真っ白な世界にいた。
何もない、真っ白な世界に。
「此処は、何処だ」
静かに呟いたはずなのに、遠くまで自分の声が響いた。
この空間は、嫌いだ。
ただ、そう思った。
真っ白な空間は、真っ黒なおれを責めるから。
不意に、後ろから肩をちょんちょんと叩かれる。
自分の他に誰か居たのか、と、振り向くと、涙を流した自分に出会った。
自分が二人。何も言わずに見詰め合うおれ達は何処か可笑しい。“どうして自分がもう一人いるんだ”――そんな問いではなく、“こいつは、どうして泣いているんだ”――そんな問いが浮かんだ。

「泣くな。弱虫」

強い口調で責めているようで、実は責めているつもりは全くない。
お前も“惺・夏端月”だろう。ならば、涙なんて簡単に見せるな。弱みなんて簡単に見せるな。
しかし、目の前の自分は、濡れた瞳でただ此方を見詰めた。
『…――哀しいんだ。』と、唇の動きがそう言っていた。声に成っていなかった。
「哀しい…?そんなことで、泣いてる暇なんか、おれには無いだろ…?」
同意を求めるように。
お前はおれだろう。ならば、分かるだろう?と。

しかし、

『…――お前が、』

涙が、血に変わった。

『…――おれを、置き去りにするから――…!』


その科白が頭に届いたのと同時に、
おれは、おれの右腕に刺された。


「おま…!」
唇から飛び散る血液。その赤を、まるで他人事のように見詰めていた。
『…――置いていかないで。』
最後の科白が、はっきりと聞こえた。
ああ、もしかして、お前は“   ”なのか、と漠然と思う。
思い出せないおれなんか、殺されて当然なのかも知れない。
情けない。
『思い出せないなら、おれが思い出させてあげる』
口端からは溢れるように血が吹き出る。止まらない。
だけど、思い出せない記憶に比べたら、忘れてた“三人目”の痛みに比べたら、こんなものなんか序の口なのだろう。
おれは痛みと熱に浮かされながら、ゆっくりと微笑んだ。
失った記憶、
欠けたピース、
おれの一部、
おれの所以、

「はやく、おれの中に戻ってきて」

目の前のもう一人の“おれ”は、おれと同じように微笑んだ。









低い声が谺した。

『…――“   ”、起きろ。』


前も見たあの夢が、追い討ちをかけるかのようにおれを責める。

『何…?父さん』
父さんの、何処か威圧感を帯びた声が、おれを震え上がらせる。
こんな父さん、知らない。
こんな濁った瞳の父さんは、知らない。
『“   ”、今日はお前に紹介したい子がいるんだ』
動けないまま、おれは過去に引き摺られる。ぐるぐると記憶が混ざり合って、今と昔の境界線が曖昧になる。
ああ、“三人目”が此方を見ている。
『…初めまして。僕の名前はアラン・ヴァン・アレン。今日から君の許嫁だよ。』
『いい、な、ずけ…っ?』
勝手に何をしてるんだよ。父さん。
溢れかえった憤りは、行き場を失ってただ爆ぜた。
アラン・ヴァン・アレン。何処かで聞いた事があると思ったが、彼は中立派の人間だ。
正しくは、中立派の総長の息子。
立ち上がる。物でも投げ付けてやろうか。
おれはお前を認めない。たとえ父さんの命令だとしても。
政略結婚で全てがどうにかなる訳ではないのに。
父さん、貴方はおれを道具にするのですか。
アランと紹介された彼は『貴女が僕を見てくれるなら、何でもしますからね』と、余裕そうに答えた。その笑みは、何処か狂気を孕んでいる。怖い。何なんだ。おれを、どうするつもりなんだよ。
結局はお前も大人達の道具として扱われているのに。どうして、そんなに幸せそうに笑えるんだ。
『おれは…っ』
お前を愛せる自信が無い。
だって、この心には、もう既に“惺”が居座っているんだ。
おれは彼女を愛している。許嫁なんて要らない。どうして、おれの好きなようにさせてくれないの。どうして、おれの前にレールを敷こうとするの。
悲しい。悲しくて仕方無い。
大人が憎い。大人が嫌い。
父さんは、おれの気持ちに気付く事無く、大きな声を上げて笑った。

『…――これからは、三人で仲良くするんだぞ』

それは、おれに対する死刑宣告だった。





『惺、おれに許嫁が出来てどう思う?』
お願いだから。
“   ”を取られて悲しい、って言ってくれ。そして、許嫁なんて解消してよ、って言ってくれよ。
お前のその一言で、おれは決心出来るのに。全てを捨てられるのに。彼女は何時もおれの望む言葉を紡いではくれない。
『いいじゃない。イケメンの旦那さん、羨ましいなぁ』
『本当に、そう思ってる…?』
『本当よ。嘘つく必要が何処にあるの』
おれの唇は、言葉を生み出せないまま、動かない。
惺は、おれなんかどうでも良いのか。だから、こんなにも突き放すのか。
だったら、最初から期待させるなよ。
お前の放つ言葉、一言一句に一喜一憂し、お前の些細な行動にも胸をときめかせていた愚かなおれ。
それを見て楽しんで居たのか、惺。

『おれ、お前が好きだ』
『私も好きだよー?“   ”』
『いや、そう言う意味じゃなくて…、おれは…っ』
『え…?急にどうしたのよ“   ”?』
『…真面目に聞いてくれ。』
思わずポーカーフェイスを崩してしまった。惺は一瞬だけ吃驚した後、ジッと此方を見詰めた。おれも彼女を見詰め返す。
その、碧い碧い瞳を。
まるで、それしか知らないかのように。
振り向いてくれないのならば、この想いだけは伝えさせてくれよ。
『女だけど…、おれはおまえを愛―――…』
『…―――だめ。』
困った惺の顔が、彼女より背の低いおれを見下ろした。
『…言っちゃ、だめ。』
『…惺……』
泣きたいよ。
お前がおれを掻き乱して堕としたんだ。
愛しているのに。
心の底から、愛しているのに。
(届かないんだな)
此の涙には気付かないで。
ただ惺を見ないように。
駆け出した。
遠くまで。

『…――待って!!!!』

彼女の声が、背中に降り注ぐ。
今だけは、呼び止めないで。



『…――待ってよ!!!ナユタ・ナハト!!!』



おれの名前を、呼ばないで。




2011.09.24
2013.01.17修正



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