トレミーをざっと案内した俺は、惺をガンダムのところまで連れてきた。ガンダムを見れば記憶が戻るかと若干期待もしたが、残念ながら戻らなかった。
「うわぁー…でかぁ…。おれ、こんなのを操縦してたのかぁ…」
ベリアルを見上げる惺。くるくると変わる表情に、俺の心境は色んな意味で大変なことになっていた。
如何せん、昔の彼女は可愛すぎるのだ。
初恋の夏端月惺を太陽の様にギラギラと愛し抜くその姿や、誰にでも真っ直ぐ向けられる満面の笑みが、妙に胸をざわつかせる。
別に、今の惺が可愛くないわけではなくて、違いに驚いているのだ。俗に言うギャップ萌えってやつ。俺の知っている惺は、目の前の彼女と違って、月のように穏やかに兄さんを愛し、憂いを帯びた瞳で静かに微笑むような女性だから。
「ねぇ、操縦席のところに行っていいかな?」
「おー。ほら、こっち」
俺の後ろをひょこひょことついてくる惺。頭が痛くなるくらい可愛かった。


「中は想像以上に狭いんだなぁ…」
コックピットに二人で入る。誰よりも馴染みのある、彼女だけの特別な空間であるここに入っても惺は何も思い出さなかった。
(そう簡単にはいかないのか…)
僅かに溜め息をついて辺りを見回す。惺は興味津々な様子で操縦桿を突っついていた。
(と言うか…)
正直、俺の方がソワソワしていると思う。
ベリアルのコックピットに入ったことなんて今回が初めてだ。以前、一度惺の部屋に入った時と同じような感覚がする。妙に鼓動が煩い。
(あー……)
狭い密室。
造りは俺のケルディムとだいたい同じなのに、全く違う空間が存在している。
(やばいな…)
鼻腔を掠める、甘いけどどこか爽やかな香り。気が狂いそうだった。

「……なんか……、惺の匂いがする」

「……え、」
バッ、と勢いよく振り返った惺に、俺は何かやらかしてしまったのか、とヒヤヒヤする。案の定、俺はやらかしていた。
楽しそうに操縦桿を突っついていた惺の表情は一変。瞬時にして不機嫌な表情へ。
「お前、惺のことが好きなの?」
(…――へっ?)
一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし、すぐにハッとする。
「ちが…っ!」
俺が言ったのはアンタの匂いがすると言う意味で、アンタの初恋の夏端月惺のことでは無い。弁解したいが、そうなると何故ナユタが惺と呼ばれるようになったのかも話さないといけない。つまり、目の前の彼女に、初恋の人は死んだ言う事実を告げなければいけない。そして、彼女が死んだと知れば、当然、彼女の死因を問い詰めてくるだろう。言える訳が無い。ショック療法ってやつで記憶を取り戻す事もあるかも知れないが、そんな事で記憶を取り戻すくらいならこのままの方がずっとマシだ。
「お前、このコックピット、惺の匂いがするって言ったよな。惺の匂い分かるのか。おれには分からないのに」
幼馴染みのおれですら分からないのに、何故お前に分かる、と。
当たり前だ。これはアンタの匂いなんだ。自分の匂いを感知できる訳がない。俺に分かってアンタに分からないのが普通なんだよ。
「…ほら、仲間だからな」
「惺も此処に居るのか?さっきはちゃんと教えてくれなかった」
だんだんと彼女の眼光が鋭くなる。これはまずい。記憶を失う前の惺は、無表情で感情を隠すのが上手かったから普段気にしていなかったが、目の前の彼女は昔のナユタだ。感情がモロに表に出てくる。完全に怒っている。
「惺と付き合ってるんだろ、お前。だからおれを惺と会わせたくなくて誤魔化して…!!」
ダンッ!と壁を殴る。右手の義手で殴ったせいで、ベコンと凹む壁。相当怒っている。
「ちょっと待て!これには深い訳があるんだ!」
「深い訳って何だよ!!!そんなの聞きたくない!!!惺はやっぱり…っ!おれの手から離れて行ったんだ!!!!」
「おっ、落ち着けって!」
「離せよ!!!おれが女だから!!!やっぱり惺はおれより男を選んだ!!!手放したくなかったのに!!!愛していたのにッ!!!!!」
「ちょっ、危な…っ!」
狭いコックピットで暴れ回ろうとする彼女の両腕を掴むが、あまりの勢いに二人して床に倒れ込む。ドンっ、と派手な音を立てて惺を押し倒すように転げた瞬間、頭の片隅で、しまった、痛くなかっただろうか、と一瞬思った。
が、その一瞬が隙になったらしく、見逃さなかった惺は素早く身を翻して俺の上に跨る。
「……ッ!!!」
両腕が伸びて来て俺の首に手をかける。その手にグッと力が入れられた瞬間、まずい!とその手を離そうと彼女の両腕を掴んだのだが、
「…っ?!」
急に彼女の両手から力が抜けていく。
不思議に思って見上げると、彼女の瞳には一筋の涙が伝う。
「…な、んで…っ」
自分でもどうして泣いているのか分からないらしい。
ポタ、ポタ、と、俺の上に降って来る涙の粒。宝石のようなそれ。
「…お前に触れると…っ、こんなにも苦しくなるんだ…?」
「…っ、」
「どうして、おれは、お前を殺そうとしたのに、出来ないんだ?」
「…おい…、アンタ…」
手を伸ばしてその頬に触れる。
止まらない涙を優しく拭った。
アンタが泣く理由を、俺は知っている。俺だからこそ、分かる理由。

(アンタは…、俺の向こうに、本当に愛した男を見たんだよ…)

「…聞いてくれ。」
「…っ、」
「ちゃんと言わなかったこと、謝る。でも、悪いけど、本当のことは記憶が戻るまで言えない…アンタの為なんだ…。どうか分かってくれ…」
「…っ、!」
「ただ、一つ。俺は、惺に選ばれた訳ではない」
夏端月惺にも、惺・夏端月にも。
「そして、アンタも、選ばれていない」
彼女の泣き顔が絶望に染まる。
やっぱりおれの恋は叶わなかったのか、惺はおれから離れたのか、と。
俺は、違うよ、と言うように首を振る。
そう、惺は選ばれてはいない。


「…――アンタが、選んだんだ。」




2016.03.21

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