あの丘が、見えた。
おれの愛した女が埋まっている。
あの丘が。
ゆっくりと静かに歩き出す。彼女の墓には久しく行っていない。もしかしたら蔦や花が覆っているかも知れない。丁度良い。墓参りがてら処理しに行こう。
懐かしさを帯びた空間のど真ん中を突き進むかのように、ゆっくりと確実に近付く。墓まで、もう少し。
しかし、
『あれ…』
思わず声を出してしまった。
おれの探していた“夏端月惺”の墓が、無くなっている。
一面に咲き乱れている、名も知らない花を掻き分けて進む。此処に、彼女の墓を作ったと言うのに。どうして無いんだ。
立ち竦んだ。
すると、後ろから予想もしなかった声がおれの鼓膜に届く。
『…――“   ”!!!!』
嘘だろ、と頭に浮かぶ前に、その人物はおれを後ろから抱き締めた。
その人物――夏端月惺を、ただ吃驚した表情で見詰めた。どうして此処にいるのか、理解出来なかった。彼女は自分が殺めたはずだ。
身体を離し、確認するように彼女を見上げる。すると、今度は自分の身体が僅かにおかしい事に気付いた。
『おれ、縮んだ…?』
『何言ってるの?“   ”はちゃんと何時も通りの身長だけど?急にどうしたの?』
おれは何も言えずに彼女を見詰めていた。

ああ、これは夢ではないか。

一瞬にして理解出来た。そうだよな。過去なんて変えられないし戻りはしない。
“惺”はニッコリとおれの大好きだった笑みを浮かべた。
『今日も、鬼ごっこ、やろーか?』
どうして、そんな唐突に。夢の中で鬼ごっこをやるなんて可笑しな話だ。まあ、どうせ夢だから最後まで付き合ってやろう。
暫し頭の中で考えた後、おれは彼女に『二人で?』と尤もな問いを投げ掛けた。
『ううん。三人』
『…三人……?』
ピキッ、と、こめかみが痛くなる。その痛みはジンジンと広がり、頭まで支配する。まるで、おれに何かを伝えるかのように。
“惺”は笑った。
『覚えてないの?“   ”』
『覚えてないの…って、おれ達は何時も二人だったじゃないか』
そう告げた瞬間、彼女の後ろに人影が現れた。ゆらり、と揺らめくその人影はおれの心臓を握り潰す。
誰だ。お前は、誰なんだ。
恐怖に似た何かに支配される。怖いはずなのに、その人物を確認してやろうと瞳は勝手に動く。
もう少し、もう少しで、見える。
が、その人影は途端にザザザと歪み始めた。まるで電波が上手く受信出来ていないかのように、ザザザと。
誰なんだ。顔が見たいのに。
焦らさないでくれ。
そう思って、手を伸ばした瞬間、“惺”に手首を掴まれた。ギリギリ、と爪が食い込む。
刹那、煩い程に視界に入っていた植物の色が、脱色したかのように抜けていく。
一面、真っ白な世界。
雪でも振ったのか、と思う程。
掴まれた腕からは血が流れ出す。深く抉られたそこは、白い世界とは真逆で真っ赤に染まっている。
『惺…?』と声をかけると、彼女は怒りの形相でおれを責めた。
『貴女は忘れちゃったの。大事な事、全部』
『忘れた、だと…?』
意味が分からない。彼女は続けた。
『あいつの事も、私の事も』
『“惺”!それは、どう言う――…』
訊ねようと開いた唇は、それ以上紡げなかった。おれは、自身の足元だけ純白ではなく深紅に染まっている事に気付いた。
『……………っ!』
驚く間も無かった。否、驚く必要など無かった。その深紅の正体を知っていたから。
『“惺”!!!!!』
叫んだ。
その刹那、視界にいた人影が、ゆらりと蠢いた。
恐怖から後退りをする。
止めてくれ、と心が叫んでいるのに逃げられない。ずしりと右手に生まれる重量感。流石に何事かと自らの掌を確認すると。その中には過去に自分が使っていた拳銃が収まっていた。
使い慣れた、妙に愛着のあるそれ。しかしその気持ちに反して嫌な予感しかしない。
足元の深紅は、空気にさらされてどす黒く変色していた。
(これは、)
そこで漸く足元の血に意識を向ける。自分の腕からこんなに血が出た訳では無かろう。爪が食い込んだ程度で、こんなになるはずが無い。
ならば、答えは自ずと。
ポタポタ、と血の跡を視線で辿ると、目の前の人影の足元に辿り着く。
その人影は、先程は分からなかったが、確かに、

…――ロックオン・ストラトスの姿で。

『“   ”』
耳許で、呪いが囁かれる。
『私を殺せたんだもの。この男だって殺せるでしょう。ね?』
『い…!!嫌だ…っ!!!』
彼は、殺せない。
どうして、こんな事に。
『早く、撃ってよ』
『“惺”…っ、お願いだから…っ!!!』
が、懇願の言葉は途中で止まる。彼の瞳に憎悪と悲哀が灯った。
『…―――ッッ!!!!!』
勝手に動いた右腕。
拳銃がロックオンに向けられている。
『なっ!!なんなんだよ!!!』
まるで右腕だけが自分とは別の意思を持ったかのように動き出す。
その銃口はロックオンの心臓を捉えている。
『いや…!!!いやだ…!!!』
トリガーを引きたくて堪らない人差し指を何とか抑え込む。カタカタと震えだす。止まらない。怖い。
『やめろ…っ!!!やめてくれよぉ…っ!!!』
涙が溢れて止まらない。おれは情けなく叫ぶ。ロックオンはそんなおれを見て苦笑いを浮かべた。
『惺…』
と、その優しい唇で囁く。
涙で霞んでその優しい顔が見えない。
『撃ちたくない…!!いやだ!!!いやだっ!!』
限界を迎えたのか、右腕が小刻みに戦慄く。その振動に、何時撃ってしまうのかと恐怖しか感じない。
『誰か…っ!!!お願い…っ!!!』


このままおれを殺してくれよ。


ぽた、と、

一筋の涙が頬を伝った刹那、







おれの人差し指は、












…―――息苦しくて、目覚めた。
その先に見えた鮮やかな紫色に、一瞬だけ泣きたくなった。
否、もう、手遅れだった。
「あ…!!あ、ああ、あああ…!!ああ、ああ……!!!!」
まるで涙腺が壊れてしまったように働き続ける。涙が、枕を濡らし、シーツを濡らし、隣で一緒に寝ていたティエリアの服を濡らした。
「ゆ、夢…!!ユめ、夢夢ゆメ…!!!い、ああ、ああ、あああ…!!!」
おれは狂ったように声を発し続けた。誰かに助けて欲しかった。抱き締めて欲しかった。あんな悪夢、早く忘れたい。
「ティ、ティエリア、起きてくれよ、お願いだから…っ」
ティエリアの服を掴んで揺さぶる。早く。早く。早く。早く。
おれを抱き締めて欲しい。
あんな、怖い、夢。
まだ、瞼の裏に残っている。白と赤が。
吐き気がする。
指先一つ一つまでリアルに感じたあの恐怖。
「ティ、ティエリア…っ!」
「…惺?」
おれの悲痛な呼び声に、ティエリアは漸く目を覚ました。彼はおれを見て、直ぐに違和感に気付いたらしい。
「大丈夫、僕は此処に居る。君の傍に居る」
ぎゅっ、とティエリアの服を掴んだ。安心するその声。お願い、もっと話し掛けて。
大好きだった、彼女の声を掻き消すくらい。
「惺」
ティエリアはおれを抱き締めた。言ってないのに通じた事に、少なからず安心する。
「大丈夫だから…。君を傷付けるものは何もない」
「…っ、ティエ…っ、」
「大丈夫。僕がいる」
「ティエ、…ア……っ!」
涙で声すら出せなかった。
おれは必死で縋り付いた。
怖い。ただ怖い。
「ティエリア…っ、おれは…っ」
ぎゅうぎゅう、と抱き着く。ティエリアはおれが落ち着くまで背中をポンポンと叩いてくれていた。
その優しさにジワリと再び泣きそうになる。
たった今、気付いたんだ。
きっとおれは随分と前から無理をしていたのだ、と。ティエリアがおれを抱き締めてくれるまで、その限界点に気付かなかったのだ、と。
痛みなんか慣れている。苦しみなんて付きまとうもの。
ずっと麻痺していた感覚に気付かなかった。今まで仮面を貼り付けて、限界点を誤魔化しながら生きてきた。
此れくらい、平気だと。
でも、違ったんだ。
「苦しいよ…っ、ティエリア…」
窒息してしまいそうな程に。
気付いてしまったんだ。
おれはもう戻れない事に。
愛した彼女の為に、全てを捧げようとしたのに、夢の中でロックオンに向けた銃口が震えていた。
彼女の言う通りに、彼を殺める事が出来なかった。

「愛って…なんだろう」

不意に、涙と共に溢れ出た科白。
ティエリアの手の動きが止まった。



「おれに…、愛は、重すぎるよ…」



その苦しみの処方箋は、まだ開発されていないと言うのに。




2011.02.22
2012.02.11修正
2012.12.28修正



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