そっと、絵に触れる。
この島に溢れているこの絵は、タクトの父親が手がけたものだった。
そして絵に描かれている女性は、タクトがいつも持ち歩いていた時計の写真の人物とよく似ているのである。
タクトは夜の冷たい廊下に立ち尽くし、ただただその絵に触れていく。
それから、こつん、と額を当てた。
そうすると、絵に触れた部分から柔らかい何かが身体の中に流れ込んでくる気がして酷く安心する。
それは、この絵にしか両親の影を感じられなかったタクトの幼いときからの習慣となっていた動作だった。
そしていつもいつも思い描いたのは偽りの家族像。
この、海岸で三人が立ちすくんでいるのだ。
そして、自分は両親に挟まれ手を握り合っている、そんな情景が脳内に映し出される。
「お母さん!夕日、すっごく綺麗だよ!」
まだ幼いタクトは、赤い髪を西日でさらに赤く染めながら母を見上げながら笑っていた。
「そうね。」
と、上から降ってきた優しい母親の声。短いけれども、愛がたっぷりしみこんだその言葉は何よりもタクトを安心させるのだ。
続いて、父親が繋いでいた手をそのままに片手で四角形の二辺を作ると楽しそうな声色で歌うように言う。
「あぁ、この風景を描きたいな。」
その言葉に、タクトは胸を躍らせるのだ。幼いタクトは父親の描いた絵が大好きだった。
「よし。じゃあ、ソ………は……んで……………」
けれど、その言葉の続きは聞き取ることが出来ない。突如として現れたノイズのようなものにかき消されてしまう。
試しに上を向いてみたけれども、頭が何かに押さえつけられているようで二人の胸元から上は一切見ることが出来なかった。
そんな捏造された過去にふふふ、とタクトは笑う。
「さすがに経験してないことを想像するのは難しいよ、父さん」
その乾いた笑みを浮かべた瞳には、うっすらと涙の膜が張っていた。
いつも同じところで終わってしまう家族劇。
どうやっても、どうやっても父親の言葉の続きを聞くことは出来ない。
そして、大きな手で両手を包み込むように握られる感覚すら、タクトは分からないのだ。
いまさら両親が居て欲しかったなんて言わないけれども、一度だけでもその腕で抱きしめてもらえたら、どれだけ自分は幸せだったのだろうかとは思う。
もし、父親が自分達を捨てなければ、そして、母親が行方不明にならなければ、この幸せは感じることが出来たのだろうか。
なんてところまで考えて、タクトは思考を止めた。
頬を熱い雫が伝っていくのを感じたからである。
慌てて額縁にこつんと当てていた額を絵から離して涙がつかないようにする。
と、その時後ろから足音が聞こえてきた。
きっと、彼がおきてきたのだろう。
「タクト、一体何をしてるんだ?」
いつもの澄んだ声ではなく、少し眠たそうなその声。
先程起きたばかりなのだろうか、などと考えつつ、慌てて涙を拭き取る。
普段から色々と悩み事の多そうな彼に心配などかける必要は無いと思ったからだ。
そしてクルリと彼と向き合うと口を開く。
「喉が渇いちゃって。で、その帰りにどうしてもこの絵が気になっちゃってね」
役者顔負けの作り笑いを浮かべて嘘ばかりの言葉を紡ぎ、じゃあそろそろ帰ろうかな、と彼に向かって歩き始める。
が、彼の隣を通り過ぎようとしたときに、ガシッと腕を掴まれた。
そして、そのまま口付けを送られる。
驚いた唇は半開きで、そこからたやすく進入した彼の舌が縦横無尽に口内を動き回る感覚に酔う。
息を吸う暇さえ無いほどに攻め立てられ、口の端からは涎が伝い、目からは生理的な涙が流れた。
そして、十分に堪能した後に唇を開放された時には息が上がってしまっていた。
「ど、したの、スガタ……」
「タクトの顔を見たらキスしたくなっただけだ。」
そこで一度言葉を切ったスガタは、振り向いていた顔を彼の進行方向に向けてから続ける。
「寝る前に、目を冷やしておけよ」
そういって、スタスタと歩いていってしまった。
きっとこれから稽古をするのだろう。
よく思い出してみると彼は袴姿だった気がする。
タクトは、立ち止まったまま窓から空を見上げた。
そこにはたくさんの星々が瞬いている。
「まったく、スガタには勝てないよ」
僕の作り笑顔、見破ったのは貴方が始めてだ。
最後の部分は心の中で呟くと、部屋に向かって歩き始める。
その瞳は、月明かりが反射して、キラキラと輝いていた。
キラリ、と輝くのは真珠
(愛情に泣いたから、情愛に溺れたい)
不幸なタクトが可愛いです。
そしてヘドスガのつもりだったのにいつの間にかスガタクになってました。どういうことなの……
110222