この家に来てから五日が経った。
オレのことを以前から知っているという家主、悠は大学という教育機関に通っている為、朝から家を出ている。出歩いていいのか尋ねると「軟禁になるじゃないですか!犯罪ですよそれは」と言われている為、自由という自由は認められているらしい。絶対に置いていったノートパソコンは悠がいる時しか使用をしてはいけない、という決まり以外は。
この世界はオレのいた世界を観測できる状態にあるということは聞いた。そして悠はオレを知っている。その二点の情報をふまえると、悠はオレに絶対に知られたくないような何かを握っているという事実も見えてくる。検索機能を持つというノートパソコンをオレだけがいるときに使うことを禁止しているのはそういうことだろう。買い物をするためにバスなるもので移動をしたあの日の深夜、オレに気づかれないように何かを悠が処分していたのも知っている。――そうまでして、オレに知られたくないこととは何だ?
悠が善意で行動しているということは知っている。オレについて悪い感情を持っていないことも、はじめてオレと目を合わせた時のリアクションで察している。それでもなおオレが知ると不都合になることとは何なのか。いずれにしろ知ったところで、戻るすべもないからなのか。様子を見るしかないのだろう。
(…しかし)
誰もいない独り暮らしの女性の部屋を見渡しながら、唐突に手持ち無沙汰な感情に陥る。見たところ本来は一人で暮らすのが精いっぱいという環境だ。そういう環境の中に居座り、甘えてしまっていることを思うと頭痛がする。善意がどうこう、隠されている何かがあるどうこう以前に、人としてこのままではまずいと思うところがあった。
確か悠は学生でもあるがそれと同時にアルバイトという仕事をしていると言っていたことを思いだす。昨日の夜もそれで出かけていった。今日も確か8時あたりまで帰らないのだとも。…そのアルバイトという仕事が出来れば、多少なりとも穀潰しにはならずに済むかもしれない。思い立つとオレは渡された合い鍵を握りしめて外に出た。
「先輩、知られたくない秘密をすぐ隣にいる人から絶対に隠し通し続ける方法ってないですかね」
「俺はそれよりこの膝関節にゴムが通る方法を知りたいよ」
話しかけるな、と先輩が机に人間の身体のパーツを散らばせながら私を睨んだ。私の所属しているゼミは美術。今は授業中だけど、先生は大体自分の研究室で違うことをしている。このゼミの研究室は講義ではなくほとんどが制作の時間にあてられている。授業の時間に集まって各々やりたいことをやるのがこのゼミの主流だ。
そういうわけだから私は、絵画演習という言葉にかこつけて自主制作で絵を描きながら、毎日研究室の中に居座って球体関節人形なるものを作っている先輩に人生相談をしている。先輩は目を凝らしながら指を震わせて細い穴に太いゴム二本を通そうとしていて迷惑そうだけど、それでも私が相談できるのはこの先輩くらいなのだ。
もちろん相談とはネジさんのことだ。一昨日買い物に行って、昨日は普通に日常生活を再開させ始めたわけだけども、なんとなくネジさんは私を詮索しているような気がするのだ。私は基本的に大体のことは打ち明けられるけど、でもネジさんが知りたいのは私のこと云々ではなくて私が隠しているネジさんの秘密なのだろう。でも本人に、「64巻であなた死ぬんです」なんて言える訳がない。ていうか言いたくない。言ったら、そもそもすごく動揺すると思うし、でも、あの人は――すぐに帰るって、言うと思うから。
いつかきっとばれちゃうだろうことだけど、でも、それでも言いたくなくて。叶うならずっとこのまま私のところにいればいいとさえ思う。私はずるいから。でも生きていてほしいと思うから。一人だけ時間を止めてほしくないから。…代償に少なくとも【彼女】が時間を止めることになっていると分かっていても。
「ていうかそれ、シラ切りとおすしかないだろ」
「…誤魔化す、ってことですか」
「それしかないだろ。やっと足首だ」
膝関節までゴムを通して足でゴムを結び、バラバラになっていたパーツを組み合わせて人形を作りながら先輩が「どうにもできることなんてないんだし」なんて淡々とそう返した。絵具を筆にとってはキャンバスに塗りつけながら私はそんなことができるのか考える。
あの人は、上忍なのだから。
きっと嘘や誤魔化しなんて簡単に見破るだろう。騙されてなんてくれないだろう。…私は、それでも誤魔化そうとなんて出来るのだろうか。早くも未来に不安が湧く。宛になるようでならない先輩のアドバイスにため息を吐いた。見かねたのか人形を机に立たせながら先輩が「君崎よぉ」と私に声をかける。
「何がどうとか知らねぇけど、自分も相手もお互い守る方法なんてないぞ。お前結構わが身可愛さで生きてるところあるからな」
「…先輩だって自己愛の塊じゃないですか」
「だから分かるんだよ。あと自己愛じゃねぇ人形愛と呼べ」
「いやほぼ同義じゃないですか。…でもいいです、ありがとうございます。何となく、分かりました」
パレットの中の二色を欲しい色が出来るまで混ぜながら、守るとしたらどちらなのかを考える。答えなんて決まっていた。
ああ、やっぱり立ち仕事なんて苦手だ。今日だけで何度つま先立ちをしただろう。アルバイト先の店長はすごく優しいからまだいいけれど、やっぱりなんか私だけ仕事量が多い気がする時給増えてほしい。なんて愚痴を頭の中だけで呟きながら、アパートの鍵を開けようとかばんの中をまさぐると、それより先にドアが開く音がした。え、と思った時にはドアが開いて、私を見下ろす視線が「おかえり」と言う。…なんだこの美味しい夢、なんて思わず私は頬を抓った。
「は、え、えっと…ただいま、です」
ここは私の家のはずなのになぜか戸惑いながら家に入ると、何かほんわりとした香りがした。お味噌汁の匂いだということに気が付く。「勝手ながら何か作らせてもらった。すぐに準備する」なんて少しこちらの様子をうかがうような顔をされたけれど、そんなのむしろ「ありがとうございます」しかない。ていうかネジさん料理できるのか、やっぱり出来る方なのか。大穴で実は料理音痴を狙ってたんだけどそれはなかったか。あああでも嬉しいですありがとうございます。
…という、私の喜びはしっかりと顔に出ていたらしい。小さく笑ってネジさんが「面白い顔だな」と私を馬鹿にしながら台所のほうに向かう。なんだろうこれ、本当に夢じゃないかな。妄想でしかしたことのない光景に目が潤みそうになりながら、私は「面白い顔なんてしてないですよー!」と軽い口調で反論した。
心の内側で、絶対に秘密を守り通すことを決意しながら。
To Be Continued.
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