あの時、逆光で見えなかったけれど、確かに帝は泣いていた。
俺が、泣かせてしまった。
彼女が傷付くと分かっていた。分かっていて、どんどん傷付けた。俺は酷い人間だ。
右手には、あの時掴んだ細い手首の感覚がまだ残っている。折れそうなくらい、細い手首。
一瞬、逸そ、折れてしまえば良いと思ったんだ。
チアリーディングが出来なくなるくらい、傷付いてしまえば良いと、そんな酷い考えが、一瞬、過ったんだ。
帝がチアリーディングを続けている限り、俺は、きっと水泳を諦めきれないから。
恋している、勝利の女神が、
誰かを、ハルを、真琴を、渚を、
応援している限り、俺は。
(あの気持ちを忘れられない)
カツカツ、と靴音を鳴らしながら、スイミングクラブの暗い廊下を一人で歩く。
刹那、何処からか声が聞こえて、嫌な予感がした。
(…やっぱりな)
「…――まさか、ここでお前ら達と会っちまうとはな」
「凛!」
「凛ちゃん!」
目の前にいたのは、ハルと真琴と渚。
俺は素早く周りを確認した。
良かった、帝は居ない。このメンバーなら帝が居てもおかしくなかったが、今日は流石に来てないのだろう。
「ハル、お前まだこいつらとつるんでたのか」
ついさっき傷付けた彼女が居ないことに安堵しながら、俺は続けた。
きっと、俺はこの先、彼女を傷付けることしか出来ないから。
「ハッ、進歩しねぇな」
「そう言うお前はどうなんだよ。ちょっとは進歩したのか?」
挑戦的なハルの物言いに、思わず笑った。
ポキポキと首を鳴らして準備する。水着は穿いてきた。
「丁度良い。確かめてみるか?勝負しようぜ、ハル」





「行くぜッ!!!ハルッ!!!」
今日こそ、こいつに勝つ。
プールサイドを二人で駆ける。助走をつけて、水に飛び込―――…
「レディー…ゴッ―――…」
(!!!)
「水、無いね」
「だから止めとけって言ったのに」
渚と真琴の会話。んだよ、期待して損したな。不完全燃焼の闘争心は、行く場所も無く、俺の胸の中にモヤモヤと残った。
トロフィーを手に持つ。これはさっき一人で掘り返したものだ。あの頃の自分はまだ何も分かっていなかった。
夢と理想ばかり、追い続けて。
(もう、こんなもの、要らない)
三人に、トロフィーを見せようと振り返った刹那だった。

「…――三人ともここに居たの?」

冷や汗。
全身に電気のようなものが駆け巡った。
…――どうして、帝がここにいる。
「あ、ミカドちゃん遅いよぉ!」
「最初はあんなにハルにくっついて怖がってたのに…」
「目が暗闇に慣れたら案外ヘーキだった」
「ははは」と笑いながら近付く。俺にはまだ気付いていない。
が、
「そうだ!ミカドちゃんにも教えなきゃ!」
「あ、そうか。帝、凛が帰ってきてるんだよ、ほら」
真琴と渚の要らぬお節介。
(と言うか、俺達はもう出会っているってことを帝は三人に言わなかったのか?)
「そ、そうなんだ…。…おかえり、凛」
明らかに違和感のある言葉だった。
そして、彼女は、小走りで俺の横を通り過ぎると、呆然と立っているハルの傍に駆け寄った。
(………。)
チクリと痛む胸と、沸々と込み上げてくるある感情。
(いつも、そうだ。)
俺の欲しいものは、全部、ハルが持っていく。
「…凛、」
「…なんだ」
「いま、漸く分かった」
(何言ってんだ?)
俺は、ハルを見据えた。ハルは、隣の 帝を優しく引き寄せると、
「…こいつの手首。」
俺を、睨み付けた。
「お前がやったんだろ」
帝の手首を見ろ、と言うように、彼女の手首を上にあげた。辺りが暗くても分かる程に、くっきりと跡が残っている。
「………。」
言葉が出ない。何を言えば良い。
「遥…っ、これは転んで怪我しただけだから…、凛は関係無いよ?」
(嘘だ。俺でも分かる。)
「…帝、凛を庇う必要なんかない。」
優しく彼女の手首を撫でて。
「これで、チアリーディングが出来なくなったらどうするんだ…?バトンを回せなくなったら…どうするんだ…?」
「……っ、」
言葉が詰まる。
「はる、か…」と、戸惑いを浮かべている。
俺が恋い焦がれて止まなかった勝利の女神。その女神を守る騎士。俺の目には、二人がそう映った。
吐き気を催した。
(お前らの、そう言う変わらないところかムカつくんだよ)
絶望も、壁も、限界も、何も知らずに、平和に生きている、お前らが。
「…そういや、お前ら、これ、見つけに来たんだろ?」
「あ、トロフィー」

「俺はもういらねぇから。」

過去を断ち切るように。

「こんなもん」

床へ、放り投げた。

…――からん、と虚しく金属音。
一瞬だけ帝の泣き顔が頭を過った。
去り際に、彼女の顔を流し目で捉えると、

俺の知らない、表情で。

床に転がったトロフィーを見据えていた。



2014.02.01



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