メランコリックエスコート

「…」
「……」
「…なぁ、ここは普通、目ェ瞑るところやと思うんやけど」
「?そうなん?」

通い慣れた翔くんの部屋。先ほどからやけにその大きな瞳を揺らしながら私をじろじろと見てくるかと思えば、そんな私の知らない常識をこぼされた。この殺風景でだだっ広い空間の中、気付けば私と翔くんはいやに近づいて佇んでいた。

翔くんとは幼馴染でずっと小さい頃から一緒だった。翔くんが自転車に乗っているところが大好きで、ロードレースの大会には欠かさず応援に行った。普段は笑わない翔くんが汗だくでゴールを切る瞬間、嬉しそうに両手を掲げるあの一瞬の笑顔が大好きだった。
そんな翔くんがレースを終えた直後、私に背を向けて聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「名前ちゃんが好きや」そう言ってくれた時は、レースに出場していない私まで汗だくになってしまいそうなくらいの熱い感情が心臓の奥からあふれた。その時の翔くんの真っ赤な両耳を今でも覚えている。



「…翔くん、大好き」

目を閉じればあの日の記憶がすぐそこに蘇ってくる。私より一回りも二回りも大きくなったその手の平に自分の手を合わせ、きゅっと握ってその温かさを直に感じる。こうやって私がくっ付く時、翔くんは決まって何も言わずに手を握り返すのに、今日は何も反応がない。おかしいなと疑問に思って翔くんを恐る恐る見上げてみると触れたほうの手首を鷲掴みにされて、胡座をかいている翔くんの膝の上に私の体重が乗っかった。

「…あ、翔く」
「……今までずうっと一緒やったんや」
「うん…そう、やね?」
「ボクも…名前ちゃんも、昔のままとちゃう」

翔くんの顔はすぐ近くにあるのに全く目を合わせようとしてくれない。翔くんの右下あたり、畳についた手をただ一点に見つめながらボソリボソリと言葉を紡ぐ。耳をよく傾けてみても翔くんの言いたい事の真意はまだ見えてこない。

「せやから、な。…もう少し近くに、おってや」
「じゅ、十分近いと思うで?」
「…ちゃうて」

翔くんはさっきから違う違うと、私の憶測は見事に外れているようで少し落ち込んだ。再び翔くんの名前を呼ぼうと距離をとろうとすると掴まれたままの手首をさらに引かれて、翔くんの腕の中にそれはもうすっぽりと収まってしまった。…これは嘘か誠か。あの不器用な翔くんに抱きしめられている。伸びた襟足が私の鼻を擽る。くすぐったくて思わず笑みが溢れる前に頬に柔らかい感触が残った。かぷ、と甘噛みにも似た感触。
一瞬でそれは離れてしまうが、…そんな、まさか…いやでも今目の前にいる彼のほか以外の誰でもない。きっと翔くんの唇が触れたであろう部分がカッと熱くなり、何かに隠れたくて翔くんの胸元に頭突きを食らわせると熱を帯びた顔を埋めた。

「…どうし、どうしたん翔くん…いきなり」
「名前ちゃん、苦しい」

そうは言っても私の背中に回された翔くんの手は優しい。こんなにも優しい人だなんてきっと他の人は知らないだろうから、なんだか少し悔しくてちょっぴり嬉しかった。

「顔、見せてや」
「あかん」
「…名前ちゃん」

まるで私をなだめるかのような声。その大好きな声で呼ばれては言われた通りに顔を上げるしかなかった。目の前の翔くんは、照れくさそうな表情をしていても私を見つめてくれていた。こんなに甘くて脳がとろけそうな雰囲気なんて私は知らない。この時ばかりはさすがの私でも空気を読み取って、水分をたっぷり含んだ自身の目をゆっくりと閉じた。

唇にかすかな感触。周りの音が遮断されて時が止まったかのようだった。その感触はゆっくりと離れて私の鼻に息がかかる。触れるだけじゃ足りない。ファーストキスを名残惜しむかのように私は自身の唇をキュッと噛んだ。

「翔くん…もっかい、」

目を瞑ったままなら照れくさいワガママも容易に言えた。すると今度は私の両耳をその大きな手で塞がれてついには視覚も聴覚も奪われる。じっくりと味わうようなキス。全神経が口元の交わりに集中して呼吸をすることを忘れた。思い出したかのように口から息を吸い込むと下唇を甘噛みされた。私はそこでやっと閉じていた目を開けば、うっすらと目を開けて私を見る翔くんがやけに扇情的でどきりと心臓が高鳴った。

「も、っかい…」
「……もう終わりや」

翔くんの腕を服の上からするすると撫でると急に素っ気なく返された。ふいっと私から目線も逸らしてまたさっきの状態に元通り。なんで?と聞けばそれっきり翔くんはだんまりとしてしまった。

「…ボクぅなりに、あれや」
「どれなん?」
「大事に、しとるつもり…やで」

翔くんはその噛み合わせの良い白い歯を見せたまま、顔をほんのり赤く染め上げてそう言った。…何の話やろうか。またもや翔くんの言っていることの意味が理解できずにじっと見つめると「ほんっま鈍いな」と急に目つきを変えて悪態をつかれた。酷いなぁと言い返せば翔くんは再び私を抱きしめてその力を強める。こんなに簡単に両手の自由を奪われるなんて翔くん、本当に大きくなったなぁ。そんな母性を秘めた微笑みを浮かべて、翔くんの広い背中にゆっくりと手を伸ばした。

「ずうっと一緒におるんや。もう少し…ボクの気持ちを汲み取れるようになってや」
「が…がんばります」

もうすでに、翔くんのその言葉が一体何のことを指しているのかは分からなかったが、素直に頷くと翔くんは私の額に口付けて「ええ子や」と歯を見せてニタリと微笑んだ。


141125


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