家主のいなくなった部屋で現状を整理しながら、これからのことを考えていた。この家にはどうやらあの女一人しか住んでいないらしい。ワンルームの端に置かれたベッドのシーツはオレの体に付着していた土埃や返り血で完全に汚れてしまっている。そしておそらく今食べていた魚も明日家主が食べるものだったのだろう。家主が外に飛び出していった理由もおそらくオレが絡んでいるに違いない。相当な迷惑をかけている。しかしここで家を出て行けば更に心配をかけてしまうことになることを考えると出て行くことも憚られる。そしてあの女の話を聞く限り、おそらく外を出たところでオレは帰るべき場所には戻れないのだろう。
食べたものをそのままにしておくのも忍びないので、勝手に洗い場を借りて食器を洗いながら、そういえば家主の名前も聞いていないことを思いだす。家主を含めこの世界の何百万人もの人間がオレを知っているというのにオレは家主のことも知らなければ、その知られているという事実も知らない。なんとも奇妙な話で、不気味で、かろうじて冷静を保ってはいられているのだが、もしこの場にいるのがオレではなくリーだとしたらきっと叫んでいたことだろう。信じられるわけがない。仮にも生きている自分が、この世界ではただの創作物だということなど。
はぁ、とため息を一つ吐いてからこれ以上部屋を汚すわけにはいかないと思いうろつかずにさっきまで座っていた場所に戻る。そこからでも十分室内を見渡すことが出来た。ベッド、本棚、テレビ、家電、一通りのものが自分が生きていた世界にあったものと共通しているものであることが認識できる。なるほど、そこまで自分との世界の差はないのかもしれない。おおまかなものを把握して、ふとストーブらしきものの前に裏返しにされた白い板のようなものを見つける。何か、と白眼を発動しようとしたが、そこ動作と集中が止まる。…チャクラの流れを自分から感じられない。白眼が使えない結界の中にいるのか、と疑う。わからない。まさか無限月読の世界に自分はすでにいるのだろうか。あの女からは一切殺意を感じ取ることは出来なかった。幻術ならば自分のチャクラを意識して乱すことができるはずだ。それが出来ないということは…。
ここまで考えが進んだところで「すみません戻りました!」と玄関口から声がした。家主が白い袋を持って息を乱し、頬を赤くして戻ってくる。片付いているテーブルを見て「あっすみませんありがとうございました!」と慌てながら頭を下げてくる家主にやはり敵意はなさそうに見える。白い袋の中身をがさがさと忙しなく開けながら、「サイズとか全然わからないしその、趣味とかもあわなかったら非常に申し訳ないんですけど」とオレに向かって言いつづける。せっかちな奴だ、とそれを見てぼんやりと思った。家主が袋の中身を両手で手渡してくる。簡単な着替え一式だった。
「そこの台所のところの手前から二つ目の扉の方がお風呂です。えっと、脱衣所とかなくてすごく申し訳ないんですけど…私はあの、布団のほうにいるので、絶対に覗いたりしないので…!」
「あ、いや大丈夫だ。ありがとう…済まないが世話になる」
家主は勢いよく首を横に振り、「勝手にやってることですから」とはにかんだ。屈託のない笑みに思考が止まる。が、それも一瞬のことだったのでオレは「お借りする」と風呂場のほうに向かった。家主も「あ、使い方とかわからなかったら大声出して教えてくださいね」とオレを見送ってベッドのほうに背を向けた。
風呂から手早く出ると今度は家主が風呂に向かっていった。すでにベッドはその時点で新しいシーツに取り換えられて綺麗な状態になっている。ベッド横にあるので使ってくださいと言われたドライヤーを借り、タオルで水気を切った髪を乾かす。着替えはサイズが不安だと言われていたが、普段から着ているもののサイズとそれほど誤差はなかった。
髪を乾かしながらまたあたりを見渡す。そういえば、とふと思うことがあって一度ドライヤーの電源を切り、カーテンの外を開けた。外の様子を少しでも確かめたかった。だが映ったのは夜の殺風景な道で、あたりも建物に囲まれていてどこかという判断がし辛いもの。諦めてカーテンを閉める。不意に白い板がちょうど足元にあることに気づく。間近で見ると厚さがそれなりにあり、板の側面に色がついている。板というより、木枠に厚めの布が貼られているボードだった。隠れている面の方を見るためにボードを手前に傾ける。何か他の色が塗られていたものを白で塗りつぶしていたような跡があった。どうやら家主は絵描きらしい。板の正体に納得して再びドライヤーで髪を乾かす。家主が戻ってきたのはちょうど髪が乾き終わってからだった。
「すみません、お待たせしました」
寝間着に着替えた家主が戻ってくる。オレよりも短く軽そうに見える髪をあっという間にドライヤーで乾かした家主は、ふうと息を吐いてからオレの方をちらりと向いて「あ、サイズ足りてそうで良かったです」と軽く笑んだ。そういえば名前をさっきから尋ねていない、ということに気づきここでやっと名を尋ねる。突然の質問に家主は「えっ」と一度戸惑ったが、大した質問でもなかったのですぐに悠、と名乗った。悠は中央に置かれていたテーブルを端によけながら学生であること、実家は別にあることなど諸々のことを教えてくれた。時給制の仕事もしているらしく夜は不在になることもあるらしい。絵について悠が触れることはなかった。
「明日はまだ単位無事なんで服買いに出かけましょう。まだ必要でしょうから」
「…世話になり続けて良いのか」
「勿論!あ、でもその、ネジさんが私のところでいいって言うのなら何ですけど…ていうかその、ネジさんも行き場が無いと大変でしょうから。私で良ければ力にならせてください」
ね?と悠が笑って言うので、一瞬このまま甘んじるべきか躊躇う。しかし、頼らざるを得ないのも事実だった。この女に敵意はない。それどころか、不気味なほどの好意さえ感じるほどだった。大人しくよろしく頼むと頭を下げる。悠も「むしろ私のところを選んでくれてありがとうございます」とオレに言っても仕方ないことなのだがそう言って頭を下げた。
話は終わり、時計を見た悠が「じゃあネジさんはそっちのベッドどうぞ」と言いつつ薄い簡易で用意している布団に入り始める。流石にそこまで気を遣われるわけにはいかないと、「いやそれは」とその行動を引き留めた。時は既に夜の十一時を迎えるところまで来ていたが、話はそのお陰で中断することなく再びはじまる。怪我が心配だから、いや怪我はしていないしそこまで気を遣われる謂れはない云々と両者の押し問答が始まる。出会った数時間で最も長く続いた会話の内容は寝場所についての口論だった。
To Be Continued.
(床に寝る権利を得ることができたがこの女、慌てがちなわりに口はよく回るから厄介だ)
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