3.羽ばたく鳥


――ここは、どこだ?

ぼんやりとオレの視界を遮る黒い霧。
何故、オレはこんな場所に浮遊しているのだろう?

…静かに、その靄の向こうに意識を集中する。

感じるのだ。
見えるのだ。
聞こえるのだ。

最果ての向こう、この闇の向こうに、その人は確かに立っている。
何度も、何度も、弱々しい声で叫んでいる声が、この何もない空虚な空間に微かに木霊している。
身体の片隅が、かすかにあたたかくて、かすかに痛みを発している。

オレという存在全てに、そうして訴えかけてくるのだ。

『ネジ兄さん、起きて』と、何度も何度も。

…そういえば、あなたは、昔から泣き虫でしたね。

かけっこをしていたときに、オレがたまたま転んだ時も、あなたは大げさなほど慌てて泣いていたでしょう?
オレが少し熱を出しただけで、あなたは「ネジ兄さんを助けて」と言いながら、オレの傍で泣いていましたね。

――オレが笑って、「大丈夫ですよ、ヒナタ様」と呼びかけるまで。

嗚呼…早く、その言葉をかけてあげないと、彼女はずっと泣きっぱなしだ。
こうしてぼんやりと霧を眺めている場合ではないと、オレは霧の中を進んでいく。



そうしてやっと開けた視界の先で、真っ先にオレの瞳に映ったのは、真珠のように綺麗な色をしたヒナタ様の涙だった。
「ネジ兄さん…っ」
涙と鼻水でぐちょぐちょになった彼女が、眼を見開く。

…嗚呼、泣かないでヒナタ様。
オレは、もう大丈夫ですから…そう言いたいのに、口が言うことを聞かない。
呼吸をするだけで精いっぱいのこの身体のあちこちが、ずくりと痛む。

――彼女が握りしめている、右手だけを除いて。


「良かった…ネジ兄さん…ネジ兄さんが死んだりしたら…私……」
「…兄さん、兄さんはサスケ君を連れ戻す任務で闘って…倒れて…そのあと、カカシ先生たちに助けられたの…。
もしかしたら助からないんじゃないかってくらいのひどい傷で…っ私、不安で…」

途切れがちに紡がれた言葉に、ほんの少しの嗚咽が混じる。
まだ彼女の涙は止まることを知らないらしい。
やはり…オレが、安心させてあげない限り、彼女は笑うことが出来ないのだろうか。

…ああ、それならばヒナタ様。
あなたは本当に、なんてお人よしなんだろうか。

オレは、あなたを傷つけた張本人だというのに、どうしてあなたは、こうして傷ついたオレを見て、恨み言の一つも吐かないどころか、「生きていてくれてよかった」と安心したように泣くんだろう。
それを見て、「ああ、帰ってこれたのか」と安心する、オレの気持ちも、なんて楽天的思考なのか。

「…っ」

話すために必要な息を吸い込む。
痛い。痛い。それでも、伝えなければいけない。だから。

「オレは…もう…だいじょう…ぶ…ですよ…」

『だからもう、泣かないで』と同義のその言葉を囁く。

弱弱しい声だったと思う。
聞き取りにくい声だったと思う。

それでも彼女は、「うん…うん…!」と頷いて、ごしごしと瞼を強くこすって、ニコリと笑った。

「おかえりなさい…」


窓の外で、一羽の鳥が羽を散らしながら、空へ羽ばたいていくのが視界の隅に映った。

****

ちょっとずつ素直になりはじめるネジと、これからを見ようとするヒナタ

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