「えっと、それってつまりバイトしたいってことですか?」
親子丼を夕食に食べる私にネジさんがうなずいた。バイトから帰ってきた私を神妙に見つめていたから、なんだろなとは思っていたけれどまさかバイトがしたいとは思っていなかった。修行ということで外で最近は運動をするようにしているらしいけれど、それでも暇だったのだろうか。任務尽くしだったんだろうか。疑問に思う私にネジさんが言葉を続ける。
「オレも働いたほうが生計も安定するだろう。というか、いい加減申し訳なくてな」
「まあ…働いてもらえるのは確かにありがたいんですけど…ですけど…」
履歴書、どうするんだろう。
住所は私の家でいいとして、学歴とか、職歴とか、まっさらにしかできないしそれで通るとは思えない。まさか馬鹿正直に忍者養成アカデミー卒業なんて書けるわけもないし。というか私はそれ以前に、コンビニでレジ打ちしたり飲食店で愛想よく「いらっしゃいませー」なんて言う日向ネジが想像できない。
でもネジさんがせっかく働きたいと言ってくれてるんだし、何かないだろうか。人脈を思い出しながら私は出汁のきいた卵をほおばる。ネジさんのご飯は私の癒しだ。正直私が富豪だったらすべて解決したのに、と思う。そう、そばにいてくれるだけでいいんですよなんて言える甲斐性があったらなーなんて。…それでもネジさんはまじめだからきっと今と同じようなことを言ってくるんだろうけど。
「うーん…私のゼミでモデルやるとかくらいしか…」
「モデル?」
「うち美術専攻の研究室って前言いましたよね?モデルほしいって言ってる人結構いて。もしかしたらお金出し合ってネジさんを雇うなんてこともあり得ないことはないかなって……まあ全裸にされるわけですから却下ですね」
「……」
「なんて顔で私を見るんですか」
「…いつもそういうことをしているのか」
「いや、やってませんよ!?やりたいねって話してるだけで」
「やりたいとは思っているんだな…」
変な誤解を植え付けてしまった。とりあえず、「まあ対象のことは形としてしかほとんど見ませんから」と美研らしいことを言ってごまかす。変な墓穴を掘ってしまった。でも本当にこれしか思いつかなかった。ダメだ、学歴不問でできそうな仕事がろくでもないものばっかりだ。書ける学歴さえあればネジさんなら賢いだろうし顔面偏差値も高いしで選り取り見取りだったはずなのに。たぶん私たちより難しい文章を読んでるだろうし計算もしてるだろうし…って、あ。
「…あるかも、心当たり」
思い浮かんだのは史学の変わり者で有名な先生が助手を募集しているという噂だった。その先生とはそこそこ仲がいいし、変わり者だからもしかしたらネジさんを雇ってくれるかもしれない。
試しに古文が読めるかネジさんに聞いてみる。古文漢文がすらすら読めるって言うのは大きいことだ。先生は確か自分でも把握しきれないくらい古い本を持っていて管理できていないって前に愚痴っていたし、もしかしてもしかするとネジさんはそんな先生の力になれるかもしれない。
「どこまで違うかはわからないが読めないことはない」というネジさんに、とりあえず「こんな感じ」と食事の手を止めて適当に古臭い文章をググってはい、と見せる。崩れたミミズのような字が映る画面を見つめながらネジさんがやがて「…いづれの御時にか、女御、更衣、あまたそうらいたまいけるなかに」と私でも読めない文章の一行目を口にした。『源氏物語 原文』。これが読めるってことは相当なんじゃなかろうか。忍者すごい。
ちょっとご飯終わったら先生に「古文漢文読める学歴不明の男の人とか雇う気ありませんか」ってメッセージ飛ばして聞いてみよう。というかネジさんが本当にすごい。なんというか、前からカッコいいことは知っていたけれど、もっとかっこよく見える!18歳すごすぎじゃなかろうか。お姉さん年上であることが恥ずかしくなってきたよ。いやそうじゃない、ネジ兄さんは永遠に私にとってはネジ兄さんなんだ。イタチが兄さんであるように。歳なんて気にしない、気にしちゃいけないんだ。…まあネジ兄さんなんて馴れ馴れしく呼べないし呼べる関係じゃないからネジさん何だけどもさ。……。
なんだかネジさんのかっこよさ、スマートさが眩しくて存在するのが恥ずかしくなってきた。縮こまりながら作ってもらった親子丼を完食する。ネジさんはいまだにスマートフォンの中に映る文章を読んでいるようだった。「ごちそうさまでした」と手を合わせたところでネジさんがこちらを見る。「どうだった」と聞かれて当たり前のように私は「美味しかったです!出汁が特に」と感想を答える。多分私は今世界で一番幸せな人間なんだろう。なんてったってネジさんが炊いたお米を食べれている上に、ネジさんに料理の感想なんか言えちゃう人間なんだ。もう明日死ねって言われても理不尽さを感じずに逝けてしまいそうなくらい、多分私は幸せなんだろう。
「あ、先生にちょっとメッセージ送ってみますね。多分いいって言われるんでしょうけど」
そう言ってスマホを返してもらったところでリアルの人とつながる某世界的SNSを起動する。先生と学生がSNSで友達っていうのはこの大学では結構ざらにある。日本史の先生とは一年生の頃から仲が良かった。
えーと、どう切りだそうかなと考えているところでネジさんが「本当に」と呟いた。あ、これあの台詞が来るな、と何日も暮らして察することができるようになった私は、ここで少しお姉さんぶった。
「すまないとか言わないでくださいね。私が好きでやってるんですから」
それにすまないと謝るべきは私のほうだ。ネジさんはきっともっと真面目に現状に悩んでいるだろう。でも私は後先のことも考えずただネジさんがいる現状に浮かれているのだ。しかもそれをネジさんに隠して。そんな私に、ネジさんが謝ることなんて何もない。というか、謝られるたびに罪悪感にも似た何かが湧いてくるから、もうやめてほしかった。
「むしろ私はネジさんと一緒にいられて楽しいんです。だから、謝るよりはもっと違う言葉を使ってください。そのほうが、私は嬉しいです」
自分の卑怯さをオブラートに包んで笑うと、ネジさんが「ありがとう、感謝する」と小さく笑みを返してくれた。幸せな空間に私は死にたくなる。先生へのメッセージの言葉は結局すぐには浮かばなかった。
To Be Continued.
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