「あーあ、雨、降っちゃったねぇ」

あっちゃんの残念そうな声が旅館の一室に響いた。
それに続くように他のメンバーも「花火やりたかったね」と続く。
私は窓にふらりと近寄って、その暗い空を見上げた。
ザーザーとバケツをひっくり返したような雨。これじゃあ凛との花火も中止だな、と、下唇を噛んだ。いったいこの雨は何時になったら止むのだろう。

「そんなに花火したかったの?帝」
不意に問い掛けられる。
ポカンとしていると、「だって、さっきからずっと外見てるから」と言われる。
びっくりした。凛と会う約束してたのがバレたのかと思った。
私は小さく笑うと「ううん」と返す。
「ちょっとコンビニ行きたいなって思ってたんだけど、この雨でも行けるかなって」
さらりと嘘をついて。
この雨じゃ凛は来ないだろうって分かっているけれど、無性に海に行きたかった。約束した場所にすら行けないなんて、ちょっと悔しかったから。
「うーん、まじで無理!って感じじゃなさそうだけど…、どうしてもコンビニに行かなきゃいけない系?」
「うん、ちょっとね。…皆なにか欲しいものある?私買ってくるけど」
ついでに聞くと、ポテチやらチョコやら、無数のお菓子を頼まれる。これは夜通し語り合う気だな、と苦笑を漏らしながらも、快く引き受けた。
「気を付けて行ってきてね」と、あっちゃんの言葉。
「うん、いってきます」





傘に打ち付ける雨は予想してたより強かった。
外に出て数分で既に靴はびちゃびちゃに濡れてしまった。
それでも、何とかしてコンビニに行って、海にたどり着いた。
「…やっぱり…、居るわけ無いよね…」
本日何回目かの苦笑い。
私は少しだけ海に近寄った。
(そう言えば、凛、何か勘繰ってたな…)
あの時は「ビキニを着たくなかった」と言って何とかごまかしたけど、彼は腑に落ちない顔をしていた。
(離れていてもやっぱり幼馴染みかぁ…)
鋭くて参る。

無人島合宿の同行を、頑なに拒んでいたのは、
真琴じゃないけど、実は、私も、海が苦手だったから。
いや、それはちょっと語弊がある。海、と言うより、私は、あの白い砂浜にトラウマがあるんだ。
『もう、っ、耐えられないよぉ…っ、わたし…っ!』
まだ蒼さを残した空のもと、彼女が私に必死に手を伸ばしてきたあの日。
ぽつ、ぽつ、と彼女の涙が白い砂を濡らしていく。
その光景が妙に頭に焼き付いて離れなくて。
『…私が…っ、何とかする…からっ、』

忘れもしない。
中学三年生の夏の片鱗。
私が皆から全てを奪った。
『助けて、凛…』

(会いたいのに。)


「……はぁ、」
ザーザーと降り頻る雨。
大きな溜め息をついた。
もう嫌なことしか思い出さない。
「何でここに来ちゃったんだろ」


「…――まったくだな、」


(…――え?)
澄んだ声が静かな浜辺に響き渡る。この声の主は一人しか思い当たらない。
何故、ここに。
「凛…、どうして…」
素直に思った事を問えば「誘ったのはお前だろ」と言われる。いや、確かに誘ったけど、だって、こんな雨なのに。
「花火は出来ねーけどな」
彼は眉をクイッと上げて、笑ってるのかそうでないのか分からない微妙な表情を浮かべた。なんなんだよそれは。
じわり、と色々な感情がせめぎあって涙が込み上げてくる。傘で見えないように顔を隠した。
「だからって…っ、来なくてもいいじゃん…っ」
「お前だって来てんじゃねーかよ」
「足元だって…っ、そんなに濡れてるのに…っ」
「お前はもっと濡れてるだろ」
「…私はほら…っ、お使い頼まれたんだもん…」
コンビニの袋を掲げて見せる。凛は溜め息をついた。
「海に寄るのと全然関係ねーだろ」
「………。」
私はついに黙りこんだ。
凛も、黙ってしまった私を伺っているのか無言になる。
雨の音と波の音しかしない。
刹那、ごうっ、と強い風が吹いて、
私の手から傘が飛んでいく。
瞬く間に濡れる全身。傘は風で海の果てまで飛んでいってしまった。
あまりの出来事に、数秒間、呆然と立ち尽くしていた。
「バカじゃねーの!」
急いで凛が駆け寄ってくれる。素早く彼の傘に入れてくれたけど、この強い雨の中ではもう手遅れだった。
「ずぶ濡れだな」
髪の毛から滴る水滴を指先で掬う。不思議だな。あんなに雨と波の音が聞こえてたのに、凛の声しか聞こえなくなる。
「……っ、」
少し冷たい指先が、私の前髪をなぞり、頬に触れる。
彼の親指が目尻を這う。

「泣きそうな顔してる」

何時だったかな。昔も凛はこうして私を覗き込んだことがあったね。
「凛…っ、あのね…っ、」
あの時、私は何故泣きそうだったんだっけ。
頭の片隅で思う。
凛を見上げて、その真っ直ぐな瞳を見詰める。
情けない出来損ないの笑顔で。

「…会い、たかった。」

ずっと、ずっと。
あの時も、今日も。

瞬間、凛の手から傘が無くなった。
力強く抱き締められる。
雨を遮るものを失った私達は一気にびしょ濡れになった。

「…ほんと、バカじゃねーの」

その真意は分からないまま。
私達は、暫くそのまま抱き合っていた。



2014.12.05



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