「ボクもネ、一人で寂しいんダ。」

「ダカラ、君が、家族にナッテくれると、凄くウレシイナ。」

心地良い低音。
少し歪な日本語。
懐かしい光景。
“その人”は泣いていた。
全てを失ったあの国に、愛着も義理も無いけれど、
そこに居る、“その人”だけは、何が何でも失いたくないと、確かに感じたから。

「ショーン」

優しい声が、暗闇の私を呼ぶ。

この人に救われた命を、
この人の為に使おうと、

そう、思った。






息を殺して、そっと近付く。
ギロリと睨み合ったまま、数秒経過していた。変な形で止まったままの両腕。ここから数ミリでも動いてしまったら、負ける気がする。動けない。でもこのままではいけない。目の前のその敵を、何としてでも捕らえなくてはいけない。
只ならぬ緊張感に思わず「ふぅ、」と、静かに息を吐いた。
そう、この選択は、私の今後を左右するのだ。慎重に、慎重に…

「にゃあ!」

「あああああああああッ!!!逃げたあああ!!!!」

その真っ白な猫を、追い掛けて。

「今月の生活費がかかっているのにぃ!!!」

飼い猫とは言え、猫の俊足に負けず劣らずの私の脚力。昔、真面目に鍛えてて良かった、と頭の隅で密かに思った。
曲がり角を曲がる猫。その揺れる尻尾が憎たらしく見える。コンチクショウ。
「逃がすかぁあああっ!!」
と、続いて角を曲がった時だった。
向こうから、此方に向かって走ってくるよく分からない三人が見える。
先頭を走っているのは、ニット帽を深く被り、ナイフを持った、いかにも「自分、ひったくりッス」と言いたげな人間。その少し後ろに、追いかける大人一人と子供一人。
メガネの坊やと褐色のイケメン。
なにやら「危ない!どいてお姉さんー!」「避けるんだ君ー!」なんて叫んでいるけどちょっと待って。一瞬で状況を理解した。
でも、こっちも走っているし、向こうも走っている。おまけに私はあの猫を捕まえて依頼主に返さなければいけない。今月の食費がピンチなのだ。CIAの工作員とは言え、資金はカツカツなんだ。今月生き延びるためにも、この猫は何としてでも捕まえたい。
となると、残された方法は一つ。

「生活費ーーーーー!!!」

特に意味は無い。気合いを入れる為に叫んだ。
道を空けろとナイフを振り回して突っ込んで来た男。その腕をしゃがんでかわす。そのまま左足を軸にして素早く男の足を払う。見事に引っかかった男は、前のめりに倒れ、清々しい程に決まった足払いに思わずガッツポーズをしかけたが、喜ぶのは自分の仕事を終えてからだ。
「猫ちゃん!!」
顔を上げると、少し遠い所にまだその姿を確認出来た。取り敢えず一安心した私は、男がこれ以上襲いかかって来ないように、落ちていたナイフを足で遠くまで蹴り飛ばした。道路の上をくるくると回って、縁石にカツンと当たる。あとはもう追い掛けてたあの二人に任せればいいだろう。
「あの!お姉さん!」
「ごめんね坊や!私、あの猫を!」
「ねこ??」
キョトンとする二人を他所に、素早くポケットから名刺を取り出す。人差し指と中指でそれを挟んで掴むと、流れるように少年のジャケットのポケットに突っ込んだ。
「“なんでも屋 淡藤”…」
展開について行けず、意味が分からないまま固まっている少年とイケメンを見る。そんな事より猫ちゃんだ。
「なにかあった時はここに!」
では、と、手を上げて再び猫を追い掛けた。





「お姉ちゃんありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして」
依頼主に白猫を返すと、疲れ切った身体をボスン!と椅子に沈めた。この事務所は私一人で切り盛りしている。静まり返った事務所内。それを良い事に、今まで黒の組織について調べてまとめていた調査書に目を通す。
こんなにも血眼になって奴らの弱みを掴もうとしているのに、なかなか上手くいかない。調査書と家計簿を見て溜息が出る毎日。どれ程繰り返して来ただろうか。
「ほーんと、嫌になるねぇ!」
思わず声を出したその時だった、ガチャ、と事務所の扉が開く音。まじか!一日で二件も依頼が来るなんて珍しい!と椅子から立ち上がったが、入って来た人が見覚えのある顔だったから一気にテンションが下がった。
「こんにちはー」
「こんにちは」
入って来たのは先程ひったくりを追いかけていたイケメンと少年。それと、後ろに高校生だろうか、二人の女子の姿も見える。
さりげなく調査書を隠すと、「どうも」と愛想良く頭を下げた。
「先程はありがとうございました」
イケメンが頭を下げる。それに続くようにカチューシャをつけた子が「さっきの…私のバックで…本当に助かりました…!」とお礼を述べた。バック…正直猫にばっか捉われてたからバックなんて気付かなかったや。まあ、そこは持ち主の元に返って来たので良しとして、無難に返事をする私。
「当然の事をしたまでですよー。どうぞ、そこ座って下さい、今お茶淹れますから。あ、ジュースの方が良かったかな?」
「お構いなく!」と答えるのを背中で聞きながら急いでジュースを用意する。
人数分用意すると、テーブルまで持って行く。
「申し遅れました。私、ここでなんでも屋をしている淡藤と言います」
「僕、江戸川コナン!」
「毛利蘭です」
「鈴木園子です!」
「安室透です」
コナン君、毛利さん、鈴木さん、安室さん、おっけ、覚えた。
「お姉さん強いねぇ!さっきのひったくりを一瞬で倒しちゃったんだもん!何かやってるの?」
「そうそう!空手の大会で優勝したこの蘭でさえ取り逃がした男を!あんな一瞬で!」
キラキラした目で見つめる二人に、どうしたものか、と内心で困り果てた。実はCIAの工作員なんです、なんて口が裂けても言えない。だから、自分の話から遠ざける為に「え!空手やってるんですか?」とわざと驚いて見せて、内容をすり替えた。
「はい、小さい頃からやってて…」
「この子スッゴク強いのよ!」
見事会話をすり替える事に成功した私は内心だけで安堵の溜息をついた。
「へぇ、意外です」と微笑んでいると、不意に私の手を凝視しているコナン君が目に入る。まずい、と、咄嗟に手を隠してしまった。
私の指には銃たくさん使った為に出来たタコがある。普通の撃ち方をしていればタコなんて出来ないのだが、普通の撃ち方なんて美しくない、と、いつも横に構えて撃っているから、タコが出来てしまったのだ。
まあ、子供や一般人にバレるはずがないだろうけど、つい、咄嗟に。
「あ、そう言えばお菓子もあるんでした、持ってきますね!」
逃げるようにその言葉を吐いて引っ込む。ああ、あのお菓子…生活費が無くなった時の為の非常食だったのに…。
一人項垂れる。
まさか、これがきっかけで、これから大変な事になるなんて、知らずに、この時の私は、呑気に生活費の事ばかり考えていたのだった。




2016.08.08





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