合わせ鏡
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ふと視界に入ったのは物置の端にひっそりと佇んだ見慣れない鏡。

「あんな鏡、あったか?」

「は?どれだよ」

「あれだよあれ!ほら、姿見、ってんだっけ」

「ああ、あれのことか。あったあった!なんかずっと前になんちゃら邸って所から預けられたらしいぜ」

「ふぅん」

修道院には似合わない、あまりに和テイストなそれに思わず目を奪われた。ずっと昔の物であったという割には色が剥げておらず、鏡だってピカピカでこそなかったが、磨かれていた形跡があり、丁寧に扱われていたのであろうことが窺える。燐は誘われるように、その物置へと足を踏み入れていた。

「おーい、燐。先行くぞ?」

先ほどより遠くに聞こえる男の声。鏡に吸い込まれるかのようにフラフラと近づいていけば、再度おい、という声が聞こえる。その声に何かを返す声が聞こえたが、自分がどう返答したのかは分からなかった。きっと、おう、だとか、わかった、だとか、そういった類のことを言ったのだろう。
部屋から徐々に遠のいていく足音を聞きながら、同時に目前まで迫った鏡に視線を移した。
そして、息を呑む。
まばたきは、出来なかった。
そこには、燐と瓜二つの、しかし瞳の色だけが異なるモノがあったのである。

「……お前、誰だ?」

燐は恐る恐る彼に問うた。けれど彼は悲しく笑うだけ。赤い瞳も哀しげに光っていて、燐は思わず手を伸ばしたのである。何故かはわからない。しかしどうしても手を伸ばさなければならない気がしたのだ。
やがて指先はカツンと音を立てて無機質に当たり、燐は漸く彼に届くわけが無いのだと気が付く。それでも、向こうだって自分と同じように手を伸ばしてくれると思ったのだ。そうすれば、無機質だって温かさを伝えてくれる気がしたというのに。
鏡は最早鏡としての機能を果たしておらず、彼がこちらに向かって手を伸ばす素振りすら見せなかったのだ。
その事に少しショックを受けている自分が居ることに燐は気が付き苦笑する。

「――――また来るな」

けれど、どうしてもこれっきりにする事は出来なくて、そう鏡に告げると、燐は振り向く事無くその物置を去ったのだ。

それからというもの、燐は鏡を訪ねる毎日を送っていた。
今日もまた雪男は女の子に囲まれてて羨ましい、だとか、今日は殴り合いをしてしまったからまた親父に怒られちまう、だとか、そういった、何てことないような事を、1から10まで事細かに、包み隠さず。
そういう時、鏡は決まって微笑んだ。口は依然として動く様子は感ぜられなかったけれど、優しい瞳を向けてくれていたのである。
燐はそんな鏡に、彼に、温かな感情を持っていた。
何せ、今まで友達なんてろくに居なかったのだ。友達が出来たら、こんな話をしてみたい。そんなふうに用意して温めていた話もした。自分は信じられないくらい力が強くて、手加減とかはどうするのかもよく分からないから難しいのかもしれないけれど、本当は色んな人と仲良くなって話をしてみたいし、いつか自分を好きになってくれるような人に出会いたい。自分の力ごと、愛して欲しいのだと、鏡に向かって呟いたのだ。
そうしていると、何だか鏡から暖かなものが流れ込んでくるような気がする。無機質なそれには相変わらず自分しか触れていないのに、包み込まれているような気がするのだ。
いつしか足を運ぶ理由もささやかな愛情を感じたい、というものに変化していき、燐はすっかり鏡の虜になってしまっている。今日は鏡の前に行っていないということに気が付くと、どうしてもソワソワと落ち着きが無くなり、今すぐに赤い瞳の彼に会いたい、と思うようになるのだ。
名前も知らない彼だけど、誰よりも近くにいたい。今では弟である雪男よりも、燐の心を占める割合が大きくなっていた。彼ならば、自分を、この理不尽に強い力でさえも全て理解してくれるのではないかという勝手極まりない、しかしそうであって欲しいという願望が燐を包むのである。
今日だって、深夜であるにもかかわらずどうしても彼に会いたくて寝静まった弟を起こさないようにこっそりとベッドから抜け出し、物置へと向かっていた。

「よぉ。…………ははっ……今日も来ちった」

ポリポリと情け無いというように頭を掻きながらそこへと入る。そして鏡を見た瞬間、燐は凍りついた。
向かい合ったはずの彼はこちらに背を向けて、肩を震わしていたのだ。その揺れは笑いなどではなく、明らかな悲しみを示している。

「―――――――っ」

その時、燐は思わず名前を呼んだ。
声にはならなかったけれど、確かに呼んだのだ。
そして、届かないと知りながらも必死で手を伸ばす。また、あの感覚だ。最初に感じた、どうしても手を伸ばさなければならないと思ったあの、感覚。
やがてカツンとあの時よりも少し伸びた爪が鏡に触れる。
そうして、再度燐は声を張り上げた。

「夜っ!!!」

その名前は決して知るはずの無いものであったけれど、燐にはどうしたって本物だという確信があったのだ。
一度呼び始めると止まらなくて、ありったけの思いをこめてその名前を叫ぶ。夜、夜、と少し俯きながら。届かないことはよくよく理解しているけれど。
と、その時、未だかつて無いほどの暖かさが掌に感ぜられたのだ。
慌てて前を向けば、先ほどまで後ろを向いていた彼がこちらを向いている。そして、一度も重ねられたことのなかった掌が、そこに。
頬には幾筋もの涙。赤い瞳はさらに赤く、綺麗に月が反射している。幻想的なその瞳に目を奪われていると、彼がふと口を開いたのだ。
途端。

ピシリ、と鏡に入ったヒビ。
それから、バキッと何かが壊れる嫌な音。
あまりに大きな音で思わずそちらを向けば、鏡の枠がぱっかりと二つに割れている。
突然の出来事に頭がついて行かないままに視線を前へと戻せば、そこには。

「夜……?」

青い瞳が月を反射させている姿がただただ映し出されているだけであった。
赤い瞳の影は無い。ただ、燐の姿が無限にと続いていたのである。




合わせ鏡




111029



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