「役立たず」
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先月・・・正確に言えば、正美が皇子と初めての顔合わせへと皇邸へ出向いた日。
その日からだ、正美の笑顔が不自然になったのは。

もっと言えば、笑顔だけではなく、行動も変わっていた。
いつでも周りをしっかり見ていたその視線は虚空をさ迷うことが多くなった。
何を思案しているのか、壁にぶつかることもある。
そして、ある夜たまたま喉が渇き、水を取りに台所へ向かう途中、正美の部屋から聞こえた啜り泣く音と、一つの言葉。

「臨也様・・・・・・」

いつの間にか正臣は駆け出していた。自分の部屋に戻り襖を閉める。そして襖を背もたれにズルズルとその場に座り込んだ。

荒い息を必死に宥めながら頭をフル回転させる。
臨也様。正美がそう呟いたのを確かに聞いた事を理解する。

臨也、と言うのは現天皇のご子息に当たり、次期天皇となるはずだった。
だった、と言うのはその権利を臨也が放棄したため、天皇とはなることが無くなったからだ。彼は今朝廷で官職に就いている。
そして次期天皇の座を受け継いだのが、正美の婚約者である帝人だった。

しかし、正美は帝人様ではなく臨也様、と呟いた。それも切なく甘い声で、まるで恋をしているように、だ。

それすなわち天皇への浮気行為で、露見すれば最悪の場合死刑だろう。
唐突に突きつけられた彼女の心境に心臓がドキリと蠢いた。

「嘘、だろっ・・・」

虚空を見つめる。
姉が許されざる想いを抱いている。
恋。それもきっと初恋だろう。
正臣自身恋をしたことは無かったので、どのような気持ちになるのかは分からない。ただ、恋という感情がある、ということと、それはほろ苦い物だ、という知識だけはあったし、それだけ知っていればもうどうでも良かった。

しかし彼は今、その感情を詳しく知りたかった。
先刻聞いた正美の泣き声頭に響く。


(恋って、何だよ・・・)

自問した。

(そんなに、辛いものなのか?)

彼女は確かに泣いていた。それが余計に正臣の心を擽る。


(俺は正美を守りたいのに・・・)


(正美の気持ちすら理解できないなんて。)




「役立たず。」

そう呟いた声が、静かな部屋に木霊した。










100517




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