初夜が明けた次の日の朝、腰の痛みと膣周辺の違和感と、なんともいえない頭痛で起きられずにいる私に夫となったその人は「今日は一日寝ていたほうがいい」という一言を残して任務へと去っていった。私は一人残された部屋でぼんやりと今日このまま一日を寝て過ごすことに無意味さを感じつつ、かといって何かをする気力もないということで甘んじて寝そべり、天井の木目を眺めていた。

 破瓜は、それほど痛いとは感じなかった。挿入の瞬間が一番痛い、鼻にスイカを突っ込むような避ける痛みと聞いていたけれどそんなことはなかったように思う。ただただ、あるのは異物感だった。私が痛いと感じたのはそのいよいよ「本番」という時。擦りあげられても擦りあげられてもそれがイイとはいつまで経っても思えなかった。そりゃあそうだと思う。最初から私の心はどこか遠くに飛んでしまっていて、自分が今そこにいる感覚でやっていたことではなかったのだから。感じなかったところが一切なかったとは言わないし、実際ネジさんはそこらへん結構気遣ってくれていたと思う。
 女の真の快楽は心で感じた時だのなんだのという話を結婚すると決まって報告した友人から聞いてはいたけれどまさにそうだ。私は多分、心なんて殺していたものだから。…そうなるとすべて原因は私の自業自得となるわけで。…うん、あの人は、別に、乱暴ではなかった。私が勝手に一人で受け止めないでいた。それだけだ。

 「あーあ…」

 誰もいない部屋でちょっと大きめの声を上げた。これが当分続くんだ。誰もいないんだし、ちょっと嫌味っぽい声だってあげたくもなる。だってこの何とも思えないただじわじわとした痛みを含む行為がこれからずーっと続くんだ。私が子どもを孕むまで。だってそのための行為でしょ?そのための結婚でしょ?血統を残すための行為、そのための相手としての私なんだ、きっと。…なんで私なのかは知らないけれど。
 まだ私が彼を好きでいるなんて、思っていたりして。
 いや、それはないかと思いいたってすぐに首を振った。それは絶対にないと思う。だって、あの時以来私はまともに彼と眼を合わせなかったし、そもそも彼とすれ違うことを恐れて隠れるように生活をしたりなんかしてきた私だ。私が彼をもう好きではないということくらい、聡いあの人は知っているはずなのだ。

 「嫌がらせ…いや、そんな暇人じゃないか。そんな理由で読めなんて選ばないだろうし」

 だったら普通に、政略結婚。彼もきっと家の人に勧められたのだと思う。そう、彼の上の人。宗家とか。それとも上司の忍者とかきっとそんなところだろう。そういう適当な相手として選ばれた私と、結婚して、子どもをつくるんだ。そうやって考えたら結構彼も気のどくかもしれない。一生好きでもない女を養うことになるんだから。そしてその女は彼自身をよく思っていない。あ、ちょっと同情できる。うん、お互い悲惨なんだね。
 まあそこまで考えて、出てきた感情は「むなしい」というものが大きいのだけど。

 目を閉じながら今度はもっとむなしくなりたいわけじゃないのだけど、なりたかった将来について考えてみた。なりたかったものなんて普遍的で、女の子なら当たり前に持つ理想像だったと思う。好きな人に告白して、告白されて付き合って、長い時間をかけてお互いの理解を深めて、「好き」の言葉じゃ足りなくなったときはじめて愛を誓いあって…そう、好きな人と一緒に結婚して。それで好きな人と愛を囁きながら初夜を迎える。終わった時にありがとう、なんていいいながらまたキスをする。…そういう淡い夢を持っていた。私だって。でもそれももう叶わない。まだ好きな人なんて、愛しているなんて言いたくなるような相手以前にいなかったけれど、でも、やっぱりこれくらい夢に見ていたかった。いつか出会える「運命の人」と、もしもそうなれたらって――…。



 「カナデ」


 ふっと独特の低いテノールが私の名前を呼んだので目が開いた。遠くで鴉が泣いている。開いていたカーテンは閉め切られていた。どうやら私は眠りこけてしまっていたらしい。ちらりとカーテンを開くともう空が橙色から藍色にほとんど染まりかけていた頃だった。
 すみません、と謝るとネジさんが「夕餉を用意しておいた」と一言。どうやら私は主婦としての行動すら全うできずに夫という存在にやらせてしまったらしい。しかも仕事終わり。とんだことをしてしまった。

 「うどんは食べられそうか?」
 「…すみません」
 「いや、疲れてはいないし大丈夫だ」

 下忍の部下が脱走した飼い猫を捕まえるのを見守るだけの任務だったしな、とネジさんがぽつりと付け足す。ああ、この人下忍の先生なんだと今更その事実に気づいた。縁談が出て見合い、結婚、そして初夜までこの人のことを知る機会ならいくらでもあったはずだったのに、彼が主にやっている仕事を私は今はじめて知ったのだ。
 冷めないうちに、と促されて居間の椅子に腰をかける。日向の離れにある家と聞いた時は和風家屋かとびくびくしていたけれど(普通の一軒家とは扱いが違う掃除をしないといけないのかが不安で仕方なかった。畳とか)、同じような一軒家で本当に助かった。変哲もないイスとテーブルに胸を撫でおろしたくなる。あまり大きな音を立てないように椅子をちょっとテーブルに近づけて、じっと私を見てくる視線に気づいた。見られている。どうやら早く食べてほしいらしい。確かに他人に手料理をふるまうというのは料理がどんなものであれ緊張するのだろう。私も多分明日にはちゃんとご飯をつくるのだろうし祖の気持ちはなんだかとても共感できる。

 「…いただきます」
 
 そっと手を合わせて箸を取る。ふうふうと箸でつまんだ麺に息を吹きかけ、ちゅるりと食べたときのそのほっこりする柔らかい味に「おいしい」と声を出した時ようやく目の前の人もうどんを食べ始めた。しばらくはそのまま租借音だけが部屋に響く。ある程度食べたというところで目の前の人は「任務中、考えた」とぽつりとつぶやく。私より後に食べ始めたはずなのに彼のどんぶりの中は空っぽになろうとしていた。

 「お前が不安に思うことは何だろうかと」
 「…はい」
 「だがお前は立場上オレには何も言わない、言えないと思っているのだろう。何か言ってほしいと頼んでもおそらくお前は本音を現時点では吐かない。そもそもこの結婚も、お前は相手が上忍で日向一族の者だから断れないと踏んで渋々受けた。…違うか?」
 「…いいえ」

 占い師か、と突っ込みかけた言葉を飲み込む。普通に考えたらきっと考察できる事実だ。この人は頭もいいし、縁談を吹っ掛けた時点で私がどういう思いでどう結論するかも気づいていたところがあると思う。多分。だから最終確認で「無理していないか」なんて声をかけたんだ。私の反応を見るために。でもなんで今更こんなことを煽るように言うんだろう。ネジさんの言葉は続く。

 「…そのお前の考えは賢明だとは思うが、いくつか今後のことを考えて言わせてもらうと、まず根本的なところから言うが、オレは誰かの指図を受けてお前に縁談を申し込んだわけではない」

 私はそっと無言でそばにあった湯呑に手をのばした。もう十分に適温になって呉れたそれに手を伸ばして一口飲み込む。それから「嘘です」と呟く。ネジさんは本当だ、と即座に返した。
 
 「嘘です、絶対にありえない。それにそんなことをいまさら言われたって」
 「ああ、そうだろうな」
 「信じられないです」
 「分かっている。だから、」

 ネジさんもゆっくり湯呑に手を伸ばした。ふう、と息を吐いて呟く。「これはオレなりの結論だが」と。

 「今は受け入れなくていい。オレを拒否する感情を押し殺さなくていい。言いたいことを言ってもオレは構わないしそれでお前の不利益になるような行動はとらない。ただオレはこれからお前との関係改善の方向に働かせてもらう。関係改善が成功するまで子供は望まないし、お前が触れてこない限りオレはお前に何もしない」

 これはオレのエゴが招いた事態なのだから、とネジさんがぽつりとつぶやいた。私ははたから見れば多分ぼんやりした表情なのかもしれないけれど内心はかなり困惑していて。だって、この人が、あんなにひどいことを言っていたこの人が、まるで私の幻想通り優しい提案なんてして。しかも結婚は自分の意思って、それってつまりこの人は、でもまさか。
 混乱と、切なさといろんな感情が詰まって「どうして」という言葉が漏れた。小さいころの泣いている自分と、今の自分が重なる。ああ、思いだしてしまう。この人が好きだったあの頃のことを。そして追い打ちをかけるように彼がそっと笑うのだ。


 「オレはずっとカナデ、お前を」



(そして「もう一度」が動きだした)
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