『ナユタさん』

もう振り向かなくても分かるようになってしまった。これはアラン・ヴァン・アレンの、声。おれの婚約者の、声。
またかよ、と思いながら振り返ると、おれの予想通りアランが立っていた。なにこれ。予想的中したのに全然喜べない。おれはストレートに嫌な顔を浮かべてしまった。隣に居た惺が『あら、その顔はアランが来たって事かしら』と言って会話を中断した。別に中断しなくても良いのに。
アラン・ヴァン・アレンは苦手だ。親同士の都合で道具のように扱われたという立場は同じなのに、彼は何時もニコニコと笑っている。それに気付いたのはつい最近のこと。
(どうして)
でも、その答えを知ったとしても、おれには到底理解出来ないのだろうな。
『ナユタさん』
二回目のコール。
おれは返事をしなかった。横で惺が苦笑いを浮かべる。彼女は何時もそうだ。苦しむおれを見ているだけで助けてはくれないんだ。
『ナユタさんってば』
(こいつは…)
あまりにもしつこいラブコールに、睨み付けるようにアレンを見た。
彼は一瞬だけびくりと肩を揺らすが、直ぐに微笑む。
ほら、それだよ。
どうしてお前は笑顔でいられるんだ。そんなに中立派の父親の命令が大切なのか。
理解出来ない。どうしてそこまでするんだ。
『お前は…』
気が付いたら言葉が勝手に口から出ていた。
ゆっくりと瞳を追う。まるで自分に問い掛けるかのように。お前は道具、違うか?
『無理矢理婚約させられたにも関わらず、お前はどうして笑顔でいられるんだ』
おれのその問いが意外だったのか、目が大きく見開かれる。
『どうしてって…』
静かに、

『僕はナユタさんを愛してますから』

『…は?』
その科白は、多分おれには一生理解出来ない。
だって、おれ達は虚像の中に生まれた関係だろう。
どうして、そこまで本気になれる。
おれには無理だ。道具にされていると分かった上で本気にはなれない。
彼はおれの内なる思いに気付いたのか、ふ、と微笑む。
『きっとナユタさんには理解出来ません。この気持ちは』
『…………。』
一瞬、笑みが消えた。
刹那の彼が、怖かった。

『ああ、そうだ』
アランは思い出したかのように手を叩くと惺の方を向いた。
『男性が夏端月を呼んでいましたよ。約束ですか?』
ビクン、と惺の身体が跳ねた。男性?そんなの聞いてない。誰なんだよ、おれの知らない所で会うなんて。
アランはニヤリと笑った。おれに向けるような優しい微笑みではなく、不敵な笑みだった。それに、悔しそうに唇を噛み締めて睨み付ける惺。
今更だが、この二人はあまり仲が良くないのかも知れない。
惺はおれに向き直ると『ごめんね、ナユタ』とおれの頭を撫でた。
『私、行かなきゃ…』
『おれより大切な用なのかよ…』
『…っ、』
言った後で、ちょっと女々しい科白だったな、と思った。もしかして迷惑に思われたかも、と後悔した。
惺は、一瞬だけ目を丸くして、何かを耐えるように手を握り締めた。
(え?怒った…?)

『私は何時だってナユタが一番よ。明日も会ってあげる。だから、今日は行っていいかしら?』

『…』
おれの心配を余所に、惺は予想の斜め上を行く言葉を返してくれた。
おれはその科白を反芻する。“私は何時だってナユタが一番よ”――それはおれにとって最高の言葉だった。それを聞けただけで幸せだ。
『……わかった』
そう呟くと、『良い子ね』と再び頭を撫でられる。他の人間からされると、子供扱いされているようで嫌だが、彼女にされるならば別だ。落ち着く。
ニッコリと満面の笑みを見せれば、彼女は『また明日、丘でね』と走り去ってしまった。


『…ねえ、ナユタさん、』
二人だけになった空間の中、アランが凛とした声を放つ。
彼は、柔らかに微笑むと『やっぱり夏端月が一番なんですね』と続けた。そんな分かりきった事を。勿論、おれの一番は惺だ。
『夏端月が…貴女を裏切っていたらどうします?』
『惺はおれを裏切らない。』
『夏端月との出会いが…僕のように仕組まれていたものだったらどうします?』
『…何が言いたい』
耐えきれずに睨み付ける。
惺が気に食わないのならばそれで良い。だけど、おれの前で彼女の悪口を言う事は許さない。
アランなんかに、おれと彼女の何が分かるんだよ。
ギロリと睨み付けていたら、アランは困ったように『すみません。少し苛め過ぎましたね』と謝った。

『…ナユタさん』
『…なんだよ』
『貴女を抱いていいですか』
無垢な欲望を吐き出した。
今の会話の流れでどうしてそうなった。おれは目を丸くして彼を見詰める。その瞳は裏も表も無い、ただ真っ直ぐで澄んだものだった。
『…身体を手に入れたら心も手に入ると?』
『可能性は否定しきれないですよ?それに、僕の超絶テクニックで夏端月への気持ちもあっさり無くなっちゃうかも知れませんし』
なんだよ。超絶テクニックって。
馬鹿なのか、こいつは。
はあ、と溜め息。だけどおれの気持ちは決まっていた。
『…試してみるか?』
『ええ。是非』
彼は笑った。



『身体は許しても、心は許さない。』



ただ一人、惺だけのもの。
それを、証明してやる。




2011.11.17
2013.01.22修正



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