「ちょっと惺、どうしてびしょ濡れなの?」
「あー…うん」
グラハムと別れたおれは皆の居る王留美の隠れ家にやって来た。
川で溺れかけて助けられた後、グラハムが急用ということで、別れた結果(あいつはとても嫌がっていたが)何もやることがなくなったおれは皆の元へ戻ってきた。
おれは、問い掛けられた内容に曖昧に返すと「ちょっと!ちゃんと答えなさいよ!」とクリスティナのお怒りの科白が飛んできた。
別におれが濡れていようがいまいが、クリスティナには関係無いと思うんだけど、と言う反論は飲み込んだ。
「お前だって濡れてるだろ。同じだ」
「私はプールに入ってたの!」
「奇遇だな。おれもスイミングに行ってたんだよ」
ただし、川で、な。
心の中で付け足した。何故か勝ち誇った気分。満足げにクリスティナを見下ろし、彼女の横を通り過ぎた。
後ろから「惺の嘘つき!」という罵声が降りかかってきたが、聞こえない振り。

怒ってるクリスティナはさておき、濡れた衣服をどうするか、だ。義手、義足もほったらかしにしていたら錆び付いてしまうかも知れない。別に、錆び付いてもスペアがあるから構わないのだが、残りのスペアも少なかった気がする。慎重に使わなければならない。
うーん、と一人唸る。すると、目の前が急に暗くなった。
「…………?」
声には出さなかったが、不思議な表情で見上げると、おれと比べてちょっとだけ視線の高いティエリアとバチッと目が合った。
彼は、おれと同じく不思議そうな顔で此方を見詰めていた。
暫し沈黙が流れる。
互いに言葉を探す。
言葉での表現が得意とは言えないおれ達。必死で紡ぐ言葉を探す。
(え…と、なんだ?ただいま、とでも言えばいいのか?それとも…)
「惺、」
先に科白を見付ける事が出来たのはティエリアだった。
「…君は…どうして濡れているんだ?」
(…尤もだな。)
おれは苦笑いを浮かべた。
(しかも、さっき聞いたな、その科白は)
そこでおれは、はて、と考える。
先程のクリスティナは上手く回避出来たが、今回はティエリアだ。
勝てる気がしない(心理戦ではなく無言耐久勝負なら勝てるのだが)。
おれは肩をすくめた。
「スイミング、だ」
「嘘だな」
「……うん、嘘」
ティエリアの科白に、おれは腹を括った。そうだ、彼に勝てるはずがなかったんだ。
苦笑すると、後ろから再び叫び声が降りかかる。
「何でティエリアには素直に言うのよ!?」
「あー…まあ、色々…」
「酷い!罰として、濡れてる理由を白状しなさい!」
クリスティナの怒濤の反撃。
おれは淡い期待を抱いて、ティエリアに助けを求める。が、見事に打ち砕かれた。

「惺、早く言うんだ。」
「……溺死しそうなところを馬鹿な奴に助けてもらった。」

グラハムを思い浮かべながら言った。あいつは本当に馬鹿だ。ソレスタルビーイングのおれを助けるだなんて。
考えるのも嫌だが、その気になれば何時だっておれを捕獲して縛り上げる事だって出来る。息もする暇も無いくらいにグチャグチャに拷問をさせて、おれが泣き付いて仲間の情報を吐き出すまで痛め付ける事だって容易い。
そして拷問に疲れはてて命が絶えてしまったおれの身体を、解剖して隅々まで調べ尽くす――――そんな事だって。
(気持ち悪…)
おれは一旦思考を中止した。
「溺死…?溺れかけたのか?」
「まあ…」
「えっ、どうしてよ!惺!」
「まあ…色々あって…」
おれは問い詰めてくる二人に、歯切れ悪く答える。
てゆーか言える訳ないだろ。
声が聞こえて、つられるように飛び降りてしまった、と。そんな事で命を無駄にするところだった、と。
ティエリアが嘆息する。
「君は…自分の身体が普通ではないと分かって…」
「忘れてたんだよ、泳げないって」
ティエリアの喋り方がキツくなる。分かってる。彼は心配してくれているんだと。
「惺泳げないの!?」
「ん。泳げない」
意外な反応をするクリスティナに、そういえばおれがサイボーグだと知っているのはスメラギさんとマイスター達だけだったな…と思う。まぁ、別にバレても構わないから、泳げない事も軽い調子で認めてしまった。
「惺が泳げないなんて意外。運動神経良いのに」
「おれ、沈むからさ」
怪訝な表情で「沈む?」と訊いてくるクリスティナ。そんな彼女に微笑みを浮かべた。

「じゃあ…人工呼吸…、したの?」

…――空気が固まった。
訊ねたクリスティナだけではなくティエリアまでも眉間に皺が寄っている。
(そういや、忘れてたな、その事は)
「んー…、そう言うことになるな」
「惺っ!まさか初めてじゃないわよね!?」
「……………………。」
おれも固まった。クリスティナがガツガツと踏み込んでくる。
それより、何で泳げない話からキスの話に擦り変わってるんだ。人工呼吸がおれのファーストキスだろうが、無かろうが、クリスティナには関係無い事。
(女ってこう言う話大好きだもんな…)
一瞬泣きたくなった。
(でも、ファーストキスだったのか?)
脳裏に浮かんだグラハムの顔。
如何せん記憶が曖昧過ぎて分からない。
思い出そうとすればする程、記憶は霞み掛かって遠ざかる。
自分の名前すら憶えていないのに。そんな事を憶えている訳がない。
何とか平常心を保つ。
(ファーストキスがグラハム…)
客観的に格好良い奴だが、年の差もあるし、それ以前に敵同士だ。そして、おれは奴に恋心は全く抱いて無い。あくまでも今のところは、だが。
「……………………………」
「……………………………」
「図星ね!?」
「…いや…、その……」
おれは言葉を紡ぐ事すら困難だった。別にファーストキスがグラハムと想像して恥じらっているのではなく、クリスティナの凄まじい勢いに押されて言葉を紡げないのだ。ティエリア、助けて。
今度こそ助けを懇願すれば、ティエリアは先程のしかめっ面のまま、おれの濡れた髪に触れた。


「…君が生きてて…良かった」


ティエリアの言葉は、おれの予想を遥かに裏切った。
クリスティナから擁護する言葉を望んでいたのだが、彼の唇から生まれたのは安堵の科白だった。
驚きと戸惑いを隠せなくて不安定な声で「ティエリア…?」と囁くと、彼の手が髪から頬に移動した。そして優しく囁いた。


「……温かい…」


刹那、おれは何故か急に泣きたくなった。
(…生きていて、良かった…)
漠然と、そう思った。
ティエリアに抱き着く。彼は、服が汚れてしまう事も構わずにおれを抱き返してくれた。
生まれた死への恐怖を掻き消すかのように。
強く、強く。

「怖、かった…。」

クリスティナに聞こえないように呟く。ティエリアの腕の力が強まった。

「僕も…、怖い…」

彼の温もりに包まれながら。

「君が、僕の傍から、居なくなるのが、怖い」

「ごめん、ティエリア」

「…もう、心配かけないでくれ」

「うん。」


それは、おれ達だけの秘め事。




2011.01.21
2012.12.11修正



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