間を要しただろうか。昼下がりの青空の下、瞑想中にも関わらず不意に浮かんだその考えに眼を開ける。それは遠くから聞こえる愛しい人の声を上忍の聴覚が拾ってしまったことがきっかけだったのかもしれない。あるいは、その愛しい人の声が呼んだ名前は、オレの名前ではなかったからだろうか。いずれにしろ心は不思議なほどに穏やかだ。胸が痛まないと言えば嘘では無い。ただ、そんな自分の落ち着き払った様子がとても正常なものであると過去と比較して思ったのだ。
 遠くであの金色の髪をした男が明るく笑いながら首を傾げている。愛しい人はなんとか男に自分の話したいことを伝えようと顔を耳まで赤くして、10の指を胸元で遊ばせながら小さな唇を動かしている。その様子を見て、「ああ、これは駄目だ」とオレは遠くにいる二人から目を逸らした。見ていない、興味がないといった態度を装うようにオレは瞑想を擦る時と同じように再び両手を組み、目を閉じる。あくまでもずっと、そうしてストイックに修行を続けているというように、たとえ二人に気づかれてもそう見えるような形になる。見ていることを気づかれたくなかった。…未練がましくあの人を眺めている自分に嫌悪していた。
 まぶたの裏に浮かんでくるのはあの人の表情ばかりだ。困り顔、俯いていてよく見えない顔。焦点の合わない眼と小さく開いた唇、これを見たのはペインが襲来してきたときだったか。もう少しさかのぼると目を逸らしながら照れた顔も浮かんでくる。しかし、さらに意識を昔に寄せると、浮かんでくる表情は三つに絞られてしまう。オレに立ち向かってきた強い瞳、泣き顔、はじめてお会いした時の柔らかな笑顔。あの人と出会ってから、いったいどれだけの月日が流れたのだろうか。あの人を守るために生きて、いったいどれくらいが過ぎたのか。数えるのも億劫なほどの時間、オレはあの人を絶えず思い続けている。慈しみ、懸想し、…哀れみ、恨んできた。オレの感情は決してあの人にいい影響を与えるものではなかった。
 
 父親を殺されたと思いこむようになったあの日から、どれだけの苦痛をあの人に与え続けてきただろうか。手合わせと称して手ひどい手傷を与え、試合では殺しかけ、日常でも顔を合わせるたびに嫌味を繰り返した。優しくした記憶より、傷つけた記憶ばかりが鮮明に蘇る。そのせいか笑った顔はあまり思いだすことが出来ない。事あるごとに傷つけた記憶がよみがえり、罪悪感が心を蝕む。
 例えば桜の花びらを見て思いだしてしまうことといえば、日向での花見会でのあの人の振り袖姿もあるがそれと同時に強烈に思いだしてしまうものがびりびりに破れた白い紙だ。白い紙には「明日地球が終わるなら誰と一緒にいたいか」といった類の問と、それに対する答えが書かれていた。それを書いたのはもちろんあの人だった。あの人が、にこにこと微笑みながらその紙を眺めながら歩いていた。すれ違ったのはアカデミーと日向家の間の道だっただろうか。前を見ていなかったあの人は、敢えて進路の前に立っていたオレと見事にぶつかり、そして瞬間血相を変えた。震えている指先がその白い紙を弱弱しく摘まんでいて、オレはそれを簡単にその手からもぎ取って中身を盗み見た。

 『うずまきナルトくん』

 この人が、望む未来にも願う結末にもオレは存在しない。
 そんなことは当然だった。誰が激しく憎悪している人間が近くにいることを望むだろうか。ましてや地球が終わるという最後の日に、自分を貶めるような人間といたいと願うような人間はいないだろう。そんなことはわかっていた。分かっているはずだったというん衣、オレはその『叶うといいな!』という教師によるコメントが添えられた彼女の願いが込められた紙を、すべて眼を通してから衝動的に引き裂いた。
 やめてやめて、とオレに懇願する泣き顔はそれまでで一番崩れていて、声もやたらと大きかった。それが余計に気に障ったのは、その時点で、いや、憎んでいてもなおそれまで通り心のどこかでこの人のことを求めていたからだったからだろう。今は自分がどうして「うるさい」と一喝して激情のままに紙を花弁のようになるまで咲き続けたのか、その理由がはっきりと分かるというのに、あの時の自分は理解することが出来なかった。認めるわけにはいかなかったからかもしれない。認めてしまえば、オレはその時点で彼女を憎むことが出来なくなってしまう。そうなってしまえばオレは、父を失った苦しみややり場のない怒りをぶつけるすべを失ってしまう。

 あの時のオレは、あの人にすべての怒りや激情をぶつけることで自分を保っていた。
 そうでもしなければ生きられそうになかったのだ。他の感情に惑わされるような心の余裕なんてなかった。


 あの人を、オレは幸せには出来ない。
 オレがあの人を傷つけたことを思いだすように、オレといるときっとあの人はオレに傷つけられた記憶を思いだすのだろう。そうしてあの人は記憶に再び傷つけられるのだ。あの人のことは今も変わりなくずっと慕い続けている。だが、それまでだ。その感情を持ってして、あの人とどうこうなろうとは考えない。考えてはいけない。
 せめて、あの人が幸せになれるように、やっと築きなおすことが出来た「優しい従兄」というポジションを保ち続けられたらそれでいい。この関係さえ崩れなければ、それでいい。
 眼を開くとちょうど、遠くからオレを見ていたらしいあの人と目が合う。あの人が小さく手を振ったので、オレはそっと答えるように左手を上げた。




 意識が遠のく。医療班、という声が聞こえたがもう手遅れだ。いつぞやにもこうして腹や胸を矢で貫通されたな、とこんな状況なのにそんなことを思いだしてしまった。あの時も死ぬかと思ったが、今は死ぬかもしれない、という漠然とした意識とは違っていた。どれくらいの時間があるかはわからない。しかし、死ぬのだろう。これで終わりだ。それがはっきりと分かってしまった。
 金色の髪を埃で少し汚している男に託すような言葉を言った。何をどう伝えたのか、自分の言葉を耳が拾うことが出来ない。頭の回転がだんだんと鈍くなっていく。霞んでいく視界を、一羽の鳥が横切った。ああ、そうか、父上の言う「自由」とはこういう、

 「ネジ、兄さん・・・っ」

 この世に引き戻すような悲痛な声が響いた。ああ、また泣いている声だ。オレは最後までこの人を泣かせてしまうらしい。
 泣かないで、と唇を動かすことは出来ただろうか。声は、届いただろうか。

 自分が思っている以上に口を動かしていたような気がするのだが、オレは最期に何を口走ってしまったのだろうか。



 (すきです。どうかしあわせに)

 

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