ノイズが走る。

鼓膜を揺らす不協和音。おれの耳には届かない唯一の言葉。
それは、与えられたものであり、生きる所以であり、生きた証でもあった。
もう、届かない、その言葉。
おれは、それを捨てたのだ。
そして、新しいそれを、一生背負うと決意し、生きる所以、戒めとして身体中に刻み付けた。
新しく届く声は、ひたすらにおれを傷付けた。
後悔などしていない。
これがおれの愛の証なのだから。
だけど、
もう一度だけ、その唇から、その声が聞きたかった、と、
浅ましくも願ったあの日が、
どうしても忘れられない。



『“   ”』



もう、思い出せないおれの名前。





それは、テレビの電源を切る行為によく似ている。
ブツリ、と分断されたそれは、違和感としておれの心に長年居座っていた。
それは、ほんの些細な事だった。だけど、他人からしたら少しおかしい事かも知れない。
目を逸らしていた。
何も気付かない振りをして、普遍を装っていた。それでも、その異質なものは確かに存在し続けて消えはしてくれなかった。

そう、何時だっておれの記憶は“彼女”の事ばかりだった。

いっぱいいっぱいで、気付けなかった。踏み込もうともしなかった。
自分の本名はおろか、過去すらも曖昧で思い出せないなんて。
否、耳には入っているはずなんだ。身体も覚えているはずなんだ。
だけど、頭が拒否する。
まるで、再び傷付くのを恐れるように、本当の自分を隠して。
どうして。もどかしい。見えない何かに押し潰されて、息も出来ない。

捨てたのは、紛れもないおれだけど、
もう一度、拾う事すら許されないのだろうか。



…―――なんて、月に向かって感傷に浸ってみる。







「…――ロックオン、ちょっと来て頂戴」

ミス・スメラギの声で俺は立ち止まる。何時もなら笑顔で挨拶でも告げるとこなのだが、今日のミス・スメラギは声が違った。
少々緊張で強張った声は、俺の不安を煽るのには十分過ぎた。特に、惺を傷付けられ、身も心も不安定な今は。
これから何か悪い事が起こる、そんな感覚がして止まない。
出来るだけ、不安を表に出さないよう、真面目な表情で「…何か?」と訊ねた。
惺のように、上手くポーカーフェイスが出来ただろうか。少し自信が無い。
ミス・スメラギは、そんな俺に気付いて知らぬ振りをしているのか、はたまた本当に気付かなかったのか、「貴方に言わなきゃいけない事があるの。これはもはや私だけじゃ…、だからちょっと来て」と言葉を続けた。
俺に言わなければいけない事――何だろうか。今のところ皆目見当もつかない。
言われるままに連れて行かれたブリーフィングルーム。ミス・スメラギは、誰も居ない事を確認すると、扉を閉じた。
何故だろうか、うっすらと汗が出てきた。
「そんなに重大な事なのか…?」
「ええ、特に貴方にとってはね、ロックオン」
何だろう、と考える。が、やっぱり心当たりは無い。
あったとしても、惺のおやつのプリンを勝手に食べてしまったとか、そのプリンが無くなって地味にショックを受けているのを必死で隠している彼女を影から見たりだとか、果てしなくちっぽけで馬鹿らしい事ばかり。
ミス・スメラギは小さな声で「惺の事なんだけど…」と告げた。
「惺の……?」
「ええ、この事は貴方には言わなきゃいけないと思って……惺の恋人の、貴方に、ね」
どくん、と心臓が跳ねた。
流石ミス・スメラギ。
惺との関係はお見通しらしい。
わざとらしく笑みを浮かべれば、彼女は「まあ、それは置いといて…」と本題を切り出した。
「チップの事よ」
チップ、とは、あの、惺の左肺に埋められているチップの事でいいのだろうか。
確か、最強兵器のデータが詰め込まれていて、それを隠す為に彼女の身体を入れ物として選んだとか何とか。
「実はね…、この間の事件で傷を追った時に、彼女の身体を精密検査したのよ…」
「それで……?」
心臓がバクバクと動く。嫌な予感が止まらない。
俺の頭は最悪のシナリオを予想している。
そんなの、有り得ない。だから消えろ。
ミス・スメラギは苦痛に歪んだ表情で続けた。
「左肺には無かった。だけど、分かったのよ。ドクターがどこにチップを隠したのか」
その先を、聞きたくない、と思った。
どうか、夢で。
早く、この悪い夢から覚めて。

ミス・スメラギは、人差し指で自らの眉間を指差した。



「チップは…、惺の頭に埋め込まれていたのよ」



時が、止まった。
夢なんかでは、なかった。
俺には、ミス・スメラギが言ってることが瞬時に理解出来なかった。否、このまま一生理解出来なくても良いとさえ思えた。
「ちゃんと聞いてロックオン。真実を知るべきなのよ」
俺を諭す。いきなり過ぎて頭がついていかないんだ。
(だって、頭に、って事は、彼女は)
「冗談止してくれよ…」と、ただ情けない声だけが唇から出てくる。
「そんな…、嘘だ…」
嘘であって欲しい。
彼女がこれ以上傷付いて良い理由など何処にも無い。
組織から狙われて、傷付けられ、チップが無いと分かると呆気なく彼女を放り出した。そんな苦しみを乗り越えて、チップという不幸の元凶が取り除かれて、やっと惺も普通に生きることが出来る、と、そう思っていたのに。やっと、彼女を苦しめるものは無くなったと、そう思っていたのに。
「落ち着いて聞いて。惺の身体とチップについて調べたのよ。…あなたにとっては残酷過ぎるかも知れない…だけどちゃんと聞いて」
俺は弱々しく頷いた。
しっかり最後まで聞こう。
まずは俺がしっかりしなくてはいけない。
「まず…チップなんだけどね…、凄く高い技術で作られてるチップなの。今の技術のだいぶ先を行ってる技術よ」
「そんな凄い技術が…惺の頭に…」
「ええ。しかもそれは直接惺の精神と繋がっているのよ」
「精神と繋がっている…?」
意味が分からない。
神経とチップが繋がっているとはどう言う事か。混乱した俺の頭にも分かりやすく説明して欲しい。
「精神で分からないのならば、惺の記憶と言った方が分かりやすいかしら…?」
そして、苦痛以外の何物でもない爆弾を投下した。



「…――惺は、一度死んでるのよ」



(死 ん で る ?)

今度こそ頭が真っ白になった。

「地雷の事は彼女から聞いてるわよね?……その時に、彼女は、右腕、右脚、左肺、小腸と子宮の一部、左目を失ったの。だけど他に、もうひとつ―――脳の一部も失ったのよ」
「――――っ!?」
「惺の父親のことも知ってるわよね?彼女の父親は一人娘である惺を助ける為に莫大なお金を積んだ。そしてその結果作られたのが惺の体内にある機械と脳内のチップ…。この二つで彼女は生き返ったのよ」
「そんな……っ」
上手く声が出せない。
この事実を知ったら――彼女―――惺は―――…
追い討ちをかけるかのように。
ミス・スメラギは「分かるわよね?」と言葉を紡いだ。


「教団は惺のチップに最強兵器のデータが詰め込まれていると思ってる…。だけど本当は違ったの……」


彼女の哀しみは、いつになったら無くなるのだろうか。
そう、暗闇に問い掛けても、答えなどない。






「彼女――惺の存在自体が、最強兵器なのよ。」







2011.08.09
2013.01.15修正



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