走り去って行く帝の背中を見詰めていた。
あいつの背中が見えなくなっても、ずっとその場であいつが去って行った方向を見詰めていた。

「変わった…、か…」
苦く笑った。
帝との距離は縮めるのが難しい。
近付いたと思ったら離れて、離れたと思ったらまた近付いて。
お互いに、押したり引いたりを繰り返して。出会った頃から、何も変わらぬ位置にいる。
寄せては返す波のように、俺達の距離はもどかしい。

「…――あれっ、お兄ちゃん?!」

ふと、背中から聞き慣れた声が降り注ぐ。振り返れば、妹の江が、息を切らせながらこちらに近づいてきた。
「お前も居たのか」
思わず言ってしまう。江は、俺の科白で気付いてしまったようで、目を大きく見開いた。
「“も”ってことは…っ、帝ちゃん…っ、ここに居たんだね?」
別に、隠したい訳じゃなかったが、正直には言いたくなかった。初恋の女に無様に拒絶されたのが地味に効いているのか、あまり詳しいことは江に知られたくない。
「……居た。」
「どっちに向かったのっ?帝ちゃん、合同練習の時に急にメンバーの手を取って走り出したから…!私達、追い掛けて…っ、」
「…急に走り出した?」
俺の言葉に、江は目をぱちくりさせる。多分きっと俺も同じような顔をしている。
「そうだよ。向こうの部長さんがマネージャーさんを紹介したときに急に…」
「………そうか、」
さっきの帝の言い方じゃ、合同練習に行かずにすっぽかしたかのように捉えてしまうだろ。見学に行っていた江がそう言っているように、実際は、ちゃんと合同練習に参加しようとしていて、でも、何かが理由で逃げ出したと言うことになる。
知り合いが見学に来ているのに、それ以上に、帝には逃げなければいけない理由があった。
「ハルと真琴は…何か言ってたか?」
「特に何も…」
「…そうか、」
「あっ、でも…」
「なんだ」
「追い掛けてたとき、帝の中学時代がどうこうって…」
「中学時代…?」
「詳しくは話してなかったけど…、もしかしたら、って何か言ってた…」
中学時代……ちょうど俺が居ない時期。知らない時期。
『…――変わったんだよ、』

「………。」
笑顔を浮かべていたのに、冷たい声が頭に響く。
俺の知らない帝が、そこにいた。

「…俺、帰るわ」







「…――帝!どこいってたの!」
真琴先輩の叫びが響いた。
帝ちゃんとハナちゃんさん(ちょっと日本語おかしい)が戻ってきた頃にはもう部活は終わっていて、やっと合流した私は「江ちゃん遅かったね」という科白と共に渚くんに迎えられた。
「今どんな状況なの…?」と問えば、彼は苦く笑って向こうを指差した。
「修羅場になりそうだよ」
視線を向ければ、向かい合っているあっちゃんさん(ちょっと日本語おかしい)と帝ちゃん、ハナちゃんさん(割愛)が居た。
あっちゃんさんを真っ直ぐ見れないのか、相手校のチア部員達がまばらに帰って行く様子を、戻ってきた二人はただじっと見つめていた。
「ごめんなさい…」
謝ったのはハナちゃんさん。
帝ちゃんは謝らない。
傍に居た真琴先輩が「大丈夫?帝」と心配そうに問うけれど、答えられずに視線を逸らした帝ちゃん。
その視線の先に、一人も帰らずに並んで待っていた岩鳶高校のチア部の様子が見えたらしく、その整った顔を一瞬だけくしゃりと歪ませる。
こんな帝ちゃんは初めてだった。
「………。」
あっちゃんさんは大きく溜め息をつくと、靴音を響かせて帝ちゃんの前に立った。
長い時間が経ったように感じる錯覚を起こして。この先に何が起こるのか嫌でも分かってしまった私達。
諦めたかのように目を閉じる帝ちゃん。
それを見て、何故か私までも目を閉じて歯を食いしばる。
―――ぱぁん!
乾いた音が響く。目を開くと、左頬を押さえる帝ちゃんがいた。すごく痛そう。
「…………」
「…………」
「…………」
暫くの沈黙。
そして、あっちゃんさんは「今日は帰ってもいいよ」と冷たく吐き出した。
そして、その言葉に、帝ちゃんは何も言わずに体育館へと荷物を取りに行ってしまう。
「あっ、帝ちゃ…」
思わずその背中を追い掛けようとした私をあっちゃんさんに制止された。
「今は一人にしてあげて」
「で、でも…っ」
いつもは明るい帝ちゃんが、あんなにも冷たい表情をしているなんて、耐えられなかった。
あっちゃんさんは苦笑した。「あなたはイイ子ね」と続ける。
「でも一人にしてあげて。きっと、泣いてるから」
「…え、」
「あの子は、泣き顔見られるの、嫌がる子だから」
そう告げたあっちゃんさんの表情は、怒っているというよりは、呆れているという表情に近かった。
「多分、このあと海に泣きに行くから。…だから、そっとしておいてあげて」
存分に泣かせてあげたい、とあっちゃんさんは言う。
平手打ちしたけれど、帝ちゃんのことあんまり怒っていないのかも。
そんな風に思った。

「さて、」
呆れつつも何処か柔らかい表情だったあっちゃんさん。しかし、その声で一瞬にして真面目に変わる。
「ハナ」
呼んだのはもう一人の逃亡者。
「何を言いたいのか分かってるわよね?」
ハナちゃんさんは震えながら頷いた。小さく「ごめん、みんな」と呟いて。
「約束したわよね、これからは皆で協力するって」
話の内容についていけなかった。二人は、何の事を言ってるのだろう。
隣の遙先輩と真琴先輩を見るけど、二人も何か事情を知っているらしく、無言のまま様子を見守っていた。
「ごめん…っ、でも…っ、あの時のこと思い出して…っ」
「皆で決めたでしょ!何があっても帝には頼らない!あの子は全部一人で背負い込むから!」
どういうことだろうか。いよいよ話についていけなくなってきた。
「帝一人に任せないで…皆で協力するって…決めたのに…っ、」
怒っていたあっちゃんさんが急に勢いを失う。前髪を掻き上げて、涙を滲ませた。
「もう、あんな思いをさせたくないのに…っ、」
その言葉が、妙に胸に刺さった。


「あの!」
刹那、静かで重い空気を切り裂くように、怜くんが叫んだ。
皆の視線は怜くんに。怜くんは震えていた。
「何があったのか知りませんけど、先輩方だけで話を進めないでください!」
渚くんも隣で「そうだ!そうだ!」と叫ぶ。
「僕達だって、帝さんの力になりたいんです!何があったのか、教えてください!」
その言葉に、皆が目を見開いた。
「僕も…、ミカドちゃんが合同練習にあんまり乗り気じゃないの、薄々気付いてた…。でも知らないふりして…、知っていたら、こんなことにならなかったのかもしれない…」
渚くんが小さく呟く。
あっちゃんさんは遙先輩を見詰めた。遙先輩は小さく頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「帝には…、大きなトラウマがあるんだ」
「……トラウマ…?」
思わず呟く。帝ちゃんに、大きなトラウマがあるなんて、想像出来なかった。
「……あれは中学三年の頃…中学校生活最後のチアの大会だった…」
そして、想像以上の苦しみを。

「…帝が不祥事をおこして、大会に出られななくなったんだ…」




2013.06.03



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