階段を下りる音が響く。
カルタが来たのだと分かって、私は振り向いた。
ガエリオとシンの前に、彼女を何とかする必要がある。
「久しぶりだな、カルタ」と言えば、「惨めな私に、手を差し伸べてくれるなんてね。感謝するわ、マクギリス」と、自嘲するかのような科白が返って来た。
「惨めだなどと…」
「しらばっくれないで!!失態を犯した私を笑いたいのでしょう!?そのこちらをバカにしくさったにやけ面…本当に変わらない…!」
相変わらずの態度に、苦笑する。
「君も、初めて出会った時から変わらない。セブンスターズの第一席、イシュー家の美しく誇り高き一人娘」
「貴様…っ!何を…っ!」
たじろぐ彼女に「カルタ、」と言葉を紡ぐ。
伊達に幼い頃から共に過ごして来た訳ではない。彼女の望む科白など、吐き出すのは容易い。
「君は私にとって手の届かない、憧れのような存在だった…」
思い出すかのように、天を仰いだ。
幼い頃のあの光景。
脳裏に蘇る。
追憶。

『俺…、僕みたいなのと、遊ばない方がいいですよ…』
『なんで?』
『……』
『堂々となさい!』
『はぁ…?』
『あなたは、少なくとも木登りの上手さは私より上よ!文字だってあっという間に読めるようになったし!』
『パン食べるのも早いしねぇ』
『とにかく!そんなあなたに下手に出られるのはそれこそ屈辱だわ!』

ふっ、と静かに嘲笑を浮かべた。
「君は、哀れみでも、情けでもなく、私を平等に扱ってくれた」
「感謝されるような事じゃないわ」
「私の目に映る君は、いつでも高潔だった。君に屈辱は似合わない。そのためにも、私に出来る事があればさせて欲しいんだ。カルタ」
言葉で取り繕う事など幾らでも出来る。
あの頃からずっと、怒りの中で生きてきた私には、どんな綺麗な言葉も響かない。
どんなに平等に接してもらっても、暗い暗い奈落の底に居た者の気持ちなど分からない。同じ場所に居た者にしか分かり得ない。本当に平等になるのならば、皆等しく奈落の底に沈んでからだ。沈まずして、こちらを理解しようなどと、無理な話なんだ。
(シン…君は…、君だけは、共に奈落の底を見た、唯一の仲間だったのに…)
「マクギリス…」
カルタが呟いた刹那だった。

「マクギリス!!カルタ!!」

今、まさに脳裏に描いていた彼女が現れた。
疲労と貧血で眠っていると聞いていたが、案外、早く起きてきたんだな、と考えを巡らせる。
傷口が痛むのか、いつものような呑気な笑顔じゃなく、昔に戻ったかのような、眉間に皺の寄った、人相の悪い顔をしている。
「シン?あなたここで何を…」と問うカルタにズイズイと詰め寄る。
「カルタ!行かないで!」
「は…?」
思わぬ言葉に、カルタも声を漏らした。
私は「こちらも相変わらずだな」と小さく笑う。
「戦っちゃダメ。行かないで」
「あなた、急に来たかと思ったら何よ!意味が分からないわ!」
シンはカルタではなく私を睨み上げている。成る程、カルタを煽ったのが私だという事も筒抜けという事か。
シンは、大きな溜息を吐いた。カルタにも、私にも、聞こえるくらい、大きな溜息。
そして、何かを決意したのか、
いつもの声色ではなく、抑揚の無い、低い声で吐き捨てるかのように、その言葉を放り投げた。

「…行ったら、カルタ、死んじゃうよ」

脅しのように聞こえるそれ。しかし、不思議な事に、その言葉は、まるで魔力が掛かったかのように、強く魂に突き刺さる。
脅しじゃない。私の言っていることは事実だ、と。声色が、眼差しが、そう言っている。
カルタの出撃を阻止する為に、彼女に向けて出された言葉だと言うのに、こちらまで身体が冷えてくるような感覚に襲われる。
(侮れんな、シン)
内心だけで舌打ちをする。
カルタは「何を…急に…」と、シンの迫力に押されている。
もしかしたら、言霊と言うやつなのかもしれない。私はシンに向き直る。
(残念ながら、カルタは君の言う事などきかない。君より、私を選ぶ)
「シン、これはカルタの誇りを賭けた戦いでもあるんだ。彼女の邪魔をするな」
その言葉に、ギロリと私を睨み上げるシン。瞬間、ぞくり、と背中に電気のようなものが駆け巡った。その鋭い目…昔のシンの目だ。

「シン…、私は止めないわ…。出撃する」
「死んじゃうよ、カルタ」
カルタは力無く笑った。
「あなたも分かるはずよ…。女には、時として、譲れないものがある。私にとって、それが今よ」
私を一瞥するカルタ。
(悪いな、シン。ここは私の勝ちだ)
私は、カルタが幼い頃から私に懸想していたのを知っていた。長い長い年月をかけ、育ったその感情は、たとえ幼馴染みである君の言葉ですら届かない。
私は小さく笑う。
シンは、「そう…」と呟いて、カルタを見送った。

彼女の背中が見えなくなった瞬間、私は、シンの手を引き、壁際に追い詰めた。
両腕の中に閉じ込めて、シンを見下ろす。
「残念だったな。私の勝ちだ、シン」
「…そうね」
俯くシン。
絶望に暮れているであろう彼女の今の表情を見逃したくなくて、顎に手を添えて上を向かせる。
私に負けて悔しがる表情、それが見たくて上を向かせたのに、私を見上げた瞳は、驚く程、真っ直ぐな光を宿していて、思わず息を呑んだ。
「好いた人の為なら、命すら惜しまない…その気持ち、痛い程分かる…。カルタが決めた事だから…。もう、私が何を言っても届かない。私にも、譲れないものがあるから、仕方ない…」
随分と潔くなったものだ。アインを失い、カルタを止められず、気でも触れたか。
と、思った瞬間、不意に、シンの手が優しく私の胸に触れる。
「…、っ?」
すう、と心臓の辺りを撫でて、私を見上げる。

「…――君は、あの時のブルームーンと同じだね。マクギリス」

(あの時の、ブルームーン…?)
何の事だ。
「…あの時の私も同じだった…砂塵にまみれて…」
シンは悲しげに笑う。

「とても、可哀想なひと。」

ズシリ、と、その言葉が胸の奥に沈んだ。
私の腕を擦り抜けて、シンは背中を向けた。顔だけをこちらに向けて、
「私は、君がこれからする事を、絶対に止めて見せるから」
流し目で、捉える。
「……、」
小さな声で、何かを呟くが、余りにも小さかったそれは、私の耳には届かなかった。

追い掛けて此処で彼女をどうにかしても良かったのに、先程のカルタのように、彼女の言葉が身体中を支配して動けない。

…――砂塵にまみれて、とても、可哀想なひと。

かつての理解者の、その科白は、
酷く、私の胸を締め上げた。




2016.05.16

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