其処に、感情が無かったと言えばすべてが嘘になってしまう。
 二度目の行為もネジさんは丁寧だ。そして私も別に不感症というわけではなかったので、当然触れられたらそれなりに腰をひくつかせてしまったり、背中を震わせてしまったり喉から声を絞り出したりもしてしまう。仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。それとも私が潜在的に売女だったというだけなのか。いやでも確かにネジさんのことは嫌いではないし、きっと好きなんだ。ただその行為に及ぶには早すぎると思っていただけで。思っていただけだったのだけど、それは、私の思い込みだったのだろうか。だって身体は悦んでほら、二本も指を受け入れちゃって。

 「あ、あぅ、ん」
 「…痛く、ないか?」
 「ん…だいじょうぶ、です」

 そうか、と呟きながらネジさんがちゅ、と私の額に唇を不意に当ててきたので私はまた体を震わせた。思った以上に自分の身体は従順で、そういうところでまた複雑な心境になる。どうしてだかは正直自分でも分からなかった。受け入れられるならそれでいいと思う。好きって少しずつでも思えてきているならそれでいいんだと思う。現に前よりは「合意」って感じがするし、前より不快感もない。そうやって受け入れられている分自分は幸せなんじゃないかな、これでいいんじゃないかなと思うのだ。むしろ今まで順番とか、自分の感情にこだわりすぎていたってだけで。別にこの行為を踏んで嫌いになるようなことなんて今のところないじゃないか。だって彼は乱暴じゃない。すごく丁寧に丁寧に私の膣内を探るように触れてくる。壊れないように扱ってくれている。
 別に、この行為を踏んでそれからも関係は変わらない。きっと私は彼をいつか好きになる。それなら順番なんて関係ない。そうだよね?

 「…カナデ、大丈夫か?」
 「…大丈夫、です」
 「…オレにはそうは見えないのだが」
 「っ…ぅ」

 ぴたりと指や舌を動かすことをやめたネジさんがいつの間にか怪訝そうに私を見つめていた。私はその瞳から目を逸らしながら「大丈夫」を繰り返す。天井から視線を布団のほうにずらした瞬間、つっと何かが頬を伝っていった。泣いているのだと初めて気が付く。気が付いた瞬間、「大丈夫」と言えた口が思うように回らなくなった。「なんで」と言っていたと思う。でもそれ以上の言葉は出なかった。口に出せばきっといろいろなことが飛び出てきたのだと思う。だけど、喉に何か引っかかっているのかうまく言葉が出せない。
 しばらく無言だった。どれくらい嗚咽だけが響いていただろう。私は「なんで」という言葉を最後に何かを言うことができなかった。ネジさんはそんな私を多分ずっと見ていたと思う。でも私は顔を両手で覆ってすすり泣いていた。大分時間が経って、それでも冷静になれなかった私はまた「なんで」と言った。話が動いたのはネジさんが私の喉を撫でた時だ。今度は触れられてびくりとはしたけれど、快楽の声を上げることはなかった。私は驚きながらネジさんの方を少しだけ見る。やっと少しだけ目を合わせることが出来た。ネジさんは一言、「言ってくれ」と呟いた。私は今までそれで何か一つでも本音を言えたことがあっただろうか。答えを見透かされても私は首を横に振った。結婚して最初の時だったと思う。どうせ今回も私は言えない。言ってはいけない。そう自制したつもりだったのに、彼の言葉は簡単に詰まっていた私の本音を引きだした。

 「…っこういうことは、ちゃんと好きになった人としたかった。まだすきかもどうかもわからないのに、でもこうしないと後悔することになるのは、いやだ」
 「うん」
 「わかんない。すっごくすきだったけど大嫌いになった人が実は私のことが昔から好きだったとか言われたってこっちはどうしたらいいかわかんないし昔の私の想いって何だったのってなるし」
 「うん」
 
 ああ、いろいろ出てくる出てくる負の言葉。でも一度口に出してしまうともう止まらないものなんだ、こういうことは。別に酒に酔っているわけでもないのに理性のタガが外れたように私は好き放題悪いことを口にしていく。ネジさんが私をいまだに組み敷いている状況であるということも忘れて、私はまた気が付けば顔を両手で隠しながら暴言を吐き続けていた。

 「大体、なんで頑張ってるのにこんなにまだ頑張らないといけないの。ネジさんのことはそれでも嫌いにならないけど、でも理不尽だよこんなのやだ」

 根底にあった不満は、とうとう大きな泣き声に変わった。こんな風に大泣きしたことんんて子どものときくらいだ。こんな年になってこんな風に赤ん坊みたいに泣いたことなんて今までに一度もなかったと思う。
 すまなかった、とネジさんは私の背中に腕を回して、そのまま私を抱き起こした。そうなると必然的に私はネジさんの胸に体を預けることになる。だけどそんな状況について私が何かを思うことはなかった。強いて言うなら、――私は単純に安心していた。
 しばらくそうして私たちはじっとしていた。泣き止んで、心が落ち着いたころには何が起きていたのかはわからない。多分、私はそのまま疲れて眠ってしまっていたのだろう。
 
 目を覚ますともう時間は朝で、裸だったはずだった私はなぜか脱ぎ捨てたはずの寝間着を身に着けていた。ネジさんは任務なのかもう出かけていて、家のどこにもいない。
 何事もなかったかのように、普段通りの朝が私の目の前に在った。



 身体には一つの痕も無かった
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