―――走って逃げた。
何処をどうやって逃げたのか、あっちゃんとはどうやって別れたのか、全然覚えていない。それくらい、私の心はぐちゃぐちゃだった。
走りすぎて喉が焼けるように痛い。肺も、酸素が足りないとズキズキ主張している。
だけど、一番痛かったのは、凛に強く掴まれた左手だった。
「ど…っ、して…っ!!!」
泣き叫びながら走る。走って、走って。ぼろぼろになるまで。
無意識に向かった先は、遙の家だった。三人とも、遥の家に居るって言ってたし、絶対いるはず。
こんなにぐちゃぐちゃな泣き顔を晒すのは凄く嫌だったけど、それ以上に誰かに傍にいて欲しかった。
バンッ!!と乱暴にドアを開けて。
「帝?!」
びっくりしてる三人に、情けなく縋り付いて。
「もう、いやだよぉ…っ!どうしてこんな…っ!」
崩れ落ちる私を、エプロン姿の遙が抱き留めてくれる。
「どうした?」と、優しい声。
ますます涙が止まらない。
「ハ、ル…っ、」
懐かしい、呼び名で。
「ハル…っ!!!」
私のこの数年間の思いはなんだったのだろう。私は、死んだ男にずっと恋して。
彼がオーストラリアに行ったと聞いた時、もう、覚悟を決めたと思っていたのに。
私が、甘かったんだ。
夢を、見ていたんだ。
「…おい」
遙が私の顔を覗き込んだ。何か言いたそうにしている。
私は、流れて止まない涙を頻りに拭いながら、「なぁに、遙」となるべく平生を装って言葉を返した。
「この左手首の痣はなんだ?」
「…へっ?」
言われて初めて左手首を見る。
凛に掴まれたそこだけ赤く、くっきりと。
「ふ…っ、ふぇ、っ、う…っ」
思い出したらまた悲しくなってきた。
私の腕を掴んだ凛は本気だった。
本気で私を拒絶していた。
「何があった。言え」
遙の強い言葉。何もかもぶちまけてやろうかと思ったけど、私の中の最後に残った妙なプライドがそれを邪魔した。
「え、えへへ…っ、ここに来る途中で、転んじゃって」
嘘を吐いてること、皆にはバレバレなんだろうな。
「余りにも痛かったから、泣き喚きながら帰って来ちゃった…っ、私ってば馬鹿だなぁ!」
それでも、遙と真琴と渚は、追及なんてしてこなかった。
ただ、私の左手首を優しく撫でて。

「お前には、俺達が、ついてるから」

今は、存分に泣けば良い、と、彼らは私の背中を押してくれた。





「結構、荒れてるね」
スイミングクラブ廃墟前にて。
真琴の声が弱々しく響き渡る。
俺は横で「遙ぁ…」と服の裾を握り締めている帝を見据えた。
彼女の左手首はまだ痛々しそうに残っている。
帝は何も言わないし、自分で転んだとかいっているが、俺達にはそれが嘘だと十分分かった。誰か分からないけれども、彼女の手首を強く掴んで拘束した奴がいる。俺はそう思っている。
帝は、小さい頃から男にモテる。俺と真琴がどんなに威嚇して追い払っても、追い付けないくらいにはモテる。
だから、フラれた男の逆恨みか嫉妬か、そんなところだろうと思う。
(これからは、更に警戒しなければ、)
凛がオーストラリアに行ってから、 帝は、無理をするようになった。甘えたい時期に、親と別々に住むことになり、一人で生きなければならなくなった。大好きな凛はもう居ない。頼れる人は俺と真琴しかいなかった。常に何処か周りに壁を作って。
「あんまり強く掴むな。俺が居るから」
真琴以上に震える帝を安心させようと頭を撫でた。今の帝は、特に。「ハル」なんて、切羽詰まった時しか呼ばない彼女が、今日は、泣きながらそう俺を呼んだから。
(それくらい、心が痛かったんだろう)

「はい、これ一応お清めの塩」
「塩?」
帝が、ビクリと反応したのが分かった。何か察したのか、小さな声で「マジですか…」と呟く。
「実はここ、出るらしいんだ」
「脅かすなよ」
「ホントだよ!」
「ええッ!」
(おい、)
横目で帝を確認すると、渚の科白に魂が口から出かかっている。若干面白いけど、大丈夫なのだろうか。
「大人しくしててね、はいっ、次ハルちゃんとミカドちゃん!」
(ん?)

「おい、これ、塩じゃなくて砂糖」

帝の顔が、更に絶望の顔に変わった。



2014.01.31



- 6 -

[*前] | [次#]
top
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -