不思議だな。
命の危険に晒されていると言うのに、心は何故か穏やかな気分なんだ。

おれはふよふよと真っ白な空間を彷徨い歩いていた。もしかしたらおれはもう既に死んでいて、此処は天国なのかも知れない、と柄にもなく思った。
ゆっくりとその温もりに身を預ける。
浮かんでくるのは過去の記憶。
これが走馬灯と言うのだろうか。だとしたら笑える。
何も無い宙に手を伸ばす。掴みたかったものは、何時もおれの指先を擦り抜けて消える。
こんな所で、死にたくない。
まだ、夢の途中だと言うのに。
“夏端月惺”の望んだ平和な世界を、実現させていないと言うのに。
(嫌だよ)
中途半端な人生だ。何も出来ずに終わりたくなんかない。
(お願い、目覚めてくれよ、おれの瞳)
まだ頑張れるんだ。
絶対に、平和な世界を、実現させてやるんだ。
だから、おれは、傷付いても、傷付いても、傷付いても、傷付いても、立ち上がらなければならないんだ。
世界は変われるんだ。
まだ、望みはある。
もう一度、彼女が笑える世界へ。


おれは、手を下ろした。
ふ、と自嘲する。
(むり、なのか…)
瞳を閉じた。
どうやらおれは死ぬらしい。
身体も動かない。眠くなるように意識が遠退く。
「ああ、そう言えば、」と然程重要でない事が頭を過る。
(スメラギさんから頼まれたお使い、すっぽかしちゃったなぁ)
今頃、トレミーで怒ってるかも。「惺遅い!」って。
きっと、ロックオンも怒るだろうな。「心配かけさせやがって!」って。
安易に予想出来る。何か笑えてきた。
不機嫌なロックオンの顔を思い浮かべ、漠然と思った。
おれは、いつの間にか、こんなにも彼に絆されていたんだな。
そう言えば誰かが言っていた。ふとした瞬間に思い出す。それはもう恋であると。
(ああ、)



こんな時に、今更、気付きたくなかったな。



おれは、随分と前から、ロックオンを愛していたんだ、って。













敵同士である私――グラハム・エーカーと惺・夏端月の禁忌、それは裏切り。
暗黙の了解であった。
街で引かれ合うかのように会い、ユニオンやソレスタルビーイングには触れずに他愛も無い話をして別れる。
あの関係が心地好かったのに、どうして私は、彼女を手に入れたいと、思ってしまったのだろうか。
純粋な愛だったはずなのに、何時から、何処から、踏み外してしまったのだろう。
彼女を傷付けられるのを、ただ見ているだけの自分が情けない。
「惺……っ!!!!」
意識を飛ばした彼女を必死で呼んだ。死なないでくれ。ただその一心。
仮面の男はゆっくりと私に向き直る。仮面のせいで、その表情は分からない。
「…すべて…僕の責任です…」
思わぬ科白が投げ掛けられた。
先程、惺にも言っていたが、この男は敵と表するには少し当てはまらない部分がある。
攻撃的なメリッサとは違い、何処か包み込むような柔らかさがある。
「君は…一体…」
口から勝手に出た言葉は、何処か頼り無い。私は彼の仮面を見透かす程に睨み上げた。
彼は、私の眼光に一瞬だけ申し訳なさそうに表情を崩すと、惺の髪の毛を優しく梳いた。
その手つきは本当に優しい。まるで、労るようなその仕草。
彼女の止血はいつの間にか終わっていたらしい。拘束していた縄や枷も外されている。
この男は、彼女のチップを狙っていたのではないのか?
訳が分からなくなる。
「本当は…」
男がぽつり、と呟く。
「本当は、こんなに傷付けるはずじゃなかった…」
その科白は、まるで。
「君は…惺を…」
しかし、私の問い掛けは、最後まで紡がれる事は無かった。
「少し、眠ってもらいますね」
次の瞬間、
私は何か布のようなものを押し付けられ、瞬く間に意識を飛ばしてしまった。


…―――どうか、私の罪を、許してくれ。


薄れ行く意識の中で、ただ、惺の事だけを想った。
深海に沈むように、ゆっくりと。
その漆黒と紺碧に包まれて。




2011.06.20
2013.01.13修正



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