実は昨日はちょっと疲れ気味だったし、正直夢だと思っていた。びっくりする話だけどやっぱり好きな人に会えることはうれしいことだったし、叶うならずっと醒めなければいいのに…なんて願いながら眠った記憶がある。
朝、いつも通りお気に入りの音楽がアラーム代わりに鳴って目が覚めた。時刻は朝の七時。もう授業も朝一でやるものはないし、こんなに早い時間に起きなくてもいいのにこの時間にセットし続けているのは解除することを毎晩忘れてしまうからだ。あーあ、今日も忘れてた、なんてごちりながら私はいつも携帯を置いているベッドすぐの棚に手を伸ばそうとして、手を床にぼとりと落とした。あれ?と思い布団にうずめていた顔を上げる。…床に布団を敷いて寝ている。あれ?こんなこと友達が来てる時ですらなかなかしないぞ?なんて軽くパニックになりながら私はなり続けるアラームがある方向−―ベッドのある右側の壁に向かって振り返る。目が合うはずのない人物と目が合った。「おはよう、昨日はすまなかった」みたいなことを言われる。あれおかしいなテレビのほうから聞こえてこないぞ?間違いなく肉声が聞こえてきた衝撃に思わず頬をつねる。…えっと。もしかしてもしかしなくても夢じゃなかった。
「はわ…あわ、わわわ」
「…大丈夫か」
「だ、だいじょうぶ。だいじょうぶです。その、あはは、夢じゃなかった。おはようございます」
鳴り響く音楽が流行りのラブソングだったのがまたなんとも、部屋の雰囲気を滑稽にした。
大学のまわりはほとんどが学生が住むアパートとか学校とかマンションとか、そういうものに囲まれている。買い物は20分歩いた先の小型のショッピングセンターに行かないと食料品とかは満足に手に入れることができない。でもこれは食料品に限った話。それ以外のもの――日用品はともかく雑貨とか服とか、そういうところになると簡単なものならさておき凝ったデザインのものとかブランドのものはバスで30分揺られた先にあるデパートに行かないと全く手に入れることができない。ようするに私の大学があるところは、ほかの大学と比べると結構な田舎にあるということだ。今は結構慣れてきたからいいけれど、地元に帰ったりほかの人の話を聞いたりしたときとか、こうして入用のものが増えたときは「ああ、不便だな」なんて溜息を吐きたくなるものだ。
そう、あれから私はネジさん(そう呼ぶことにした)と普通に日常会話を経て、今、そのデパートに向かってバスに揺られている。バスなんてものアニメでも原作でもなかったよなーと思いだした通り、忍びの里にはバスなんて移動手段はなくて便利さに結構ネジさんは驚いていた。面白かったのが料金表をネジさんがじっと見ていた時のやり取り。「320両か…距離的にそこまで遠くないだろうにその割には値が張るな」とぽつりとネジさんがつぶやいた時はしょうがないって分ってるのに笑ってしまった。日本の通貨が円だということは暮らしていて当然知っていることだから、わざわざバスの料金表も通貨単位は表示しない。数字を見てネジさんが単位を誤解するのは当然だろう。両が1両=10円というNARUTO11巻あたりに出てきたネタを覚えていたことも幸いして早いうちに説明することが出来て良かった。一回のバスの料金がもしも3200円だったらそれは本当に高いですよね、なんて笑った時に微笑み返されたのもいい思い出。
まずとりあえず服を、という話だったけれど真っ先に買ったのは伊達眼鏡と似合いそうな感じだった帽子だった。なんというかやっぱり長髪とその白い瞳はあまりにも目立ってしまうし、「日向ネジ」を知っている人に出会ってしまったらさらに目立つどころかややこしいことになってしまうから。しょうがないけどすぐに身に着けてもらうことにした。
それからとりあえず着回しできるような感じのものを上と下それぞれ2枚ずつ。下着とかはさすがにサイズとかそういうのを聞くのはちょっと(美味しいけど変態だとは知られたくないというかそこまで私はたぶん変態じゃないと信じたいので)無理ということで自分で買ってきてもらった。何度か「済まない」と謝られて、「何かできることはないか」と気を遣われたけど正直ネジさんにお金使えるなら悪くないかもしれないとか狂った発想が浮かんでいるし、一緒に過ごせるだけでいいです!!って感じだ。でもあとで節約しなくちゃ。
平日だったから救われた。荷物も多いしお昼を食べれるか微妙に心配だったんだけど人口の少なさが幸いしたのかフードコートは土日の喧騒が嘘みたいに空いている。適当にお蕎麦屋さんを選んでテーブルに座る。ようやく落ち着いた、という感じでため息が出た。でもまだやることはたくさんある。この大量の荷物を家に置いたら違う場所で食料品を買わなくちゃいけないしなんとか彼に不在の時間を作ってもらって部屋の断捨離をしないといけない。嬉しいんだけどやることは山積みだ。夢小説の中の主人公のポテンシャルにつくづく感心する。なんで私もよくある感じで車持ちだったり経済的に豊かな社会人だったり親が海外出張でいないから一軒家丸ごと使ってますとかじゃないんだろうか。まあ望んでも仕方がないんだけど。
にしてもこれから目指すことって何だろう。出汁のきいたつゆを飲みながら今日明日とか近い話じゃなくて遠い話――これからのネジさんについて考える。基本的にトリップもそうだけど逆トリップって本人の意思でエンディングが変わっている気がする。トリップできて万々歳なら大体どんな世界でも其処に定着してしまいには結婚とかそういう結末もあったと思うし、逆に帰りたい意思がちょっとでもあれば大きな怪我とか唐突な自然現象で帰れるとか。だいたいそういうのに分かれるよね。あ、ギャグ系入ったジャンルの夢小説だったら結末とかなくて日常が延々と続くシリーズものになるのが多かったっけ。…多分、ネジさんは帰りたい意思がある人だ。そう考えたらやっぱりこの出会いってあんまり、彼的には喜ばしいことじゃないんだろう、な。
悲しいけど、という気持ちを飲み込んで帰る方法について考えることを決意する。そのほうが彼のためになるんだし。うん、と決意して私より随分先に食べ終わっていたネジさんに「此処に来るまでの状況とか覚えてませんか?」と尋ねてみる。ネジさんは少し虚空を見つめるようなそぶりをして考え込み始めた。
「あの時は丁度戦争の最中だった。簡潔に言えば敵の攻撃が来たところで、ナルト…は分かるか?」
「分かります。ナルト…さんを守るための戦争だってことも。……もしかしてそのときネジさんの近くには…」
ヒナタ様とナルトさんがいませんでしたか、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。なんだか言ってはいけないような気がして。彼がどうなるかの未来を口にすることが恐ろしかった。あの場面はただでさえトラウマで、私の中のいろんな感情をぐちゃぐちゃにした記憶だ。そんなことを、本人としゃべることなんてできない。…だから、言葉を濁してしまう。「なんとなくわかりました」なんて言って、その先を言われることすら拒んだ。精一杯のわがままで、抵抗のつもりだった。
「その時ってなんか、光ったりとかしたんですかね?何か起こりえない現象が起きたとか、あったのかなって…」
「いや、はっとした時にはここにいた。まるで瞬間移動をしたようなものだ」
「…そうですか」
ということはやっぱり、【あの】瞬間にトリップしたってことでいいんだろうか。息と一緒に水を飲みこんで感情をやり過ごす。あの決定的な傷跡がない状態の最初に見た時の姿を思い出しながら、泣きたくなるような感情を何とか抑える。…どうしよう、協力したいとは思っているけれど、やっぱり帰ってほしくない。64巻のあの場面、いま見たらどんな風に変わっちゃってるんだろう。それすらも確認するのが怖い。
手が震えていることに気づかれないように手を机の下にしまい込む。洞察眼を持つこの人には隠し事をしても無駄だってことは分かっているけれど、それでも隠した。笑顔を作って、「じゃあもしかしたらいつかまた瞬間移動して帰れるかもしれませんね!」なんて誤魔化した。
私はずるい。もし変わってしまった原作の世界をネジさんが知って、それでもなお戻れなかったらそれはきっとネジさんに絶望を与えることになってしまうかもしれない。そんなことを免罪符にして、そうしてネジさんを独り占めしようとしている。だけどパッと手を放すことなんてできなくて、つらくてもそばで何かしたいなんて思ってしまってる。
だから、まだ申し訳なさそうにしているネジさんに「一緒に頑張りましょう!」なんて、私は善人ぶって手を差し伸べた。
To Be Continued.
(その日の夜中、私は大好きだった漫画をうっかり見られないように破り捨てた)
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