合格ライン




大変なことになりました。

「また追試……あと10点だったのに」
「残念だったなー」

私の手に握られている、返却された解答用紙。それに書かれている赤い点数は何度見ても多くなる事は無かった。溌剌とその色が放つのは追試を意味する点数。それをじっと穴の空く程見つめた後、私は小さく溜め息をついた。そして私の前の席で軽い調子の声を上げながらうだうだとコーヒー牛乳を飲んでいる八田くんをじろりと睨む。

「そういう八田君だってどうせ追試でしょ。いつものことじゃん」
「いや?今回俺は合格点だったから免除されたぞ」
「は!?!」

彼の口から発せられたまさかの爆弾発言に私は世界の終わりを感じた。は、なにそれ、「合格点」?あれ、それってどんな意味だっけ。いやいやいや、現実逃避はいけない。でも八田くんが追試じゃないなんてとても信じられないことだった。驚きのあまり思わず机の足にぶつけたつま先の痛みに耐えながら私は吠える。

「しょ、証拠!証拠見せてよ!」
「ほら」
「………62点」

驚いた。八田くんの言ってる事はどうやら本当だったようだ。なんの躊躇いも無くひらりと渡された私と同じ解答用紙には、ギリギリとはいえ合格点以上の点数が書き込まれている。でもなんで。合格点を取るのは私のほうが先だと思ってたのに!
ぐぎぎと歯軋りをしながら解答用紙をずいっと押しやれば八田くんはドヤ顔をしながらゴミ箱に飲み終わったコーヒー牛乳のパックを放る。それが綺麗な放物線を描いて見事にシュートしたのを見ると、少し汚れた鞄を引っ掴んで立ち上がった。

「ま、追試頑張れよ。明日だっけ?」
「うん……」

ひらひらと手を振りながら八田くんは教室の扉へ歩いて行った。しかし、遠のいて行く八田くんの背中を見送りながら、ハッと今更ながら重要な事に気がつく。
八田くんはどうやって合格点を取れるくらいまで勉強したんだろう?
その疑問が頭に浮かんだ瞬間、私はがたんと大きな音を立てて立ち上がった。

「八田君!」
「うぉっ!」

よっぽど驚いたのか、びくんと大きく肩を跳ねて八田くんは立ち止まる。それに大股で近づいて、私とそんなに変わらない高さの八田くんの肩をがっしりと掴んだ。突然のことで八田くんは若干怯えているけど、この際スルーする。

「どうやって勉強したのか教えてくれない?!追試仲間のよしみだよ、お願い!」
「わ、分かった!分かったから離せ!」
「痛っ」
「わ、わりぃ」

追試仲間で仲も良くなってきたしそろそろ慣れてくれたと思ったのだけど、やっぱり女の子(だと思われてたんだね、意外!)に触られるのは嫌なのか分かり易い程顔を真っ赤にした八田くんにぐいっと力任せに引き離された。それが思いのほか痛くて思わず声が出ると、八田くんはおろおろしなが謝った。律儀だなぁ、今のは私が悪いのに。
今のやりとりで少し縒れてしまった制服を直して、八田くんはまだ赤い頬を少しかいて溜め息を吐きながら口を開いた。

「良いけど……めちゃくちゃ厳しいし、教えて貰えるかは保証しないからな?」
「うん!」

嬉しくて思わず万歳をすると、八田くんは呆れたような視線を向ける。でもそんなのは気にしない。八田くんが追試を免れたその最終兵器、それにお目にかかれるだけで私のテンションはだだ上がりだった。






八田くんに先導されるままに付いていった、曰く「テストで合格点を取れた理由」の家庭教師さんのいる場所。
それは、どこからどう見ても大人の場所……いわゆるバーだった。

「八田君!お酒はマズイよ!私達未成年だし!」
「うるせーな!飲まなきゃいいだろ!」
「いやダメだって!大人に見られたら絶対怒られる!」
「なら見られる前に入ればいいだろ!おら、さっさと入れ!」
「ちょっまっ、まだ心の準備が……!」

ぎゃーぎゃーと入り口の石段の前で言いあっていると、少しキレ気味の八田くんによってさっきのお返しと言わんばかりにドアの中に押し込められる。すると、勢い良く開いたドアからからんからんとレトロな鈴の音がけたたましく響き渡った。
うぅ、八田くん乱暴だよ………そんな愚痴りたい気持ちを切り替えて明るい日光の刺す外から急に薄暗い室内に入ったせいでしぱしぱする目を凝らす。すると、奥のカウンターに立っていた金髪の人が振り返るのが見えた。

「いらっしゃい。ようこそバーほむ………えーっと……」
「あのっ……そのっ……」

優しい笑顔を浮かべていたバーテンさんは、ちろりと私の服装に視線を落とすと言葉に詰まったようだった。そうだよね、どう見ても学校帰りの学生が来たら困惑するに決まってるよね!
でも私もなんと言ったら良いのか見当もつかなくて言葉が出て来ない。二人で言葉も無く硬直状態になっていると、ちーすって軽い声を上げながら八田くんが入ってきた。遅いよ八田くぅん!!

「八田ちゃん、その子誰?」
「同級生の苗字ってヤツです。追試常連仲間なんすけど、草薙さんに英語教えてほしいって」
「なんやーてっきり彼女紹介されんのかと思ったわ」
「ちょ、ばっ……なんすかそれ!」

八田くんが入ってきた瞬間、草薙さん、と呼ばれたバーテンさんはほっとした顔をしながらさっきまでの空気からは考えられない程軽快に軽口を叩いた。その二人のコントみたいに隙のない会話に思わず置いてきぼりになる。すると、そんな私に気づいたバーテンさん………草薙さんはこっちに向き直った。

「で、苗字ちゃん言うたっけ?」
「は、はい。苗字名前です!」

やった、噛まずに言えた!できる限りはっきりとした声でそう言って、ばっと頭を下げた。頭上を視線が這う感覚がする。うぅ、見ず知らずの人間に勉強を教えるなんてダメですかねやっぱり……あっ、そういえば私まだ自分から勉強教えてくださいってお願いしてないよね?しまった!
自分の失態に気づいてばっと勢い良く頭を上げる。それと、草薙さんが口を開くのは同時だった。

「苗字ちゃんも英語苦手なん?」
「は、はい……あの、どう勉強して良いか分からなくて……」

折角用意した言葉は、草薙さんに質問されて言えなくなってしまった。でもしょうがないよね、聞かれたことには答えないと……!完全にお願いするタイミングを見失った私は、草薙さんの質問が終わると黙って立ち尽してしまった。当の草薙さんは、手を口元に上げて考え込んでいた。
そんなに時間は経っていないんだろうけどなんだか長く感じる。いつのまにかソファでゲームをしながら寛いでいる八田くんを小さく睨みつけたその時、草薙さんが柔らかい笑顔を浮かべて顔を上げた。

「ええよ。女の子が苦手な八田ちゃんたっての紹介やし面倒見たる。その代わり俺は厳しいで?」
「あっ……ありがとうございます!」

菩薩だ!菩薩がここにいる!!草薙さんの背後に無い筈の後光を感じて思わず手を合わせそうになった。そんな私の心情なんて知らない草薙さんは、変わらない調子で言葉をツ透ける。

「ウチは仕事が不規則やさかい。空いてる日ぃは八田に連絡入れるから、一緒に勉強しにおいで」
「はい!」
「え?!俺もまた草薙さんの指導受けるんすか?」
「八田ちゃぁん?一回追試免れたくらいで油断したらあかんで。どうせギリギリやったんやろ」
「ぐっ……」

夢中になってたゲームから視線をを上げて、げっというような顔をする八田くん。それに草薙さんがちょっと怖い声を出すと、嫌そうだったけど逆らえないのか渋々と頷いた。なんかお母さんと息子みたいで可愛い。
思わずくすっと笑ってしまったけど、二人には聞こえなかったみたいでまだコントを続けている。八田くん、ほむら、とかいうのに入ったとかよく分からない事を言ってたけどいつもここにいたんだね。バーという場所に最初は萎縮してしまったけど、二人の間、この場所に漂う温かい空気がなんだか羨ましくなった。







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