「刹那・F・セイエイ」

不意に、自分の名前を呼ばれた。呼んだ人物は意外な人で、俺の後ろで俺が振り向くのを待っている。
「惺・夏端月」
俺は、彼女と同じように、彼女の名前を呼んで振り向いた。彼女も俺も無表情だ。
「なんだか名前を呼びたくなった」と紡ぐその唇。俺は「そうか」と呟いて、惺の色違いの瞳を見つめる。彼女にしては珍しい。
(最近、彼女は変わった)
あの海辺の件から。
彼女は確実に変わっている。
惺はゆっくりと近付いてくる。俺も彼女が近付いてくるのを待つ。
ふと、彼女が笑った。
冷たい瞳が、温かみを帯びる。
「なんか…悪いな」
「お前が謝る必要など無い」
「………そうか」
惺は再び笑った。今日の彼女はよく笑う。もしかしたら、先日の嫌な事を忘れようとしているのかもしれない。
「無理はするな」
俺は呟いた。こんな稚拙な言葉で彼女を救えるとは思わないが、少しでも彼女が楽になれば、と。惺は「ありがとう」と返して力なく笑う。本当に今日の惺はよく笑う。
俺はゆっくりと彼女の瞳を見詰めた。何故か時々彼女の瞳が恋しくなることがある。今がまさにその時。
「…“   ”」
何も映し出さない瞳に、少し意地悪したくなった俺は、彼女の本名を呼んでみた。予想通り惺は眉間に深い皺を刻んだ。
「…本名は、好きじゃない」
「…どうして?」
「ノイズが走る」
「ノイズ…?」
「呼ばれても、分からない。おれは自分がどんな名前なのか、忘れてしまった。あんなに強烈な過去を辿ったはずなのに、身体が拒絶する」
惺から語られる言葉に、俺は複雑な気分になった。俺も本名を良く思っていないからか。
でも、聞こえないだなんて、そんな事あるのか。
惺は不機嫌な顔を崩さないで続けた。
「おればっかり本名がバレてアンフェアじゃないか」
「…………………」
俺は固まった。不機嫌な表情を浮かべてはいるが、これは絶対わざとだ。最近の彼女は分かりやすい。俺は静かに惺の手に触れた。驚く程に冷たい。
「…ソラン、だ」
本名を告げたのは、これで二人目。だけどあの時とは全く違う気持ちだ。何と表現すればいいのかわからないが、ただ、温かい。
「ソラン…」
惺は復唱した。しかし、眉間に再び皺を刻む。ぎゅっ、と手を握られる。
「でもさ…、おれはおれ。刹那は刹那だよな」
「ああ」
答えると、今度は微笑んだ惺。一瞬だけくらっとした。

「おれは、ソランより刹那が好きだな」

(ああ、俺は―――…)

「俺も…惺が好きだ」



ロックオンが彼女を愛おしく思うのもわかる。



「飯…食いにいくか」

「ああ…」









もう既に皆は席に着いていた。少し遅れてやって来た刹那とおれは、視線を浴びつつ皆のもとへ行く。
俯いていた顔を上げると、「刹那ー、惺ー、こっちだ」と席を指差すロックオンを捉えた。
(なんだろ…おれ…)
違和感を覚えつつも、指示されるままに席に着く刹那とおれ。刹那はおれの隣。おれはロックオンの隣。
(なんか…モヤモヤする…)
眉間に皺を刻んだ。
この感覚を、おれは知っているはずなんだ。だけど、それが何処で感じたものなのか全く覚えていない。
ただ、気持ち悪く腹の底に居座るその感情を、訳が分からず放置したまま、おれは平然とポーカーフェイスを貼り付ける。
「惺、どうした?食べないのか?」
心配したロックオンが声をかけてきた。おれは急いで「食べる」と答えると、近くにあったパンを引っ掴んだ。その刹那、くすくす、と小さな笑いが聞こえる。不思議に思って顔を上げると、穏やかな顔をしたロックオンと目が合った。
「…………………っ」
パンがつっかえる。心臓が苦しい。どうしたんだ、おれは。
こんなの、何でもない、はずなのに。
「…惺?」
固まったおれを訝しんだロックオンは、ゆっくりとおれの顔を見詰めてくる。
(ちが…、やめ…っ)
訳が分からない。身体が熱い。



『…――だから、言わせてくれないか。惺を愛している、と』




―――ガタン!!!
おれは耐えきれなくなって立ち上がってしまった。再び視線を集めるおれ。
(ああ…!!もう…!!)
「ごちそうさまっ!」
自分でも意味不明な感情に駆られて。でも、皆には悟られたくなくて。感情を晒け出すなんて、久しくしていないから、どうすれば良いのか忘れてしまった。
逃げ出したくなったおれ。否、もう逃げる準備は万端だ。
「おれっ、義手の手入れしてくるからっ」
動揺からか、告げなくてもいい情報を吐き捨てる。完全におかしい。
「あら、いってらっしゃい」と言う、特に干渉してこないスメラギさんの科白に若干救われた。
「………………っ」
ここでやっと平常心が帰ってくる。何してるんだおれは。
ガタガタと音をたてながらその場を後にした。

何故だろう。
最後までロックオンの顔を直視出来なかった。








「ロックオン…貴方、惺に何かしたの?」
「………いや、なにも?」
「おかしいわね…あの子が赤面するなんて」
「…………………。」




2011.02.19
2012.12.26修正



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