※「交差しないふたり」続き


何分、何十分、そうしていただろうか。

惺の嗚咽が小さく谺する空間で、まるで、それしか知らないように、ずっと彼女の泣いている姿を見ていた。「う、っ、」と、必死に嗚咽を噛み殺している。だけど、殺し切れない悲しみが、唇からたくさん溢れ出して止まらない。
慰めたいのに、それは許されない。

「……、」
刹那、カツン、と靴音。暗闇の中に浮かぶのはティエリアの僅かに驚いた顔。俺は、小さく後退りした。見られていたのか。それとも今来たのだろうか。
ティエリアは、ぎろり、と俺を睨み付けると、まるで無視するかのように俺の横を擦り抜けた。きっと、惺が泣いているのに、其所で何もせずに見ているなんて酷い奴だと思ったのだろう。
そして、その脚は真っ直ぐに泣いている惺の元へ。
「惺」
鳥肌が立った。それは、まるで何時もの抑揚の無い惺の声色と同じ。ティエリアはしゃがみこんでいる惺の目の前に同様にしゃがんだ。
「また、眠れないのか?」
“また”
その単語に引っ掛かる。
「うん、眠れないんだ」
顔は伏せたままで、頷く惺。泣き顔はどうしても見せたくないのか。ティエリアは一瞬だけ此方を向いた。
「………。」
「………。」
ほんの少しだけ、訪れた沈黙。
「…惺、」
ティエリアが再び彼女を呼ぶ。惺は、やっと顔を上げた。ティエリアは、そんな彼女を見詰めながら僅かに「ふ」と苦笑した。
「…酷い顔だ……」
涙を拭いながら。
「そんな顔をさせているロックオンが、たまに憎らしくなる」
兄さんが憎らしい、なんて、真っ直ぐな思いを紡ぐ。俺には、もう出来ないその行為。兄さんを責める勇気も、彼女を抱き締める勇気も、全てを投げ捨てる覚悟も、何もかも中途半端で。ティエリアは一瞬だけ此方を向いたが、直ぐに「だけど」と、彼女に向き直った。
「…不謹慎だが、反面、嬉しい気持ちも僅かにある」
惺は小さく苦笑した。彼の言いたい事が分かったのだろうか。ティエリアも、彼女につられて笑みを見せる。
「ロックオンを想って泣いてる君を、慰める事が出来るのは、きっと僕だけだ。君が涙を流している間は、僕が誰よりも近くに居られる」
惺は再び苦笑いした。
ティエリアの言葉が痛いくらいに胸に突き刺さった。
(ティエリアは凄いな…)
兄さんを愛し続ける惺を、包み込める程の愛がある。そうだ。俺は、彼女に愛して欲しい愛されたいと思うだけで結局逃げている。彼のように、自らを顧みずに惺に手を伸ばそうとしたか。いや、していない。今だって、怖くて。嫌われる事以上に、この曖昧な繋がりを断ち切られる事に怯えている。
ティエリアは、ふっ、と微笑んだ。ああ。彼はこんなにも穏やかに笑えるのか。知らなかった。
「さあ、立つんだ」と惺の手を引く。まるで、何かの絵本の挿絵のように。お姫様を迎えに来た王子様のように。俺の手の届かない所に、俺なんかが割り込めない領域に、二人は存在した。
惺の涙とティエリアの微笑みが瞼の裏で混ざり合って消える。一途な愛と、無償の愛。だけど、きっと、この絵本はハッピーエンドで終わらない。
「添い寝の続きだ。」
ティエリアは云う。

「今度は魘されないように、君が眠りにつくまで、ずっと起きているから」

その言葉は、世界中の何よりも優しかった。

王子様は、お姫様の手を取り、俺の脇を擦り抜けて行く。
去り際にお姫様と視線が交わる。
無表情な、彼女の瞳。
頬に涙の跡はあれども、もうその瞳に涙は浮かんではいなかった。それが、ティエリアのお陰なのは目に見えている。
(ああ、俺は…)
きつく手を握り締める。
二人の後ろ姿を見詰めながら。

「本当は…俺が王子様になりたいのによ…」

ただ、情けない声しか出ない。


お姫様は、もう、手の届かない場所。




2013.06.07

- 62 -

[*前] | [次#]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -