あの時の帝の泣き顔は、今でも俺の胸の底に残っている。


『そう言えば、もうすぐでチアリーディングの大会だな』
中学三年の冬。
受験勉強に励む為、多くの部活動の三年生が夏や秋の大会で引退していく中、チアリーディング部だけは、冬の最後の大会に向けてずっと練習を続けていた。
放課後、係りの仕事で職員室に呼ばれた真琴を、俺と帝は、教室で待ちながら、そんな会話を始める。
『うん。皆のコンディションも最高だし。この調子なら優勝出来ると思う』
勉強との両立が厳しいのだろう、僅かに痩せたその身体を、じっと見詰めた。
全国の中学校が集まるんだ。練習も並大抵ではないだろう。
『遙たちは勿論、私達の最後の大会を見に来てくれるよね?』
『ああ。』
今まで、何度も見に行きたいと言ったのだが、帝がその度に『二人には最高の演技を見てほしいから、今は見にこないで』と断られた。遂に、念願が叶って、彼女のチアリーディング姿を拝める。しかし、それが三年生の最後の大会まで待つとは思ってなかった。
帝はニマニマと笑いながら『頑張らなきゃなあ〜』と呟いている。
こうして見ると普通の女子中学生なのに。一部の高校からは『うちの高校のチア部に来ないか』とお誘いを受ける程の実力らしい。チームメイトが喋っていた。
俺達は、幼い頃、プールサイドでポンポンを振り回していたあの時で時が止まっている。あの帝が、そんなに実力をつけたなんて、と、感傷に浸ってしまう。
『楽しみだな』
思わず呟くと、帝は静かに微笑んだ。




あれから数日、徐々に近付いてくる大会。部員達は練習に更に力を入れていた。
しかし、そんな中で、何かが徐々に崩れて来ていた。

『…――彼氏ィ?』
チア部のある部員が大きな声で叫んだ。俺と真琴は思わず声の方向を振り向く。
どうやら、そうしたのは俺達だけじゃなかったらしく、クラスのほとんどが声の方向に注目していた。
大声を出したのは、帝といつも一緒にいるやつ――帝はあっちゃんとか呼んでた――彼女は、同じく帝の友人である――確か、ハナちゃんと呼んでいたか?――に向かって言葉を続ける。
『彼氏出来たって、あの、佐藤くんのこと?!』
『うん。長年の片想いがようやく叶ったの』
片方はびっくりしていて、片方は酷く緩んだ顔をしている。佐藤は俺も噂で聞いている。隣のクラスのやつで、学年一モテるサッカー部のエースだ。
『へぇ…、あの佐藤くんねぇ…』
驚く友人。その後ろからひょっこり顔を出したのは帝。
『ハナちゃん、おめでとう』
にっこりと、本人以上に緩んだ笑顔を浮かべて。
『二年も片想いしてたもんね。本当に結ばれて良かったよぉ』
にまにま、と言葉を続ける帝は本当に嬉しそうだった。
(二年、なんて。)
お前はそれよりも遥かに長い年月、“あいつ”を想っている癖に。僻みも妬みも何一つ浮かべずに素直に祝福するなんて、どこまでイイやつなのか。
(帝の方が、報われるべきなのに)
と、そこまで考えた刹那、
脳裏に凛の顔が浮かぶ。
最後に見た、泣き顔が。
(……っ、)
俺は、ふるふると頭を振って、考えることを止めた。



事件が起きたのは数日後の放課後だった。
掃除が長引いてしまった俺は、教室で待っている帝と真琴のもとに急いで向かっていた。
真琴は構わないが、帝の方はあまりにもゆっくりしていると怒るから、早めに向かわなければ。
パタパタと廊下を駆ける。その時、俺の耳は何か変な音を聞き取った。
パシャーン、という、水の音。
『……?』
女子トイレから聞こえたような。
急いでいたのだが、気になってしまった俺は足を止めてしまう。誰かの声も聞こえてくる。

『…――佐藤くんと付き合うことになったからって調子に乗りやがって』
『…――生意気なんだよね』
『…――うちらだって佐藤くん狙ってたのに』

中の様子を見ずとも、何が起きているのかは明白だった。
(いじめ、か。)
パッ、と浮かんだのは帝の顔。
取り敢えず、男の俺は女子トイレには入れない。入ったところで先生にチクられて返り討ちにあうのが落ちだ。そうなると、頼れるのは帝しか居なくなる。
あいつは、友達がいじめられてるのを見過ごせないはずだから。
俺は急いで教室に向かった。


しかし、帝を連れて女子トイレに戻ってきた時には、いじめていたやつらはとっくに居なくなっていて、ただ一人帝の友人だけが、ずぶ濡れのままで放心していた。
涙を堪えている。見掛けによらず強い女子らしい。水をぶっかけられて所々怪我をしていても、泣かずに我慢していた。
帝はハンカチで彼女の髪の毛を拭いている。
その顔は、いじめられてる本人よりも歪んでいて。
『…――帰ろっか、ハナちゃん…』
声は震えていた。



四人で帰路を歩く。空気は重かった。
オレンジに染まった景色は、沈んだ気分を更に虚しくさせた。
言葉も見付からずに無言のまま歩く俺達。
遠くで波の音が聞こえる。
『…ねえ、帝』
『どうしたのハナちゃん』
『…海に寄ってもいい?』
気を何とか逸らしたいのだろう。海に行きたいと告げた友人。帝は俺と真琴を見上げて、目で『いい?』と問うた。頷いた俺を見て、帝は『うん、行こうか』と返す。
多分、俺達は先に帰っても良かったのだろうが、何故か、その場を離れてはいけない気がしたんだ。
帝の友人が心配なのは勿論だが、それ以上に、帝が、なにか、おかしい。そんな感じがして。
後になって俺は何度もこの場面を悔いることになる。
この時の感情を軽く考えずにもっと重要視していたら。帝の変化に、気付いていたら、と。
砂浜に来た俺達四人は、取り敢えず呆然と寄せては返す波を見詰めていた。沈黙が重い。何もかもが気まずい。
動けずに、じっと帝と友人を見ていた刹那、友人がゆっくりと振り向く。
波に影響されたのか、感情をこれ以上我慢出来なかったのか、くしゃり、と顔を歪ませて。帝を見詰める。
ぼろぼろと零れ落ちる涙。

『…―――たすけて、帝。』


その科白は、確実に帝にトドメを刺した。




2015.06.26



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