それは、何処かの国に伝わる昔話。
竹から生まれた女の子が、やがて美しい女性へと成長し、最後には月へと帰ってしまうという、妙に切ない話。
俺は、たまに、彼女の横顔を見ながら、彼女も月に帰ってしまうのだろうか、と思ってしまうときがある。

(惺…、また展望室に居る…)
俺――ライル・ディランディは、展望室の扉の前で立ち止まった。
たまに、夜中に眠れなくなると、タバコを吸う場所を探して徘徊するのだが、そう言う時に、必ずと言っても良いほど、惺が展望室で空を見上げているのを見掛ける。
最初は何とも思っていなかったのだが、彼女がただ単に星々を見ているのではなく、じっと月だけを見上げているのだと気付いてから、気になって仕方なくなった。
でも、いつも彼女には話し掛けられずに、こうして、月を見上げている惺の横顔を見ながら、彼女の心の内を想像しては、眠れない夜を越える。
「今日は曇ってて見えないのに、よくやるよ…」
扉の外で苦笑した。そんなに月が見たいのか、と。
(まるで本当に月に帰りたがってるみたいだ)
そう思った。何故か笑えない。
瞬間、不意に、余裕だった気持ちに焦りのような何かが生まれる。彼女が消えてしまうような。俺達の、俺の、前から居なくなってしまうような、大きな大きな不安。
その不安を掻き消したくて、普段ならば入らずに見詰めるだけの展望室に、ゆっくりと音を立てずに入った。
「………。」
彼女は振り向かない。気付いているのか、そうでないのか。
声をかけるべきか否か迷っているうちに、抑揚の無い無機質な声で「何か用でもあるのか?」と訊ねられ、ああ気付いていたのか、と先程の疑問が解決する。
しかし、まさか、向こうから話し掛けて来るとは思っていなかった。
俺は、僅かに吃りながら「い、いや…何となく…アンタの姿が見えたから…」と言い訳のような科白を紡いだ。
対する惺は背中を向けたまま小さく息を吐いた。
「…そうか。」
ただ、その言葉だけ返して、妙な沈黙が訪れる。
(ど、どうしよう…)

取り敢えず彼女の隣まで歩み寄る。ずっと無言だったが幸いにも彼女は俺を拒絶することは無かった。

「…なあ、今日、曇ってるぜ…?」
その横顔に問うた。
「………。」
彼女は何かを考えるように顎にその白い手を添えた。
しかし、考えてはくれていたようだが、その後、何も答えてはくれなかった。考えがまとまらなかったのか、はたまた言いたくなかったのか。俺には分からなかった。
「…眠れないのか?」
違う質問をぶつけると、惺はゆっくりとこちらを見上げて頷いて見せた。
本当に眠れないのだろう、表情が僅かに疲れているように感じた。

「…月を……」

「えっ?」
喋る気配の無かった彼女がいきなり喋りだしたものだから、俺は完全に油断していた。彼女の声は極力聞き逃さないようにしていたのに。
惺は、素っ頓狂な声で聞き返す俺に、僅かに目尻を下げると、「月を、一目見たかった」と告げる。
(知っているよ。俺は、ずっと、月を見上げるアンタを見詰めていたんだから)
「今日は見えないんじゃないか?どう見ても晴れそうに無いが…」
「…そうだな」
苦笑を洩らして再び天を仰いだ惺。つられるように俺も空を見上げ、しかし、直ぐに彼女の横顔に視線を戻した。
「…思い出した。」
「…どうした?」
瞳は雲の向こうの月に向けたままで。
「物語の姫様の名前…。かぐや姫だ…」
惺は此方を向いた。
「その話は、おれも知ってる」
無表情だったけれども、何処か楽しそうに。
「おれが、そんなに月に帰りたそうに見えたか?」
図星だった。俺は苦く笑って曖昧に誤魔化すしか出来なかった。
「まあ、お前がそう思っても仕方無いよな」
そう呟いて。

「昔…あの空にポツンと浮かぶ月に似ていると言われた事がある…」

「月に…惺が…?」

思わず反芻すれば、彼女は小さく頷いた。しかし、どうして惺と月が似ているのかは教えてはくれなかった。
月と惺か…分かるような…分からないような…。
「俺は、アンタは月じゃなくて海って感じがするけどな」
深海のような、よく分からない、真っ暗な、でも綺麗で幻想的な。
「…………」
惺は言葉を失ったまま、俺を見ている。
(え、俺、何か変なこと言ったか…?)
一気に不安になる俺。しかし、惺は、ゆっくり、柔らかく、目を細める。
まるで、このタイミングを見計らっていたかのように、雲が途切れて、月が僅かに顔を出す。
月明かりが、目の前にいる惺を照らして。

「そうか。」

ただ、その一言だった。
俺の心臓は彼女に持っていかれた。
展望室に入って最初に言われたその言葉。
同じことを言われたのに、魔法がかかったかのように心を捉えて離さない。
(ああ、惺が月って言うのも、納得出来る―――…)
月明かりの下で、ぼんやりと思う。

「…部屋に、戻ろうか。」

月を見上げて、彼女は呟いた。




2016.03.21

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