お前に、天才だと言われたからだ…!


 その一言の台詞でやっと目を覚ますことが出来た。文字通り跳ね起きて掛け布団がばさりと床に落ちる。動機が収まらない。額と背中にじんわりと汗がにじんでいる。息を乱しながら私はその「恐ろしい夢」を振り払うように首を振った。いつの間にか私の中で、ネジさんが死ぬということはとてつもなく恐ろしいことになっていて、そしてネジさんという存在は私にとって大切な人になろうとしているということに気づいた。どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。もう戦争は終わったはずなのに。

 「……」

 怖くて眠れなくなってしまった。もう一度眠って、あの夢の続きを見てしまったらどうしよう。怖い。怖くて、眠れないのと、このまま一人で朝を迎えることが怖い。なんとなく、ネジさんが生きていること、此処にいることを確認したくなってしまった。
 そっと布団を抜け出して、そっと襖を開けて閉めて、そっと廊下を歩いて隣にあるネジさんの部屋の襖を開けてまた閉める。そろりそろりと部屋の中央に忍び寄ると、暗闇の中、確かに寝息を立てて眠っているネジさんがいた。安堵感でなぜか涙がこぼれそうになる。よかった、生きていた。髪を耳の下でひとつに束ねて眠るネジさんの額には、うわさに聞いたあの緑の卍の呪印が刻まれているのが見えた。前に熱を出して寝込んでいた時、額に乗せていたタオルを取り換えるたびに見たあの印が、薄闇の中ぼんやりと浮かんでいる。
 そっと手を伸ばして額に触れた。自分から触れたのはこれで何度目になるんだろう。嫌い、トラウマ、そういう人のはずだったのに。いつの間にか失くしていたこの人への、昔抱いていた淡い色の感情がまた花開こうとしている。こんな風に想うときがまた来るなんて思ってもみなかった。もう二度と、誰かを好きになんてなれないんじゃないかって思っていたのに。思えば私の人生はこの人を軸にして回っているような気がする。…夢の中みたいにもしも、この人がいなくなったら私はどうなるんだろう。今度は人をもう一度好きになるとかトラウマとか、きっとそんな次元じゃすまないんだと思う。私は、生きていけるのだろうか。

 さっきのリアルな夢のせいでまた涙がこぼれる。いけない。ネジさん起こしちゃったらどうしよう。はやく部屋に戻らなきゃ。なのに涙が止まらなくて、そのうちひっくひっくと嗚咽まで漏れ出す。情緒不安定だ。あの夢のせいで気持ちがおかしい。
 世界なんていつ崩れるかわからない。ペインが里に着た時も、また大きな戦争が起きた時も、たくさん人が死んでいった。私の家の親戚の人たちも戦争に行ったきり帰らなかったらしい。いつかまた突然平穏は崩されてしまうかもしれない。そして、その犠牲者のうちの一人にいつネジさんがなるかもわからないんだ。そういう現実を、事実を、あの夢がつきつけてきた。当たり前なんてないんだって。

 ふと、何かが頭に触れた。目を開ける。ネジさんの手だ。彼が、私の頭を撫でている。薄闇の中、心配そうにこちらを見るあの白い瞳が見えた。…ああ、結局起こしてしまった。ごめんなさいと呟くと首を横に振られる。きっと意味が分からないに違いない。私が泣いている理由なんて今起きたばかりのネジさんは知らないだろう。だからこそ余計に申し訳ない。ネジさんは何も悪くないのに。
 ごめんなさい、ごめんなさいを繰り返しているといつの間にか起き上がっていたネジさんがカナデ、と一言私の名前を呼ぶ。どうしていい?と聞かれて首を傾げると、ネジさんは指を三本立ててこちらにつきだしてきた。

 「一つ、抱きしめていいか。二つ、このまま一緒にこの布団で寝たほうがいいのかそれとも隣にもう一つ布団を敷くにとどめるか。三つ、話は聞いていいのか」
 「……」

 まず一つ目は悩む余地はなかった。こくりと頷くと、まるで壊れ物を扱うようにネジさんが私の頭に手を添える。ぐっとネジさんとの体の距離が、ネジさんがこっちに体を近づけることで一気に狭まる。いやではなかった。むしろ、その距離の近さが、触れたぬくもりが心地よくて、「生きている」ということがはっきりとわかって、また別の涙がこぼれた。

 「…怖い夢、見たんです」
 「そうか」
 「ねじさんが、死ぬ、夢」
 「……」
 「怖かったんです。ネジさんがいなくなったらどうしようって、耐えきれなくて」
 「…カナデ」
 「一人で寝て、朝になっていなくなってたらって。明日になってぷつんってネジさんが消えていたら、私」
 「カナデ」

 さっきよりも強く引き寄せられた。二つ目の件はやっぱりなしにしよう、とネジさんがつぶやく。耳元でつぶやかれたせいか普通に声ははっきりと聞こえた。

 「…今日は、やはり一緒に寝たほうが良いかもしれない」

 そうですね、と頷いた。前まではできなかった即答に自分でも驚く。でも今は確かに、この人の生きているという証に、ぬくもりに触れ続けていたかった。



 (拙くも「好き」と伝えたくなったなんて)
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