衝撃的な始業式から暫くたった、とある美術の授業中。
自分の顔を木彫りで造るという、微妙な課題に取り組んでいたときだった。
僕、明日葉郁(アシタバイク)は不運に見舞われてしまった。
彫刻刀で人差し指を切ってしまったのだ。
前に座ってめんどくさそうに作業していた藍田さんが気づいて顔を上げた。
彼女は1年の頃から同じクラスで出席番号も1番2番と並んでいるのでよく話すし、仲は良い方だと思う。
印象的だったのは初めて喋った時に彼女が言った「え、郁っていうの?可愛いねー」だった。
男である僕に"可愛い"はどこか引っ掛かるが、事実僕は女の子みたいな名前だから致し方ないし、可愛いとか女の子みたいとか、よく言われてて慣れっこになっていた。
曖昧に返事をした僕に彼女は電子辞書を開いてこう返す。
「あはっ、冗談冗談。
…あっ、「郁」っていう字ねー、『まだらで艶やかなさま、香気がかぐわしいさま』とかっていう意味なんだって。
今日会ったばっかだけど、アシタバに合ってる名前だと思うな。控えめだけど、ちゃんと綺麗で。
カッコいい名前だと思う」
そう言った後、「ちょっと嬉しくなったでしょ」とおどける彼女。
僕は初めて言われた『カッコいい』の一言が、とてももどかしくて赤面してしまった。
これが彼女との出会いだった。
もう1年も前のことだ。
この緊急事態にぼーっとしていたけど、藍田さんの「アシタバ…?」という言葉にやっと我に帰った。
指がジクジクと痛い。
やってしまった…
「お〜〜〜〜〜〜〜っとォ!!」
突然後ろから大声がして、僕は心臓がドキッと身体ごと跳ねる。
そして瞬く間に指が切れた左手を誰かにグイッと掴み上げられた。
「コレは保健室コースなんじゃねぇの!?アシタバちゃんよォ〜〜」
「げ!!み…美作くん……」
僕の腕を掴んだのは美作蓮太郎くん。第一印象は体が大きい、だった。気がする。とりあえず僕とは真反対な人だ。
前で藍田さんがもぞもぞするのが見えた。
もしかしたら助けてくれるのかな?
彼女ならあり得ないこともない。でも気分屋だから確率はフィフティーフィフティーだ。
周りの、特に男子がざわつく。
「マジで?ケガ?」
「アシタバが例の保健室行き第一号か〜。
生きて帰れよ」
「そんな…違…!」
焦って彼らに返事をする。が、上手く言葉がまわらない(これだから内気な性格はいやだ)。
「でもこれくらいバンソーコーがあれば、」
「だーからそのバンソーコーはドコにもらいに行くんだよ!」
教室中から『ほーけん室!!』とコールが。
「(くそ〜完全に標的にされちゃったよ…
よりによって保健室がこんな状態の時にケガするなんて…)」
自分の不運さに腹がたった。
そんな時、遠くで「痛……」と声がした。
途端に、今度は女子が騒ぎだした。
振り向くと、そこには無表情の藤くんが自分の人差し指をなめていた。
「あーあ、やっちまった」
その光景に、僕も、美作くんも、周りのみんなも固まった。
…多分、藤くんわざとだ。
僕を助けるためにわざとケガしてくれたのかな。
「先生、手ぇ切ったんで保健室行ってきます」
手を切ってしまったのなら許さない教師はほとんどいないだろう。先生の返事を聞くと、彼は僕の所へやって来た。
「よぉ、行こうぜアシタバ」
「えっ」
同じ男子なのにドキっとしてしまった。
それほどカッコいいんだ、藤くんは。
ざわざわと周りの女子の目が藤くんに注がれる。
…目がハートだ…。
「う…うん…」
僕が返すと、藤くんはニコ、と笑った。
やっぱカッコいいなぁ…。
そんな事を考えていると、コツコツ、と机を彫刻刀の持ち手で叩かれた。
見上げるとめちゃめちゃ不機嫌そうな(なっ、何で!?)藍田さんがこちらを見ている(いやこれは睨んでる!)。
彼女は口パクで、でも確かにこう言った。
『あたしもいくから、そとでまってて』
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