真っ黒な世界にいた。

静かで真っ黒な世界に。

…――ああ、おれ、死んだんだ。
そう思った。
川に身を投げるなんて、馬鹿らしいし未練がましい。おれ、どうしようもない馬鹿だ。

『…――“   ”、おいで』

その声に、つられるように。
その声に、導かれるように。
冷たい水の中に、全てを投げ捨てた。
彼女が呼んでいた。
彼女が寂しがっていた。
冷たい水底で、おれの、遥か昔に捨てた名前を呼んでいた。
(お前が、呼ぶなら、直ぐにでも)
柵に足をかける。
おれの名前を呼び続ける彼女の元へ。

おれが、命を捧げたら、お前は、お前を殺めたおれを許してくれるのか、と。

深呼吸。
死んだら、おれの身体はどうなるんだろうか。
肉はふやけて腐って、錆び付いた金属と骨だけが残るのかな、と。
ソレスタルビーイングの仲間達は悲しむか?それとも何とも思わないか?
おそらく後者だろう。
それでいい。おれが皆を拒絶してきた報いだから。
出来るならば、皆ともっと関わり合いたかった―――人間が大嫌いだったおれが、あの事件以来、初めて許せた。初めて信じようと思えた。
今更になって後悔ばかり浮かぶ。
おれは、何時も間違った道を進んで来た。
だから、ここで終わらせるのも良いかも知れない、と。
ここで初めて、おれの魂はどうなるのだろうという疑問が頭に生まれた。
おれという自我は、綺麗さっぱり無くなってしまうのだろうか。
出来るならば、綺麗に跡形残らず消えて欲しい。そうすれば、おれはもう何も考える必要は無い。
苦しむ必要も。


おれはゆっくり微笑んだ。


するとプトレマイオスの様子が浮かぶ――…

皆が集まっている。おれは何時も通りに無言で入っていく。
すると、おれに気付いた皆が振り返って微笑んだ。
そして、おれに告げる――…

『…――おかえり…』

と。
おれはそんな皆に向かって困ったように笑うと、言葉を返した――…

『…――さようなら…』










私――グラハム・エーカーは水中からその身体を引き上げた。髪の毛から水が滴る。服も水をすっていて身体が寒い。
サイボーグだと聞いていた割には軽い。しかし、泳げるか、と言われたら否だ。

息をしていない惺を寝かせると、私は深呼吸した。焦燥感が襲い掛かる。
気道を確保し、額と鼻を押さえる。
(頼む…!!目を覚ましてくれ…!!)
深く口付けて人工呼吸。
(お願いだ…!)
しかし、私の懇願に反して、まだ惺の意識は戻らない。
惺の胸に手を当てて心臓マッサージをし始める。
「…――惺!」
叫んだ。
名前も知らない誰か。
惺が愛し殺めた誰か。
どうか、惺を連れて行かないで。

私から、惺を、奪わないでくれ。

次の瞬間、惺の指がピクッと動いた。
そのまま「げほっ、げほっ、」と水を吐き出すと、だるそうに瞳を開く。
「惺…!!!」
(良かった…!)
不意に瞼に込み上げる熱いもの。
それを堪えてゆっくりと彼女を起こす。
「大丈夫か…っ?」
すると、ゆっくりと彼女の手が伸びてきて、私の頬に触れた。
「温、かい…」
囁く惺。
静かにそのポーカーフェイスが微笑に変わる。
「髪の色が…同じなんだ…」
頬から、私の髪の毛へと指先が伸ばされる。
「誰と…、同じなんだ?」
惺は眉間に皺を寄せた。
「おれの…特別な人」
微笑みを浮かべたまま。
私は彼女の指先に手を重ねた。
その有り得ない程に冷たい指先に、彼女が生きていて本当に良かったと思う。先程堪えた涙が再び込み上げてくるのに気付かない振り。
「…“惺”…」
惺はゆっくりと弱々しく呟く。それは私ですら聞き取るのがやっとのことだった。
「……お前の元に、逝けなかったよ」
その科白に、彼女の考えを直ぐに理解した。
「惺……っ!君は……っ!」
力強く、彼女を抱き締めた。
「…簡単に死んではいけない…!!!」

聞こえるか、私の声が。

「…君は…、世界を変えるのだろう…?」


その瞳に。


「君が望んだ世界を、私に見せてくれよ…っ!その手で…っ、掴み取って見せろよ…っ!」


ガンダムマイスターの意地を見せてみろ。
まだ、私は納得していないんだ。
君を、知らないんだ。


「勝手にゲームを終わらせるなんて、許さない…っ!」



惺は、力無く微笑んだ。


「ありがとう…、グラハム」




2011.01.10
2012.12.11修正



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