がちゃりとドアが開く音が聞こえて、鍋をかき混ぜるの作業を止める。
少し荒い息が聞こえてくるから、きっと怪我でもしているのだろう。
となると、また平和島静雄とやりあって来たに違いない。
怪我人の世話をするのももうウンザリだと、小さく溜息がでた。
「ただいまー。あれ、波江は?」
と、やっと玄関からこちらに顔を出した上司。
やはり、というべきか、所々から血が噴出しており、思わず一体どうやって帰ってきたのだと問いたくなるほどの容態である。
「すいませんね、帰りを待っていたのが美人秘書じゃなくて。矢霧さんはあんたが帰ってくるのが遅いから、後の事を俺に任せて帰りましたよ。」
手元の鍋がコトコトと沸騰し始めたので、焦げ付かないように再度かき回すのを再開しつつもそう答えれば、ふぅん、などと気の無い返事をした。
興味が無いのならば聞かなければ良いのに、と心の中で呟いてから料理の最終的な味付けに取り掛かろうとしたとき、ふと背中にぬくもりを感じる。
「なんすか」
振り返らなくたって、そのぬくもりが何かなんてすぐ分かるというのは便利で不便だ。そんなことを思いながら調味料を手に取ろうとするが、あと少しのところで届かない。
少し悔しい思いをしながらも、気配を消したまま後ろから抱き付いてずっとだんまりを決め込んでいる彼に声をかけた。
「あのー、臨也さん?邪魔なんでどいてもらえますか?ってか俺はあんたのご飯作ってんだから退けよ。」
ぐいぐいと腕を引っ張りながらそういえば、一瞬その束縛はとかれる。
これで調味料が取れると手を伸ばしたのだが、次はその手を絡めとられ、正面から抱きつかれてしまった。
まさかの展開に頭がついていかない。
「えっ、あの、臨也さん?どうかしたんすか、何時ももですが、なんか今日は特別変ですよ」
そんなことだから、癖で腕を彼の背中に回してしまった。
「ねぇ、」
と、胸元からくぐもった声が聞こえてくる。
まったく、薄っぺらい男の胸に顔を押し付けて一体何が楽しいのだろうと思うが、今日は輪を掛けて変な雇い主なのだ。
彼のお陰で、寛大な気持ちを持つことが大切だということを日々学んでいる。
「どうしました?」
「ちょっとね、傷付いたんだ。慰めてくれないかな。」
しかし、その寛大な、海のように広い心でだって包みきれないものもあるのだ。
この男が傷つく、なんて。
「珍しいですね。」
「俺だって傷つくよ。」
「その傷をつけているのはいつだって貴方なんですけどね。」
ぽんぽんと背中を叩いてやれば、すっかり静かになってしまった。
調子狂うなぁ、なんていつもは見えないつむじを眺めながら再度溜息を吐く。
何だかんだ言って、この男に振り回されてしまっていることに気がついたのだ。
けれど。
「仕方ないですね。今日だけ、出血大サービスです。」
「はは、安心してよ。俺、金だけは持ってるから。」
「いりませんよ。」
「は?」
勢い良く顔を上げた彼の呆け顔を見ると少し噴出しそうになったが、ぐっとこらえて見つめる。
それから、忘れがちだけれども眉目秀麗と謳われるその容姿は、久しぶりにまじまじと見ると少し照れるものがあり少し頬が熱を持った。
「あんたがウザくないなんて調子狂うって言ってるんです。だから、何時も頑張ってるあんたに俺からのボーナスだと思ってください。」
言ってから気恥ずかしい事を、と少し後悔する。
それでもやっぱり目の前の赤とも茶とも取れるようなその瞳を見つめ続けてみれば、その目が不意に柔らかく微笑んだのが分かった。
「ボーナスか……そういえば人生で一度だってボーナスはもらったこと無かったよ」
そして紡がれると同時に再び彼の頭が胸元にトン、と触れる。
コトコト、と煮え続けている料理、未だに調味料を入れられていないそれのガスをそっと止める。
そして次はその黒髪をサラサラと梳いてやった。
それを擽ったそうにしている姿はまるで猫のようで、少し胸の内が温まったような気がした。
そして、思うのだ。
やっぱり振り回されているのかもしれない、と。
けれど、それもたまには悪くない。
ボーナス
たまには臨正の甘いのだって書きたくなるんです。
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