『ナユタさん』

…――そう、あの時は、雪が降っていた。

どうして忘れていたのだろうな。
真っ白な雪の絨毯の上に鮮やかなまでに飛び散る血液を、この眸[め]に確かに焼き付けておいたはずなのに。
あの時の雪は、きっと自分だったのだろう、と確かに思っていたはずなのに。
愛しい人間と仲間の血を吸って汚れていく純白を、何処か安心したように見つめた記憶が。
『皆…!!!殺してやる…!!!!!!!』
どうして忘れていたのだろう。

汚れた世界に染められてしまった皆を浄化するように。
ただ、殺戮を繰り返した、無垢でいながらにして残酷なあの感情を。
『世界なんて、ぶっ壊れてしまえばいい』
傷付くだけの世界ならば、逸そ無くなってしまえばいい。
そしておれが神に成る。
目指すは、痛みも何も感じない世界。

記憶は、汚いおればかりを映し出す。

『…――アラぁぁン…』
あの時は、本当に酷かった。
こんな記憶すら忘れていたなんて、おかしいだろう。
『…―――ナユタさん…、!!!』
何時もは笑顔の彼も、この時だけは流石に笑顔ではいられなかったよう。驚いた顔で、たくさんの返り血を浴びたおれを見据える。
僅かに遠い場所から話し掛けているにも関わらず、彼が震えているのがはっきりと分かる。
アラン、びっくりしたか?
おれは平気で人を殺せるような人間なんだ。
『……アラァァン……おれ、裏切られたんだよォ……』
誰かに裏切られた。父さんを殺された。おれは、この世界で独りぼっちになった。
笑顔の無い顔で此方を見詰めるから、逆におれが笑顔を浮かべてやった。血に塗れた顔で、太陽のように笑う。
『裏切られ…!?何がどうなったんですか!!?』
『…父さんがぁ……っ』
漆黒の銃を、彼に向ける。
今、この世界中でおれが信じられる人間なんて居ない。
皆が敵に見える。
アランでさえ、分からない。
『お前か……?裏切ったのはぁ……?』
『違います!!!ナユタさん!!正気に戻ってください!!!』
『黙れ黙れ黙れ!!!裏切り者を叩き潰してやる!!!邪魔する奴は殺す!!!』
『ナユタさん!!!』
――――パァァン…!
乾いた音が一発。彼は崩れ落ちる。
『……世界なんて、ぶっ壊れてしまえばいい。そう思わないかァ?アラァン……』
狂気を孕んだ笑み。おれはその赤い視界をただ見詰めていた。
じわり、じわり、と雪が赤く染まる。ああ、やっぱり赤は綺麗だ。
彼は悲しげに微笑みながら、『か、は…っ、そ、そうですね…』と、先程のおれの問いに答えた。口端から滴る血。
『僕達のような、悲しい運命を背負う人が、生み出されないように』
止まらない血を押さえ付けながら彼は言った。
『……貴女が望むなら……、貴女が…世界を壊したいのならば……、そうすることで、貴女が傷付かずにいられるならば、』

僕は、命を差し上げます。

『愛しています。ナユタさん』


おれは、トリガーを、








「おい、惺、大丈夫か?」
ロックオンの心配するような声に、おれは現実に引き戻された。
過去を思い出していたおれは一瞬だけ「え…あ、あぁ、」と情けない声を洩らした後、彼に向き直った。
この間までは思い出そうとしても思い出せなかったのに、今ではどうしてこんなにも鮮明に思い出せるのだろうか。
凄く怖い。
だって、一言一句思い出せる。
普通は有り得ない。
ロックオンは、おれの頭を優しく撫でた。安心するその手つき。何時の間に隣に移動していたのだろうか、おれの瞳を横から覗き込んだ。
「…大丈夫か?」
「うん」
ロックオンは困ったように笑った。
彼は、はっきりとは言わなかったが、きっとおれが記憶障害でつい最近全てを思い出したと言う事に気付いている。
でなければ、あの日、あの時、あんな科白なんて言わない。
「お前は惺・夏端月なのか?それともナユタ・ナハトなのか?」―――なんて科白。
あの時は混乱していたが、今では大分冷静さを取り戻した。少なくとも、こうして過去を思い出して感傷に浸るくらいは出来る。
(アランは…おれが殺したんだな…)
あの時、錯乱せずに、悲しいくらい一途な彼を殺していなかったならば、“惺”も生きていたのだろうか。“惺”を許せたのだろうか。
おれは、覗き込まれた彼の瞳を見詰め返すと「まだ、記憶の整理が出来てないんだ」と正直に告げた。その言葉に「そうだよな…」と呟かれる。何も訊いて来ないと言う事は、やっぱりおれの記憶について知ってたんだな、と確信に変わる。
ロックオンの表情は何処か曇っている。笑みを浮かべてはいるのだが、何時もの元気は無い。彼が心配している事をうっすらだが推測出来た。
きっと“隠し事”について、彼は心を痛めているのだろう。
何時になったら言ってくれるのだろうか。
焦らされる程、そんなに重大な事なのだろうか、と不安になる。
「ロックオン…」
それでも、急かすような行為はしない。おれは彼を信じる。
何時かその唇で真実を紡いでくれる事を。
彼は約束してくれたのだから。ちゃんと言う、と。
「どうした?」
「……ロックオンは…」
唇が勝手に紡ぐ。
「…雪は、好き…?」
ロックオンの肩に頭を預ける。
彼は、おれの髪を優しく梳くと、「今日は甘えんぼさんだな」と囁いた。その瞳を下から覗き込む。綺麗な瞳に、汚いおれが映っている。
ゆっくりと何かを思い出すかのように「雪、か…」と。
「好きだぜ。綺麗で幻想的だからな。…俺の故郷は偏西風の影響で気候は安定してる。夏は涼しくて冬は緯度が高い割に寒くない。雪が積もることは珍しいんだ」
「へぇ、そうなんだ…。おれの国も…あまり雪は降らなかったな…」
「惺は?雪は好き?」
「おれは…」
どんなに綺麗で幻想的でも、
あの日、あの時、
降っていた雪が忘れられなかったから。
きっと、白が嫌いな理由も、このせいだから。
静かに彼から視線を逸らし、自分の指先を見詰めた。

「大っ嫌い、だ。」




2012.02.29
2013.01.24修正



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